こんな 夜更け に バナナ かよ 読書 感想。 映画『こんな夜更けにバナナかよ』と原案のノンフィクション本の感想

【ネタバレ解説】映画『こんな夜更けにバナナかよ』感想と内容の考察。原作から主題を深掘りする|映画道シカミミ見聞録28

こんな 夜更け に バナナ かよ 読書 感想

映画は非常に面白かったです。 10点満点で8点です。 生き方に迷っている人にぜひ見てもらいたい作品だと思いました。 病気が関係する映画はお涙頂戴の「感動の実話」として描かれることが多いですが、笑える部分も多く、ほとんど悲壮感を感じさせないストーリーが良かったです。 大泉洋演じる鹿野靖明さんがわがままな障害者と見えてしまった人もいるかもしれませんが、実際に鹿野さんのボランティア(鹿野ボラ)をしていた人達には違って見えていたようです。 映画パンフレットのインタビュー記事において、大泉洋はこんな事を語っています。 実は撮影初日に、鹿野ボラだった方にお会いして「鹿野さんは別にわがままじゃなかったですよ」と言われ、「え?それじゃあ映画にならないんだけど」と思いました 笑。 とは言え、映画タイトルにもなっているバナナのエピソード、わがままと言うか、ボランティアに対する遠慮が全くないですよね。 映画でも強烈なエピソードですが、原案本によると実際にはもっとびっくりするものでした。 あのエピソードは、人工呼吸器を付けた入院中の話で、鹿野さんはバナナを1本食べた後、更にもう1本要求したそうです。 この時対応されたボランティアの方は、ただでさえ眠くて怒っていたのに、もう1本要求されたことで怒りが急速に冷え、この人の言うことは何でも聞いてやろうと言う気持ちになったそうです。 鹿野さんを演じる大泉洋は配役がぴったりでした。 北海道出身で不思議な魅力のある人で大泉洋以外に鹿野さんを演じることはできなかったでしょう。 演技だけでなく、この役のために最終的に10kgも痩せたのも、より現実味を増していたように思います。 鹿野さんが中心の映画ですが、高畑充希演じる安堂美咲が映画の中では一番光っていたように思います。 嫌々ボランティアをやっていた美咲が鹿野に対して心を開き、変化していく様子が分かりやすかったです。 逆に医学生の田中久役の三浦春馬の葛藤が分かりにくかったです。 美咲との関係に悩むのは分かるのですが、医者になるのを悩む描写が分かりにくかったかなと思います。 母親役の綾戸智恵は、はまり役でしたが、ご両親が鹿野さんの介助をボランティアに丸投げの様に描いているように見えたのは変に思いました。 原案本によると、週5回は鹿野さんの家を訪れています。 人工呼吸器を付けた後の半年の入院期間、お母さんは過労で2回も倒れたそうです。 映画パンフレットの監督のインタビュー記事によると、親に頼らず生きることで母親に自分の人生を生きてほしいと言う思いを物語の1つの軸にしたそうです。 それはそれで理解できるのですが、原案本を読むと、むしろ「施設を飛び出して自由に生きたい」という思いのほうが強かったのではないかと思いました。 映画全体としての感想は、障害者と介助する人がどう向き合うのかを考えさせられ、鹿野さん、美咲、田中久の三角関係でうまくまとめられており、非常に良かったと思います。 ただし、最後が7年後という形でまとめてしまったのは、ありきたりな結末だったかなと思います。 個人的には死の間際の描写があっても良かったのではないかと思いました。 原案のノンフィクション本の感想 渡辺一史著の『こんな夜更けにバナナかよ 筋ジス・鹿野靖明とボランティアたち』を読んだ感想です。 本の内容は、鹿野さんの死の約2年半前から取材を開始した著者が、鹿野ボラのインタビュー、鹿野さんの生い立ち、当時の北海道の障害者運動などをまとめたものです。 鹿野さんとご両親以外の登場人物は、実在の人物をモデルに創作されたキャラクターです。 とは言え、鹿野さんの多くのセリフ、病状の経過、映画に登場したエピソードの多くは、原案のノンフィクション本を元にしています。 脚色されているとは言え、おおむね事実に即した内容と言えるでしょう。 自立生活を鹿野さんが始めた理由は、映画では同じ筋ジストロフィー患者のエド・ロングに影響を受けたことぐらいしか分かりませんでした。 生い立ちを読むと、子供時代のお化け屋敷のような病院での生活、いつの間にか亡くなって病室からいなくなる同世代の子どもたち、養護学校卒業後に経理として就職するも低賃金で自立するには程遠く、障害者枠から正式に職員として採用される見込みは薄く、会社の寮は起床、消灯時間、門限を決められた病院とあまり変わりない生活……。 