僕 は 何 年 経っ て も 君 に 会 いたく なっ て。 海野十三 あの世から便りをする話 ――座談会から――

大ヒット「君の名は。」から分かるキリスト教的世界観 : 文化 : クリスチャントゥデイ

僕 は 何 年 経っ て も 君 に 会 いたく なっ て

ヴォーカリストTakamiyをより意識させたのは2014年だった THE ALFEEの高見沢俊彦のソロプロジェクト「Takamiy」が活動25周年を記念して、8月30日にベストアルバム『美旋律 ~Best Tune Takamiy~』をリリースする。 THE ALFEEに新しい音楽を落とし込むための挑戦の場でもあるソロワーク。 『主義-ism:』から始まったソロ作品は『Kaleidoscope』『Fantasia』『雷神』という第二期を経て、15年のシングル「誘惑の太陽」へと流れる。 今作はそうした作品のなかから選曲し、全て歌い直した。 これら楽曲を通じてソロにおける音楽的変遷を伺い知ることはできるが、なかでも鍵となるのは2014年。 この年を境に歌い方が変わった。 なぜ歌い方を変える必要があったのか。 そしてなぜ歌い直す必要があったのか。 また小説家デビューもする。 先日、THE ALFEEの横浜公演で「やり続けていれば扉が開く」という発言をしていたがその真意とは。 高見沢は自著『あきらめない夢は終わらない』(幻冬舎)で「『どの曲が一番好きか』と聞かれれば『今作っている曲』と答えたい」と綴っている。 それならばTHE ALFEE、そして、Takamiyの「今」の音楽は過去の経験とこれまで発表してきた音楽の積み重ねと言えるだろう。 今作の『美旋律 ~Best Tune Takamiy~』も然り。 全て歌い直しました。 2014年に喉を壊し、大事には至りませんでしたが、これまで出ていた音域が出せなくなってしまい、かなりきつい日々を送っていました。 本当に厳しい1年でした。 シャウトやがなりなどで喉に負担をかけてしまったことが原因ですが、それ以降はそういう歌い方をやめて、今の歌い方にしました。 今回のアルバムにも一部の曲が収録されていますが、それまでの『Kaleidoscope』(2007年7月18日発売)や『Fantasia』(2010年8月25日発売)ではそういう歌い方をしていたので、今聴くと違和感を感じるんです。 これなら今の歌い方で歌い直してみたいなと思って、それで選んだのが今回収録の楽曲です。 「今歌い直したい歌」を『Kaleidoscope』『Fantasia』『雷神』(2013年7月31日)やシングルから選び、歌い直したということです。 その通りです。 歌い直したいという思いが強かったということです。 お話されたようにどの曲ももちろん思い入れは強いですよ。 「騒音おばさん VS 高音おじさん」は今一番、ライブで盛り上がる曲ですし。 作詞したクドカン(宮藤官九郎)くんの世界観が最高ですね。 Takamiy 『美旋律~Best Tune Takamiy~』は、ソロプロジェクト「Takamiy」の25周年を飾るベストアルバムですが、改めてソロの意義についてお聞かせ下さい。 THE ALFEEでは様々なジャンルの音楽を取り入れながら進化しているという印象があります。 一方のソロは、THE ALFEEに新しい音楽を落とし込むための活動の場と話されており、「挑戦」という位置づけかと思われます。 その通りです。 なぜ、ソロをおこなうかというと、THE ALFEEのなかで曲を作るクリエーターな部分を僕が担当しているので、THE ALFEEのなかでやっているだけではなく、外に出て色んなアーティストと一緒にコラボした方がクリエーターとしての刺激になります。 その刺激を受けてまたTHE ALFEEに帰るというように。 常にTHE ALFEEという感覚でソロワークをやってきましたから、色んな部分での挑戦、新しいものは自分への刺激と捉えています。 当時を遡りますが、ソロをスタートさせた背景を改めて教えてください。 1991年だからもう随分前ですね。 ソロアルバムを出さないかという話を頂いたんです。 もともと3枚を出すというお話でしたが、そこで提示された条件は、まずロンドンで録音するということ、そして、プロデューサーをたてるということでした。 それまで自分でやっていましたから、プロデューサーがどういうスタジオワークをするのかと興味を持ちまして。 当時はまだバブル時代でしたので、1枚のアルバムに4人くらいのプロデューサーをつけて、曲によって代えるということでした。 そこにも興味があって、それで始めたのがアルバム『主義-ism:』です。 日本に帰ってきて、THE ALFEEに活かした部分も多々あったので無駄ではなかったですね。 でも大変でした。 4人もプロデューサーがいるから、午前中はこっち行って午後はあっち行って、明日はそっちに行って、という具合に。 ロンドン中を駆け巡っていました。 まだ若かったからそれができましたけどね。 でもプロデューサーそれぞれに個性は違っていましたので、楽曲によって振り分けたというのは正解だったと思います。 その模様は今作の初回限定盤Aにも収録されています。 その時は当時とアレンジは変えたのでしょうか。 『主義-ism:』の楽曲は、意外とそのままのパターンでやりました。 『主義-ism:』のイメージはロマンティシズムでしたので、メロウな曲が多かったんです。 それで当時は、次に出すアルバムは少しハードにいこうかと思っていましたが、相手の環境変化によって『主義-ism:』で一旦終了になって…。 そのためロマンティシズムの集大成のアルバムが『主義-ism:』です。 その間にもインスト作品などは発表していますが、これらは『主義-ism:』とは別括りという印象がありましたが、そのお話しですと、『主義-ism:』の延長線上にあるものと捉えることができます。 ずいぶん期間が空いているから、その続きというよりもTHE ALFEEではやらなくなってしまったハードなものを2007年にやってみようと思って、それでソロ第二期が始まりました。 しかし、そういう流れでは『主義-ism:』の続きでも考えられなくもないですね。 自分で作詞をした曲もありますが、あえて色んなアーティストに作詞を頼みました。 「騒音おばさん」を歌詞に載せてくるのはさすがだなと思って(笑)。 これはやりがいがあるなと思いました。 それで、どういう曲にしようかと、自分の興味も湧きました。 普段、エロいことを言うオヤジから出てくる言葉とは思えないですよね(笑)。 『Fantasia』でも書いてもらって(「Snake & Marguerite」、Elvis Woodstock名義)、そっちはちょっとエロかったけど。 「Super Star」は今の時代にピッタリ合うなと思いました。 僕はいい歌詞だと思っています。 『Kaleidoscope』は全部が異色だから、「歌い直したい」という単純な理由です。 みんないい歌詞を提供して頂いたので、それぞれ思い入れも強いですけど、「騒音おばさん VS 高音おじさん」「Super Star」「禁断の果て」などは今の声で歌ってみたいという思いが強かった。 ライブでもやっていますからね。 2014年に喉を壊されたというお話がありましたが、2015年7月15日発売のシングル「誘惑の太陽」ではEDMなど新しい音楽と取り入れるとともに、歌唱の変化を象徴するように、今の歌い方になっています。 その「誘惑の太陽」も今回、歌い直しています。 この意図は何でしょうか? これは単純に最近の曲なので歌い直さなくても良かったんですけど、これまでの曲を歌い直しているので、「こいつもやっとこうか?」みたいなことですよ(笑)。 歴史を振り返ったときにこの曲だけ歌い直さないのも中途半端だなと思いまして。 それ以降なのが「誘惑の太陽」で。 その違いはオリジナルを聴いても顕著です。 結局は丁寧になったということです。 今までは乱暴だったから(笑)。 色んな事をやっているので時間がないからいつも最後に歌を入れるですよ。 時間的制約のなかではどうしても限界があって。 だけど、そういう部分では「ヴォーカリストとして歌をちゃんとやれよ」ということで、2014年に神様が試練を与えたんじゃないかなと思っています。 その変化を通して、高見沢さんからは声に対する美意識、美への追及を感じられます。 美かどうなのかはわからないんだけど、自分の声が高いからそれがあまり好きでない部分もあるんです。 それで、がなっていたというのもあるんですよ。 でも喉を壊してからちょっと大事にしようと思って、丁寧に歌うことを心掛けるようになりました。 そうすると逆に、昔の歌い方よりも、今の歌い方の方がメロディラインははっきりわかるんです。 これは僕の場合ですが、変にシャウトするよりもロックっぽくなるんだなと思えました。 こうして歌い直した曲を聴いて改めて感じる印象は「メロディがちゃんとしているな」ということでした。 どんなハードロックであろうと僕はメロディを大事にしてきましたから、メロディが際立ったなと感じました。 これまでも大事にしてきたことは「メロディをちゃんとしよう」という点ですので、よりそこが強くなったと思います。 クラシックでもどんな楽曲でも、メロディがしっかりしていないと自分では嫌なんです。 だからメロディラインが綺麗なものは他のどんなジャンルの楽曲でも大好きだし、ハードロックでもメロディがちゃんとしている曲の方が好みです。 そうした考えはその頃から受けてきた影響もあるのでしょうか? クラシックが好きだったというのはあるかもしれませんね。 クラシックはメロディの宝庫なので、そこで自分がインスパイアされたところは多いです。 だから、メロディがちゃんとしたものというのは自分なりに構築したいと常々思っています。 だから5月に出したTHE ALFEEの新曲「あなたに贈る愛の歌」もクラシックの要素を加えたアレンジになりました。 その源流は何にあるのでしょうか? 例えば夕焼けを見たり、虹をみたりして綺麗だなと思う気持ちは誰しもが持っていると思います。 そういった美しい風景や美しいメロディを感じる感性というのは失いたくないと思っているから、そこを自分の作品に取り入れていきたいとは常々思っています。 人間は美しいものには心癒される部分があると思っているから、自分が作り出す作品も、美しいメロディとかそういったものを目指しています。 三島由紀夫に限らず多くの本を読みますが、日本語として美しい文体の本は好きです。 情報量が多いですし、世界中で共有もできてしまう。 そこが便利で良いという部分もあるけど、やはり人間の感性を濁らせている部分もあるかもしれませんね。 誰もが同じものを共有するので、自分が、どれが本当に良いと思っているのかわからないんですよね。 みんなが共有しているものが必ずしも良いとは限らないですから。 音楽だけは、自分が発信するものは、自分の個性、THE ALFEEという個性を大事にしていきたいと思っています。 その前にも喉を壊されたから歌い方を変えた、というのがありますが、それがなくとも変化していたのではないかと思います。 前回のインタビューでもTHE ALFEEは3人のコーラス「3声」が重要と話していました。 THE ALFEEの場合はコーラスがメインでやってきたので。 