その後、就職後に出会った友人の影響、障害者運動への参加などを経験し、最終的にエド・ロングの語る障害者の自立観に感銘を受け、自立生活を始めようと思い立ったそうです。 ここで言う「障害者の自立観」とは、自分ひとりで何でもやることではなく、誰かに助けてもらいながら自分が決定権を持って生きると言うことです。 まさに映画で見た鹿野さんの生き方ですね。 そもそも、当時は入院している障害者が外に出て自立生活をしたいと願っても、わがままとしか見なされない時代です。 それを実行してしまったのは驚きでしかありません。 鹿野さんとボランティアとの関係性も非常に興味深かったです。 ボランティアが長続きした人の多くは、鹿野さんと対等に向き合った人ばかりでした。 鹿野さんに対して「世話をしてやっている」と下に見る人、逆に鹿野さんを尊敬して上に見る人とは長続きしていません。 上下関係を作ってしまった人とはうまく行かなかったようです。 長続きした人は、ひとことで書くと鹿野さんとケンカができる人だったのかなと思います。 一見するとわがままに見えてしまう様子も、短時間で対等な関係を築くのに役立っていたのではないかと想像します。 日本人特有の「察してほしい」と思わせぶりな態度だけでは、ボランティアもどう対応していいか迷ったことでしょう。 当時、人工呼吸器の痰吸引は医療関係者以外には家族しか行えませんでしたが、鹿野さんがボランティアの人達を「家族だ」と言ったのも、そう言う関係性を築けていたからなのでしょう。 本書は鹿野さんが亡くなる前に出版する予定が、お葬式まで立ち会うことになります。 そのため、鹿野さんの死の間際の状況も描かれています。 以下に簡潔にまとめます。 心室細動で意識不明で病院に搬送された後、鹿野さんは意識を取り戻します。 その時に「もう大丈夫だから」とご両親とボランティア全員を帰宅させてしまいます。 残ったのはその日泊まりの在宅介護支援サービスの女性1人だけでした。 その女性に対しても「寝なさい」としきりに言っていたそうです。 おそらく自分の死期を悟ってのことだったのでしょう。 その日の夜中に心停止し、帰らぬ人となってしまいました。 もし亡くなったのが自宅だったら、ボランティアの責任問題になった可能性もあります。 病院で亡くなったことは、誰にも責任を負わせたくない鹿野さんの意思だったのかもしれません。 「じつに鹿野らしい死にざまだったのではないか」と著者は書いていますが、本当に最期まで自分の意思をつらぬいた生き方だったと思います。 ボランティアの中には介護の道に進んだ方も多く、医学部に入り直して医者になった方もおられます。 本当に多くの方に影響を与えていますし、今回映画になったことでこれららも多くの影響を与え続けることでしょう。 本書には、ここまでの感想で書かなかった鹿野さんの結婚生活、人工呼吸器を付けた後の恋人の話、鹿野さんが亡くなった後のお母さんと鹿野ボラの人達との交流など、映画では描かれていない部分も多くあります。 興味を持たれた方はぜひ本書を手にとって見て下さい。 きっと後悔はしないはずです。 40ページ、約3分の2がカラーページです。 購入前は全く期待していなかったのですが、内容は以下のように盛りだくさんです。 絶対に買って損はないです。 イントロダクション• ストーリー• キャラクター相関図• 大泉洋インタビュー(鹿野 靖明役)• 高畑充希インタビュー(安堂 美咲役)• 三浦春馬インタビュー(田中 久役)• キャスト紹介• 映画化に寄せて 駅にエレベーターがあるのはなぜ?(原案本 著者:渡辺一史)• コラム 元ボランティアが語る生前の鹿野靖明(鹿ボラ:俵山政人)• 鹿野靖明 本人年表• コラム 筋ジストロフィーとはどのような疾患なのか?(医療監修:土畠智幸)• 土畠智幸(医療監修)の撮影メモ• コラム 90年代と現在の介助体制の違い(介助指導:淺野目祥子)• インタビュー 監督 前田哲• プロダクションノート 「鹿野靖明」を描くべき時が来た - 映画化に至る背景• スタッフ紹介• 主題歌 「フラワー」ポルノグラフィティ 紹介• 美術設定紹介• デートの誘いに公衆電話かよ ~本作に登場する懐かしの90年台カルチャー~• ロケーションマップ 映画の内容だけでなく、鹿野さんご本人のこと、ボランティア、当時の様々な様子など、かなり読み応えのあるパンフレットでした。 今まで購入したパンフレットの中ではいちばん満足度が高かったです。 原案のノンフィクション本は500ページ以上あるので、手っ取り早く映画のこと、鹿野さんのことを知りたい人は買いましょう。 まあ、私は「『こんな夜更けにバナナかよ』のパンフレットを下さい」とうまく口が回らず、少し買うときに苦労しましたが……。