コーラスは3人の声が塊で聴こえるラインがあるんです。 それを追求していくと聴いていて気持ちいいメロディライン、美しいハーモニーがあって、さらにそれを追求していく、ということを続けています。 それは必然的に昔からやっていたという部分はありますね。 僕がTHE ALFEEに入る前、それはアマチュアの頃ですね。 その頃はロックをやっていました。 THE ALFEEの前身「コンフィデンス」はサイモンとガーファンクルとか、本当に美しいハーモニーをメインにやっていたグループだったんです。 逆に僕はそれにインスパイアされた部分があります。 それまでフォークソングというのをやったことがなくて、2人に出会ってからそういう曲を聴くようになったんです。 そこに、僕がやってきたロックの要素を上手く取り入れて、今のTHE ALFEEのサウンドが確立されたのかなと思います。 その根幹にあるTHE ALFEEについてお聞かせください。 フォークグループとしてデビューされ、その後、様々なアーティストのバックバンドを務められました。 しかし、売れるまでに10年の月日を要しました。 売れるきっかけはどういったものだったのでしょうか。 売れることはヒット曲を出すということなんでしょうけど、それはみんなプロになったら目指しますよね。 僕らの場合は最初、オリジナルで評価されたグループではなくて、イーグルスとかの洋楽のコピーが上手いグループということで評価されてデビューをすることになったグループです。 だからオリジナルはなかったというのが正しくて、最初はプロの作家が書いた作品でデビューしました。 当然そうなってくると、自分達の主張がないように思われてしまうんです。 遅いんだけど、デビューをして2、3年経って「曲を作らないとまずいかな」と思って、曲を作り出しました。 だけど僕はロック畑でやってきたので、フォーク的なものをよく知らなかったんです。 それは坂崎とかに聞いたりレコードを聴いたりして勉強しました。 どうしてもオリジナルでヒットを出したいという気持ちが強くなってきて。 そこの時点でも時間がかかっていますから。 歳を重ねていくなかで、ロック寄りのこともやりました。 しかし、それまでは異なるレコード会社からリリースするということになって、それで再び3人だけのアコースティック路線に戻りました。 そのときに、この路線でやっていくんだろうなと思っていたのですが、ボサノバやタンゴっぽい曲など色々な楽曲も作っていました。 でもことごとく外れるんですよ。 言われたものを作っても売れないとなると、自分の音楽の嗜好であるロックの方向へ行くんですね。 それで自分の好きな方向で作っていこうということで、バンドも少しずつアコースティック路線から、ドラムやキーボードを入れてロック調にしていこうじゃないかというバンド改革を始めるんです。 それが1981年くらいですかね。 なぜそうしようと思ったかというと、お客さんがある時に熱狂するんです。 3人のアコースティックなのに総立ちになっちゃうんですよ。 そうなってくると、オーディエンスに合わせるような楽曲も欲しくなってくるんです。 そうするとロックっぽい曲も作るようになって。 そういうことをすることによって、アコースティックサウンドも活きるようになっていきますから、これは幅広くなっていいなと思ったんです。 1982年に初めての野外コンサートを所沢航空記念公園でやって5000人動員したんです。 それに手応えを感じて、それで「この路線でやっいこうじゃないか」ということになったんです。 それで曲を作っていって少しずつ伸びてはきていたんですけど、爆発的なヒットにならなかった。 だけど1983年に、ヒットはないのに日本武道館公演だけ決めちゃったんですよ。 結成10周年ということで。 その武道館公演までにヒットを出そうというメンバー全員の思いと、レコード会社全員の思いで出した楽曲があって、それは、初動は50位までいって良かったんですけど、そこからまた落っこちちゃったんです。 そこで僕はもうある程度のヒットは無理だなと思って、コンサートは続けていきたいけど「もうヒットはいいかあ」と少し諦めが入りました。 そのときアルバムを作っていて、武道館までにもう1枚シングルを出さなければならなかったんです。 アルバムからのシングルカットにしようということになって、当時のディレクターが選んだのが「メリーアン」だったんです。 僕はもうどれがいいのかわからなかったので、「いいですよ。 それでいきましょう」ということでシングルカットしたんです。 そうしたらそれがヒットしちゃったんですよ。 自分的にはヒットを狙ったものではないものがヒットしたので、「事故」ですよね(笑)。 だってあれだけ一生懸命やったのがひとつもヒットしなくて、「もういいんじゃないですか?」というなげやりになった曲がヒットするんだから、わからないものですよね…。 ベストテン番組が全盛の時代で、そのなかのあるコーナーで、これから来そうな楽曲として取りあげてくれたんです。 大阪城野外からの中継だったので、それがかなり大きかったと思います。 テレビの力もあったんですかね。 そこはジレンマというか、自分の才能の限界かなとか思っていましたけど、コンサートはできている訳だし、そこで良しとしようという部分はありました。 だから「メリーアン」が出てちょっとホッとした部分もあるけど、これで安泰だなと思っていたらディレクターが「次はどうする!? 」って。 「メリーアン」の次のシングルは「星空のディスタンス」なんですけど、今でも覚えているのが、ディレクターが「いいか高見沢、ここで頑張らないと一発屋で終わるか、次も繋げられるか、その別れ際だ」と、次の曲が大事だと言うんです。 「またやるのかよ…」みたいな。 だから「星空のディスタンス」がヒットしたときは「メリーアン」がヒットしたときとは違った意味で嬉しかったですね。 もうヒットしてからの方が大変ですよね。 次もやらなければいけないから。 そのまた次、また次……という感じで終わりのない中間テストを受けているようなものですよ。 終わらないですから。 でもおかげさまで「メリーアン」からずとベストテンに入っていて、そこは凄くありがたいと思っています。 (編注=今年5月発売の「あなたに贈る愛の歌」でオリコン歴代2位の51作連続シングルTOP10入り記録を更新)。 30年でやめたら40年目の新曲もないんです。 40年でやめちゃったら43年目の今年の新曲「あなたに贈る愛の歌」はない訳で、やはりやり続けていると新しい曲が必ず生まれてくる訳で、その中でクラシックというのも生まれてきたんです。 やらなかったらそれは目の前には出てこなかったもので、今は小説も書いていますから、それはやり続けてきた結果です。 まさか自分が小説を書けるとは思っていなかったし、そういう扉も出てくるんです。 やり続けることにおいて、何か新しい扉が目の前に出てきて、それを開けるとまた違う扉が出てくるんです。 やり続ける意味というのはその繋がりでしょうかね。 1人じゃ無理だったから。 3人という塊で乗り越えてきた部分があるし、それぞれ個性が違うので乗り越える場面もそれぞれ違うのかもしれないですけど、常に3人で壁を乗り越えてきたという自信は自分の中にあります。 コンサートは2639本かな? それくらいこなしてきたという自負もありますからね。 こうなったらできる所までやっていきたいという気持ちが強いから、そのなかで色んな新しい扉が目の前に現れたら開いてみようと、そういう気持ちです。 当初は自分では小説なんて書けないと思っていました。 でも知らないうちに経験というものが、自然に蓄積されていくんだろうね。 小説は、エッセイを依頼されて書いたら編集の方にいたく気に入って頂いて、「書きませんか?」と言われたんです。 背中を押されたようなものですよ。 僕にできるだろうかと不安もあったけど。 自分の経験というフィールドは音楽畑なので、音楽一筋でやってきた人間の表現方法もあるのかもしれないと思って、やってみようかと思った次第です。 僕は詩が好きなのでよく読んでいたんです。 歌の歌詞については少し楽観視していたのですが、いざ書いてみたら歌詞ほど難しいものはないなと改めて痛感しました。 なので、逆に難しいことを書いていたら「これ歌にならない」とディレクターによく言われたりして。 歌詞の重要性というのはミュージシャンにならなければわからなかったです。 作詞家には凄いと思う方がたくさんいます。 自分なりの表現がありますからね。 THE ALFEEにも個性がありますから、それはやっていくなかで培ってきたものだと思います。 そうなの? 僕は、歌詞は駄目だなとずっと思っていて。 アレンジやメロディは自信あるんだけど歌詞はなかなかね。 でもそういう風に言って頂ける方も少しずつ増えてきて、そうやって言われると「そうか、俺は大丈夫か」ってと思うんです。 褒められて伸びるタイプだから(笑)。 「そうか、俺は良いんだ」と思うことね。 人間ってそうじゃない? 「お前は駄目な奴だ!」と言われたら駄目になっちゃうよ。 「いいよ!」と言った方が良いんだよね。 そういう意味でも昔より歌詞はできやすくなりました。 今回はアルバム『美旋律~Best Tune Takamiy~』を引っさげてのコンサートになりますけど、去年、ビルボードでやったイメージと今までやってきたちょっとメタルなイメージをミックスしたようなコンサートにしたいし、ギタリストとして鳥山雄司さんと初めてやるので楽しみなんです。 サウンドも変わると思うし、Takamiyならではのコンサートにしたいと思っています。 universal-music. alfee. universal-music. universal-music.

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旭川北高いいんでない会の掲示板

僕 は 何 年 経っ て も 君 に 会 いたく なっ て

「マスクしてるか-! 手洗えよー! コロナに負けるなー!」。 5月2日(土)夜にNHKBSで放送された『外出自粛の夜に~ウクレレでリレー音楽会~』(再放送あり)で、高木ブーさんはおなじみの「いい湯だな」をウクレレで奏でながら、日本中に呼びかけた。 長く続く「ステイホーム」の日々、ブーさんは何を思いどう過ごしているのだろうか。 (聞き手・石原壮一郎) 家族にダメ出しされた初めてのリモート撮影 このあいだ放送された『外出自粛の夜に~ウクレレでリレー音楽会~』(NHKBS1)は、おかげさまで好評だったみたいで、番組が終わってからすごくたくさんのメッセージやコメントをもらってます。 僕にとっては、志村けんの追悼番組(4月1日、フジテレビ)以来、久しぶりのテレビ出演でした。 サザンオールスターズの関口和之君がトップバッターで、ジェイク・シマブクロ君や荻野目洋子さん、アマチュアの愛好家の人たちなど、日本とハワイの16人のウクレレ奏者をつないで、最後にバトンを受け取ったのが僕。 志村のことや自分とウクレレの関係を少し話して、「ブルーハワイ」と「いい湯だな」を歌わせてもらいました。 撮影協力/HUB浅草) フィナーレは、16人で「星に願いを」をリモートで合唱。 それぞれが離れた場所で歌ってるんだけど、音楽は見てる人も含めてみんなの気持ちをつなげて、つらい気持ちを癒やしてくれるんだなって思って、ちょっと泣きそうになっちゃった。 