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読書の感想『こんな夜更けにバナナかよ』

こんな 夜更け に バナナ かよ 読書 感想

「自立」という言葉の定義 自立、という言葉は聞いて、どんなイメージを抱きますか? 1 他への従属から離れて独り立ちすること。 他からの支配や助力を受けずに、存在すること。 「精神的に自立する」 2 支えるものがなく、そのものだけで立っていること。 -デジタル大辞泉 自分でお金を稼ぎ生計を立てる 経済的自立 成人に課される責任を全うする 社会的自立 自分一人で身の回りのことを行うことを「自立した生活」とも言いますね。 それは、重たい荷物を一生懸命抱えて立っているようなイメージです。 自立とは、「拠り所」をたくさんもっていること 出生時のトラブルから脳性麻痺となった熊谷晋一郎氏は、親元を離れて医学部に進学し自身の経験から小児科医として活躍されています。 彼はこちらの記事の中で自立という言葉の意味をこのように語っています。 健常者は何にも頼らずに自立していて、障害者はいろいろなものに頼らないと生きていけない人だと勘違いされている。 けれども真実は逆で、健常者はさまざまなものに依存できていて、障害者は限られたものにしか依存できていない。 依存先を増やして、一つひとつへの依存度を浅くすると、何にも依存してないかのように錯覚できます。 チーム鹿野の絆 主人公である鹿野さんは筋ジストロフィーという進行性疾患とともに生きています。 この病気は体中の筋肉が徐々に衰えていく疾患で、進行すると寝たきりや、呼吸機能の低下により気管切開や呼吸器を使用する場合があります。 最近はOrihime関連のニュースで度々取り上げられていますね。 寝たきりで呼吸器も使いながら一人暮らしなんて危険すぎるでしょ! 何かあったらどうするの?病院にいれば安全なのに 自立生活を営んでいる方が周囲にいない人の感想は、このようなものが多いのではないでしょうか。 障害者の自立生活を支援する全国自立生活センター協議会は、自立生活の意味をこのように表現しています。 自立生活とは、 危険を冒す権利と決定したことに責任を負える人生の主体者であることを周りの人たちが認めること。 また、哀れみではなく福祉サービスの雇用者・消費者として援助を受けて生きていく権利を認めていくことです。 命が助かっているのだからそれでいい。 もしそれが自分の身に起きていることだとしたらどう感じるでしょうか。 食べたいものを食べたいときに食べる。 好きなところへ気分転換に行く。 会いたい人と好きなだけ見つめあう。 自立生活は、決して「誰かに責任を押し付けるわがまま」ではありません。 危険を冒すことすら、重要な権利なんです。 夜更けにバナナを食べるのも、ワガママ? 親の庇護下から離れるということ 作中では、鹿野さんの母親は時々鹿野宅を訪れて、ヘルパーたちに食事を配るなどして、すぐに帰宅します。 親子関係というのは子どもが成長するに従って距離が大きくなるのが通常です。 反抗期等を通じて精神的・経済的に自立に向かっていき、親もそれを受け入れていきます。 しかし、障害がある若者の場合はその過程を踏むことが出来ません。 「世話をする側とされる側」といった一方的な上下関係へと向かう恐れもある。 親が子どもの全てを抱え込んでしまうかもしれない。 その結果介護負担で命を奪うような形になったり、親自身が体や心を壊すかもしれない。 それならば、親の負担軽減のために施設に閉じ込めよう!そんな流れが加速していくかもしれない。 脳性麻痺を有する障害者を中心に結成されたは、このような親の支配的(献身的)な愛を否定することこそが本人の自立につながると主張していました。 親とずっと一緒にいると、障害のある子はいつまでも「自立」出来ない。 それだけ、親の愛は偉大。 一緒にいれば、誰だって甘えたくなる。 ・自分のことを自分で決める能力 ・要求を適切に人に伝える能力 何でもわかってくれる家族だからこそ、いつか離れなくちゃいけない。 — なかむらかなこ オンライン子育て相談始めました MinmachiBuho 消費者になる意味 自立をする、ということは「サービスを利用」したり「消費したり」、自らの意思の下で可能になるということです。 経済的な活動に参画するということは、成人の欲求のひとつです。 さらに、前述したOrihimeのような遠隔ワークが一般化すれば、就業することも出来ます。 そうすれば、彼らは消費だけでなく生産・納税することも可能になるかもしれません。 自立する、働いて収入を得ることは「消費者」になること。 社会福祉サービスの「雇用者」になること。 人口が減る・AIが生産手段になるこれからは、 いかに「消費者」を増やすかが重要。 賃金こそ発生しないものの、彼は立派な「サービスを選択して消費する」側であり、かつ指導を通して生産活動にも携わっていたと考えられます。 重度障害とファミリー 例えば、生まれつきの疾患などで重度心身障害児と呼ばれる子どもたちがいます。 寝たきりであったり、気管切開や経管栄養などの医療的ケアを必要とする子たちです。 彼らの場合は成長したときに、必ずしも自立生活がベターな選択だとは言い切れないかもしれません。 それだけ、ケアが重度だからです。 その場合は「自立」をどのように捉えたら良いのでしょう。 そのヒントも、熊谷医師の言葉にあると思います。 特に複雑な医療ケアを有するお子さんの場合、親御さんがメインの看護者になるため、たとえプロだとしても看護師や医師・介護士のケアが不十分だったり、子どもが受け付けなかったりする場合もある。 親御さんが体を壊すまで育児・ケアに奮闘する…そんなケースも度々見かけます。 そのような状況にならないためにも、頼り先、「ファミリー」を増やすことは子どものため、親御さんのため、ひいては社会のためにもなると考えます。 レスパイト先の機関• 気軽に立ち寄れる公共施設• 一緒に楽しい時間を過ごせる地域の友人 そんな人たちを少しでも多くつくることが、重度の障害をもつお子さんに必要なんです。 まとめ 今回は、「こんな夜更けにバナナかよ」のストーリーに合わせて、障害者の自立・自立生活について紹介してきました。 少しでも興味がわいた方は、是非書籍を手に取ってみてください!.

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『こんな夜更けにバナナかよ』の感想 泣けます!【ネタバレ有】|北海道の魅力発信ブログ!

こんな 夜更け に バナナ かよ 読書 感想

皆さんこんにちは、森羅です。 今回はついこの前映画が公開された、 「こんな夜更けにバナナかよ」の原作を読んだのでその感想を書いていきたいと思います。 どんな作品? 北海道出身のフリーライター 渡邊一史さんが、筋肉が徐々に衰えていく難病 『進行性筋ジストロフィー』 という難病で24時間介護が必要な身でありながら、365日ボランティアを集めて自宅で生活する 鹿野靖明さんに取材をし、彼の生き様や彼の周りを取り巻く人々や日常を描いた渾身のルポタージュです。 映画化されるにあたって原作のエピソードを随所に取り入れ、色々と脚色を加え、ストーリー仕立てにアレンジした小説版が刊行されました。 500ページ以上ある原作を読むよりは軽い気持ちで読めるかもしれませんが、やはりここは原作を読んだ方が色々と理解できるのではないかと思います。 読んだ感想 進行性筋ジストロフィーという難病を抱え、24時間誰かの介護が必要な状態にも関わらず、病院を出て、自分を介護してくれるボランティアを自分で集めながら、365日自宅で暮らす鹿野靖明さん。 社会的に見れば、 弱者と呼ばれる立場の鹿野さんですが家では違った。 ボランティアたちに人工呼吸器の使い方や痰の取り方などを指導する彼は、決して 弱者 ではありませんでした。 生きるためにワガママを言い、時にはボランティアと火花を散らしながらも必死に生きていく鹿野さんの生き様は従来の障害者は 社会的弱者であるという 世間一般のイメージを打ち破るものだと思います。 そしてこの本では鹿野さんだけにスポットを当てているのではなく、鹿野さんを介護するボランティアにも視点が当たっています。 なぜ、彼らは鹿野靖明という男を介護しようと思ったのか、彼らの過去と共にそのいきさつが紹介されています。 ボランティアにもそれぞれ違った事情や思い、考え方がある。 鹿野さんを通して見えてくるボランティア達の関係性や、考えの違いなど、読んでいて非常に興味深く、面白かったです。 また、人が人を介護するとはどういうことなのか、そういった深いテーマについても書かれています。 介助ノートに書かれたそれぞれの思いや考えにも触れながら、渡辺さんなりの答えを探し出そうとしているのがわかります。 第3章からは 鹿野靖明さんの若かりし頃に、障害者運動の話を絡めた内容となっています。 鹿野さんの若い時代、授産施設で働いていた頃に出会った唯一無二の親友我妻さんと、街に遊びに行ったりする中、二人は次第に障害者の自立に関する運動へと関わっていくことになります。 当時はまだ重度の身体障害者と言えば親に一生世話してもらうか、施設に入るかのどちらかしか道がなく、自立という道はありませんでした。 その道を切り開くために、鹿野さんや親友の我妻さん、そして小山内さんら札幌いちご会のメンバーが政府との意見を交え、時に対立し、激しく主張をぶつけ合ったりしながらも、世の中の障害者福祉のありようや考え方を変えていきました。 