再放送(詳細はプロフィール欄に)も何度かあるみたいだから、よかったら見てください。 この番組では、今のご時勢ならではっていうか、自分の家でのリモート撮影にも初挑戦しました。 娘のかおると旦那さんがそれぞれのスマホで撮影してくれたんだけど、ディレクター役の娘がなかなか厳しいんだよね。 「お父さん、目線をもっと上に」とか「表情をもっとやわらかく」とか、いろいろダメ出しされちゃった。 それも含めて楽しかったな。 僕が歌っている後ろには、「飛べ!孫悟空」(TBS系、1977~1979年)のときのメンバー5人のぬいぐるみが並んでます。 番組で実際に使われた人形をモデルにして、かおるの旦那さんの妹たちが手作りで作ってくれたんだけど、よくできてるよね。 これがあると僕もメンバーといっしょに歌っている気持ちになれるし、見ている人がドリフのことを思い浮かべてくれるかなと思って。 長さんも志村もいるしさ。 リモート撮影時にも映っていた 「ブルーハワイ」を歌っているときは、前にこの連載にも載せてもらったけど、1974(昭和49)年にドリフのメンバーみんなでハワイに行ったときの写真が画面に映し出された。 もう46年前か。 僕もみんなも若かったなあ。 「いい湯だな」を歌っているときは、「8時だョ! 全員集合」のエンディングで「ババンババンバンバン」って踊ってたときの気持ちがよみがえってきた。 見ているみなさんも、あの頃に戻ってくれたとしたら嬉しいです。 わりと時間があるから、いつもはできないことをやってる。 昔やったハワイアンの楽譜を探してきて練習してみたり、コーラス用の譜面を書いてみたり。 古い写真の整理もしてて、それでハワイの写真も出てきたんだけどね。 YouTubeで志村の追悼でアップされてる「ドリフ大爆笑」やWOWOWプライムでやってたドリフの映画も、立て続けに見ちゃった。 なんだかんだでやることがいろいろあって、それなりに充実してるのかな。 ライブで歌えないのは寂しいけど、それはしょうがない。 またできるようになったときに備えて、しっかり準備を重ねたり、やりたいことのイメージをふくらませたりしておきます。 久しぶりのステージは、演奏するこっちも聴いてくれるお客さんも、また格別の気分だと思うよ。 こういう状況になってあえてよかったって言えるのは、家族そろってご飯を食べる機会が増えたことかな。 感染の初期症状として味や匂いがわからなくなるって話もあったから、ご飯食べながら「うん、おいしいから大丈夫」なんて言い合ったりしてね。 かわいそうなのは、孫のコタロウだよ。 春から高校に入学したのに、入学式もなかったし学校にも行けてない。 高齢の僕がいるからって、外出も我慢してくれている。 このあいだ「エレキギターをやってみたい」って言うから、僕が持っていたのをひとつあげた。 「ここはどうすればいいの?」「こう押さえるんだよ」なんて調子で、マンツーマンでエレキ教室をやってる。 彼の興味がこのまま続いて、いつかセッションとかできたら嬉しいな。 コロナとの戦いは、まだ長引きそうです。 番組でも言ったけど、今が踏ん張りどき。 みなさん、なるべく家にいましょう。 くよくよしたってしょうがない。 がんばりましょう! 「音楽は、つらい気持ちを癒してくれるんだなって思ったら、涙が出そうになったよ」 高木ブー(たかぎ・ぶー)1933年東京生まれ。 中央大学経済学部卒。 いくつかのバンドを経て、1964年にザ・ドリフターズに加入。 超人気テレビ番組『8時だョ!全員集合』などで、国民的な人気者となる。 1990年代後半以降はウクレレ奏者として活躍し、日本にウクレレブーム、ハワイアンブームをもたらした。 CD『美女とYABOO! ~ハワイアンサウンドによる昭和歌謡名曲集~』など多数。 著書に『第5の男 どこにでもいる僕』(朝日新聞社)など。 『外出自粛の夜に~ウクレレでリレー音楽会~』(NHKBS1)の再放送は、5月5日(火)午後2時~2時50分、5月9日(土)午後7時~7時50分、5月23日(土)午後2時~2時50分の予定。 いしはら・そういちろう 1963年三重県生まれ。 コラムニスト。 「大人養成講座」「大人力検定」など著書多数。 この連載ではブーさんの言葉を通じて、高齢者が幸せに暮らすためのヒントを探求している。 撮影/菅井淳子.

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アウトプットと、アウトプットへの責任について

僕 は 何 年 経っ て も 君 に 会 いたく なっ て

大学1年の女です。 実家は九州で、今は関西の大学に1人暮らしで通っています。 この年末年始、1週間ほど帰省しました。 夏は1ヶ月以上帰省して、関西に戻る時が寂しすぎて戻ってからも5日ほど酷いホームシックに襲われました。 今回はたった1週間だし、大丈夫だろうと思っていましたが…やっぱり寂しいです。 自分で選んだ道なのに甘えているとわかっています。 情けないです。 実家にいるときは母と不仲でむしろ早く出たくて仕方ありませんでした。 たしかに1人暮らしを始めたときは開放感満載で、とくにホームシックにはなりませんでした。 しかし一旦帰省というものをしてみると、 みんなが歓迎してくれて、食べたいものを食べさせてくれて、話を聞いてくれて… こっちの生活が楽しくないわけではありません。 やりたい勉強ができ、友達もでき、バイト先にも恵まれ楽しい生活を送っています。 数日経てばまた1人暮らしに慣れると思いますが、どうもこの帰省前後の数日の寂しさに慣れません。 