鹿野さんというのはこういう激動の時代を生きてきただけではなく、自分でも世の中を変えようと戦ってきたのだなと思うと、ただのワガママなおじさんには思えませんでした。 しかし、この本ではそうした鹿野さんを難病と闘い、そして世の中と戦う〝 聖人〟として描いているわけではありません。 重度の障害や難病を抱えている人はそれだけで重い病気や難病と闘う気高い人達のように扱われ、神聖視されてしまいがちですが、障害や難病を抱えた人だって普通の人間である。 鹿野さんだって時にはボランティアと意見が食い違い、激しく言い争いをし、時には性欲を持て余して深夜にボランティアにアダルトビデオを借りさせに行かせたりする。 いい面だけでなく悪い面も当然ある。 そうしたいい面も悪い面も全てさらけ出して描いていて、良くも悪くもこれが鹿野靖明であるという等身大の鹿野さんを書いています。 だからこそ鹿野さんの人柄やキャラクターに共感できるし、読んで面白いと思えるのだと思いました。 読んでいても鹿野さんの人柄やキャラクターは本当にいいものだなと感じてしまいました。 鹿野さんは虚勢を張っているとか、強がっているとか書かれていますが、そのおかげか読んでいても難病を抱えている人を取材したルポとは思えない、明るさやコミカルさがありました。 本人に難病を抱えていて生きるのが辛いとか、そういう重さや暗さが全く感じられないんですよね。 もちろん、内面では色々と辛い感情を抱えていたりしたのかもしれませんが。 「なんでコイツ24時間介助されてて、狂わないんだろうって、みんなが不思議がるわけさ。 」 冒頭で登場する鹿野さんのこの言葉にはユーモアが含まれていますね。 その他にも色々と自身の境遇について語っていますがどれも重い障害を抱えているという悲愴感は感じられません。 そして最後。 病院を出て、在宅生活を始めて5年。 42歳の時に鹿野さんは亡くなってしまうわけですが、その最後もいかにも鹿野さんらしいものでした。 葬式には取材を続けていた渡辺さんを始め、多くのボランティアの方たちがきました。 そしてその後のボランティアの方々の様子が描かれるわけですが、鹿野さんは 『できないことは仕方ない。 ワガママと思われても他人にやってもらうしかない』と数々のワガママを言いながら、ボランティアと共に日々を過ごしてきましたが、彼のワガママが多くの人をボランティアという形で繋ぎ、色々な人に影響を与えていたのだなぁと考えると、とても感慨深い気持ちになりました。 自分がもし同じような病気になり、同じ状況になったとしたら、こういう生き方はまずしないでしょうし、できないと思います。 そして、渡辺さんはこのルポを書き終えた後も、鹿野さんの両親の家にお世話になり、ボランティアの方々とも親交があるそうです。 まさに鹿野さんが与えてくれた関係ですね。 単にいい話で終わるほど単純な作品ではありませんが、読めば確実に何か心に刺さる部分があるとおもいます。 これぞまさに傑作。 ということで今回はここまで。 読んでくれてありがとうございました。

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