どうしたら慣れますでしょうか… 帰省のたびにこんなになっていてはダメだと思っています。 Q 現在大学2年で、一人暮らしも2年目の女です。 すぐに慣れると思っていたホームシックが、慣れるどころか時間がたつほど酷くなっています。 どうか自分が涙を拭うことができるような言葉をください。 自分でもおかしいし、乗り越えなければいけなきことなんだとは思います。 親離れしなくてはと思います。 将来就職したら今のように帰ろうとすれば帰れることも、長い間帰ることもできなくなるので、今のままではダメなのは分かっています。 望んで一人暮らしをしたのは紛れもなく私です。 両親の前では泣かないと決め、連絡はとりますが泣いてしまうから電話もしないと決めました。 これまた泣いてしまうので改札で別れるときは絶対に振り向かないと決めています。 これがわたしの精一杯の抵抗です。 でも毎日涙が出て、課題をこなす以外の時間はキッチンに立っていても、掃除をしていても、お風呂に入っていても家族を思い出して涙が出ます。 好きだったいろんなことをするのすら面倒です。 寂しいのか、悲しいのか、辛いのか、分からないけど涙が止まりません。 それに加えてこんなに恵まれた生活をさせてもらってるのに母といたくて泣いてしまう自分も情けなくて、申し訳なくて。 こんな自分のために、家族がどれだけ尽力してくれているのか。 一人暮らしをしなくては分からなかったこと、学べなかったこともたくさんあります。 こんなことは皆通る道なのだと思います。 勇気を出して人に話しても「そんなこと?」と言われ、それ以来怖くて誰かに話してはいません。 でも周りからしたらそれは正しい声なんだと思います。 皆それぞれ頑張って乗り越えているのです。 私が甘えているのです。 親離れしなくちゃと頭では分かっているのに心が追いつけません。 毎日毎日涙を流しているなんて、自分でもどうしたらいいか分からないのです。 現在大学2年で、一人暮らしも2年目の女です。 すぐに慣れると思っていたホームシックが、慣れるどころか時間がたつほど酷くなっています。 どうか自分が涙を拭うことができるような言葉をください。 自分でもおかしいし、乗り越えなければいけなきことなんだとは思います。 親離れしなくてはと思います。 将来就職したら今のように帰ろうとすれば帰れることも、長い間帰ることもできなくなるので、今のままではダメなのは分かっています。 望んで一人暮らしをしたのは紛れもなく私です。 両親の前では泣かない... Q 私は専業主婦の嫁と4歳、2歳になる子供と生活しています。 先日から、子供2人と嫁がインフルエンザになり私1人が元気で朝から仕事に行く日が続きました。 3人家で安静にしていましたが、朝と昼は嫁が何とか動いて子供の食事などをすませ、夜は8時頃に帰宅した私が全く動けない嫁の代わりに子供にご飯を食べさせるような一日を何日か続けていると、私にも移ってしまい家族4人が寝込んでしまいました。 子供は先に元気になっていきましたが、嫁が一番症状が酷く、夜はうなされ、ろくに睡眠もとれていない様子でした。 それでも、普段仕事をしている私を気遣ってか、動けなくなった私に「隣の部屋で一人で寝てていいよ」と言ってくれ、私はその言葉に甘えて丸一日、1人で部屋で寝ました。 この間は、かなり無理して嫁が子供の世話を一人でしてくれていました。 そして次の日には、嫁ばかりに子供の世話を押し付けるのも良くないと思い、3人がいる居間に私は顔をだしました。 一日眠ることが出来ましたが、まだ激しい頭痛が残っていたため、横になりながら子供の様子を見ていると、「横になってると部屋が狭くて子供が遊びにくいから、向こうの部屋に行って。 」と言われ、また別の部屋で寝ることにしました。 そうしていると、夕方頃に私の部屋にきて「あなたはほんとに自分のことしか考えないね。 」と突然言われ、「子供の世話は私一人がするものなの?あなたも体調が悪いと思うけど、私もずっと悪い。 それでも毎日子供の朝、昼御飯を作っていた。 一度でもあなたは子供の御飯考えたり作った?少しでもその気があれば、まだあなたが元気だった時なら、朝、お米を炊いてから出かけるとか、子供の御飯を用意してから出かけるとか出来たでしょ?そしたら、私はフラフラでもそれを出すだけで簡単に出来るとか思わなかったの?居間に来ても何もしないで横になってるだけなら意味ない。 私はしんどくても動いて子供の世話をしてるのにあなたは自分のことだけ考えてていいわね。 」 と、言われました。 「君の言ったとおりではあるけど、私は私なりに仕事から帰ってきて御飯を食べさしたり自分が出来ることはしてたつもりだった。 自分のことしか考えてなかったように思われて、君のことをもっと考えて行動出来てなかったって思われてるなら、それは、ごめんね。 」と言いましたが、 「御飯を食べさせることが出来てたのも、私が夜までに御飯を炊いて準備してたからでしょ?それに今さら謝っても、時間も戻ってこないし意味がない。 一生許さない。 」の一点張りで、何度謝っても、「一生許さない」に返ってきて、もう何も言えないまま無言でいる時間の方が多くなってしまい、そうなると「しゃべらないなら時間の無駄、出て行って。 」と言われます。 正直、私は自分のことばかり考えていたわけでも無く、嫁に全部やらせようと思ってたわけじゃありません。 「少し休みたいから代わってくれる?って言ってくれればよかったのに。 」とも言いましたが「そんなこと言える性格じゃないのにわかるでしょ?しかも言わないと分からないの?」と返されます。 こんなやり取りを続けるのがしんどくなっており、何も言えなくなってきていて、無言ばかりが続き「黙ってばかりで時間が無駄になってるのわからない?」と言われています。 どう対応すればいいでしょうか?みなさまの知恵をかして下さい。 私は専業主婦の嫁と4歳、2歳になる子供と生活しています。 先日から、子供2人と嫁がインフルエンザになり私1人が元気で朝から仕事に行く日が続きました。 3人家で安静にしていましたが、朝と昼は嫁が何とか動いて子供の食事などをすませ、夜は8時頃に帰宅した私が全く動けない嫁の代わりに子供にご飯を食べさせるような一日を何日か続けていると、私にも移ってしまい家族4人が寝込んでしまいました。 子供は先に元気になっていきましたが、嫁が一番症状が酷く、夜はうなされ、ろくに睡眠もとれていない様子... A ベストアンサー なるほど~。 ご質問内容も回答も読んで色々となるほど~と思いました。 こう言う回答を書くと恐らく男女問わず「ないわー」と言われそうですけどまぁ「男の人ってデリカシーと配慮が足りないよね」って思いました。 女性としては「具合の悪いのときに配慮してくれない夫ほど憎らしいものはないよねー」って思います。 だっていざって言うときに頼れる筈の病めるときも健やかなるときも支えあうと誓った相手な筈なのにいざって言うときにぐーすか寝てたらまぁ腹立つでしょう。 あとね、「言わなきゃわからない」論がよく出てますし、私も確かにそうだと思います。 でもね、じゃあなんで男性は「言わなきゃわからない」と思っているならば「なんで聞かないの?」とも思うわけですよ。 察することができないならば尋ねましょうよ。 「どうしてほしい?」「君もしんどいでしょ? 自分が少しは代わるよ。 何してほしい?」って。 つまり「言わなきゃわからないんだから聞かれなくても全部勝手にぺらぺら説明するのが当然」論もどうかと思うんですよね。 お互い歩み寄っても良いんじゃないかな~。 とまぁ女性としては思うわけですよ。 >普段仕事をしている私を気遣ってか、動けなくなった私に「隣の部屋で一人で寝てていいよ」と言ってくれ、私はその言葉に甘えて丸一日、1人で部屋で寝ました。 これ、外れの対応です。 奥様も24時間インフルエンザなのに家事育児しています。 なのに何故質問者さんは仕事が終わって帰宅すれば休めるのに奥様より楽していらっしゃるのでしょうか。 奥様はいつ休むのですか? お二人ともご病気なのですよね? でしたら質問者さんも奥様を気遣うべきなのでは? 多分奥様としては「一人で寝てていいよ」は一日中とかではなく適当なところで切り上げて手伝いしてくれるなり家事育児看病を交代してくれるなりを期待していらっしゃったのでは。 「言わなきゃわからないだろう」とお考えかもしれませんが奥様は「あなたの病気が治るまでずっと何もしないで休んでいてね」とは仰ってませんよね。 「寝てていいよ」を勝手に「ずっと休んでいていい」と都合良く解釈したのは質問者さんでしょう… >そして次の日には、嫁ばかりに子供の世話を押し付けるのも良くないと思い、3人がいる居間に私は顔をだしました。 で、このときに「昨日は休ませてもらったから今日は自分が全部やるよ」と伝えましたか? 何も言っていないので奥様目線からは前日も一日中何もしないで寝ていたのに今日も何も言わずにごろごろしている、としか見えていないかと。 だって質問者さん言ってませんから。 「昨日はごめんね、ずっと寝てて。 休ませてくれてありがとう。 今日は自分も手伝うよ。 何すればいい?」と声をかけましたか? お互いが言葉足らずなのでは。 >「君の言ったとおりではあるけど、私は私なりに仕事から帰ってきて御飯を食べさしたり自分が出来ることはしてたつもりだった。 自分のことしか考えてなかったように思われて、君のことをもっと考えて行動出来てなかったって思われてるなら、それは、ごめんね。 」 これ、喧嘩売ってますよ。 訳すると「自分は悪いことをしたとちっとも思わない。 でも君が勝手な被害妄想で僕が悪いと思っているようだから謝るだけ謝っておくよ」みたいな感じですね。 別に質問者さんにそのつもりがなくても相手にそうとれるような言い方をしていたことに問題があります。 多分そこで「なんて酷いことをしてしまったんだろう。 本当にごめん。 謝ったからと君のつらさがなくなるわけじゃないけど本当にごめん。 そりゃそうだよ。 君がご飯を作って頑張っているときに寝てるだけなんてそりゃ怒って当然だ」ぐらい思って言えてたら喧嘩にはならなかったかもしれないですね~。 奥様を非難する回答が多くありますがそれで質問者さんの自尊心を保てたとして仲直りには至らないのではないでしょうか。 奥様には奥様の色眼鏡を通した体験があります。 質問者さんには質問者さんの色眼鏡を通した体験があります。 少しだけでもご自分の色眼鏡を外して奥様の色眼鏡をかけてみてください。 そこで「そうか、そんなに大変だったんだね。 怒って当然だ。 一生許さなくていい」ぐらいの心持ちになれたら奥様も質問者さんに対しての態度などについて謝れるのではないでしょうか。 喧嘩しているときに覚えておくのは難しいですが夫婦は敵同士ではなく味方です。 「敵に責められた! 自己防衛しなければ!(俺は言われるほど酷くない!)」 ではなく 「妻が辛い思いをしたようだ。 慰めなければ」 になれたら今の環境も変わるかもしれませんね。 なるほど~。 ご質問内容も回答も読んで色々となるほど~と思いました。 こう言う回答を書くと恐らく男女問わず「ないわー」と言われそうですけどまぁ「男の人ってデリカシーと配慮が足りないよね」って思いました。 女性としては「具合の悪いのときに配慮してくれない夫ほど憎らしいものはないよねー」って思います。 だっていざって言うときに頼れる筈の病めるときも健やかなるときも支えあうと誓った相手な筈なのにいざって言うときにぐーすか寝てたらまぁ腹立つでしょう。 あとね、「言わなきゃわからない」論... Q 夫と結婚して9年。 2人の子供にも恵まれています。 夫との結婚生活について、今後どうしようかと悩んでいます。 というのも、夫にとっては理想の方向に進んでいるのですが、私にとっては自分の理想とはかけ離れた、損ばかりの生活なような気がしてならないからです。 夫と出会ってから、夫の借金、奨学金など、たった400万程度ですが、私や私の両親の手助けによって返済が完了し、今は余裕はないものの、負債はない状態になりました。 もともと東京で生活していましたが、5年ほど前、夫の地元である北東北では名の知れている企業にIターン転職をし、今は夫の地元の県に在住しています。 その反面、私の地元は東海地方で、北東北での生活は気候や言葉、文化、地域の人柄などの違いに今でも苦労しています。 そのうち、義母との同居も始まるのだろうと思います。 夫はこれから親孝行するぞと思っているようです。 私は遠い地元にいる両親とは、今後死ぬまで数えられるほどしか会えないし、孫の顔も気軽に見せられません。 私と出会うまでの若い頃は、借金まみれで親にも感謝できないような男だった夫が、今では妻と子供2人を連れて東京から地元に戻って、地元のそこそこ有名な企業に勤め、いずれは母親を連れてマイホームを建てて親孝行をする。 最高の人生を歩んでいるなと、妻の私からみて思います。 打って変わって私は、夫と出会って借金を一緒になって返し、何の魅力も感じない田舎で雪と寒さの中で、孤独と戦っています。 新幹線で片道6時間。 両親とはすごく仲がよかったのに、簡単に顔を見せることもできません。 帰省のときの年老いた姿や寂しげな表情をみると、私はこんなんでいいのかな?と思ってしまいます。 子供たちを授かれたことはすごく幸せですし、感謝もしています。 けれど、なんだか自分のツキや運を、すべて夫に吸い取られているような気がしてしまいます。 これまで夫を愛しているから、ダメな男だった夫を立て直そうと頑張ってきました。 でも最近は思いやりのなさなど小さな不満が溜まってきて、なんのために頑張ってきたのか、旦那ばかり美味しい思いをしていることが、腹立たしくおもってしまいます。 過去に縛られてはいけない。 今やるべきことを。 目の前にあるものを大切にしよう。 そう思ってやってきましたが、これまで私を大切にしてくれた、両親や地元の人たちには、私は何も返してあげられません。 とても悲しいです。 子供達にも、私と同じように大切で大好きな故郷を作ってあげられるように、私が後戻りしてはいけない。 子供達のために、今の幸せを大切にしなくちゃいけない。 そう頭では思うんですが、じゃあ私の気持ちはどうなるの?夫やそこに住んでいる人達には悪いのですが、こんな場所で一生が終わるのかと思うと、お先真っ暗とすら思います。 夫のために、妻は黙ってついていく。 夫が幸せになるために、犠牲になってでも支えていく。 結婚ってそーいうものなんでしょうか? 私はどうしたら良いでしょうか? 見る目がない、自分と同じレベルの人と結婚した、自分が選んだ道。 大きな不幸があるわけではないのに贅沢。 ということは重々承知です。 その上で何かアドバイスいただけると嬉しいです。 夫と結婚して9年。 2人の子供にも恵まれています。 夫との結婚生活について、今後どうしようかと悩んでいます。 というのも、夫にとっては理想の方向に進んでいるのですが、私にとっては自分の理想とはかけ離れた、損ばかりの生活なような気がしてならないからです。 夫と出会ってから、夫の借金、奨学金など、たった400万程度ですが、私や私の両親の手助けによって返済が完了し、今は余裕はないものの、負債はない状態になりました。 もともと東京で生活していましたが、5年ほど前、夫の地元である北東北では名... A ベストアンサー 当方50代のおばさんです。 まずは毎日お疲れ様です。 今までよく頑張ってこられましたね。 いろいろ頑張りすぎて疲れて、燃え尽きかけてるのかもしれませんね。 本格的にガックリ倒れてしまう前に、これまでの生活を見直しされてはいかがでしょうか。 まず遠方の親御さんについてですが、今は介護のためにまとまった休みを取って通ったり 勿論お金はかなりかかりますが 、一時的に家族と離れて親元で暮らす人もいます。 卒婚なんて言葉も最近はありますね。 これは離婚せずに夫婦バラバラになって過ごす状態を言うそうです。 なので、今の生活に縛られ続けず、親御さんのことも視野に入れつつ、でも離婚まではしないで暮らすことは工夫次第で可能です。 貴女の夫はすぐには同意しないかもしれません。 でも、一回こっそり、きっちりお金の計算をして、何にどれだけかかるか炙り出してみるといいと思います。 そして「良さそうな未来」のためだと思いながらお金を貯めていく。 一生このままだと思うより、ずっと生活に張りが出ると思います。 次に、家事問題。 現在貴女の夫がどれだけ家事をしているのか分かりませんが、大して分担してないなら負担を増やして、ガッツリしごいてください。 勿論お子さんにも徐々にお手伝いさせていきます。 貴女がいつ家を空けてもいいようにするんです。 その代わり、家事のクオリティや見た目の不味さには拘らないこと。 今まで「良い妻」「良い母親」を目指していらしたのなら、家族をこき使って笑顔でお礼が言えるスパルタ母さんにジョブチェンジしちゃってください。 それと、北国住まいだと、日照時間が足りなくて鬱っぽくなる人も少なくないそうですが、毎日ちゃんと眠れていますか。 睡眠不足のようなら、病院で眠りやすくなるお薬をいただいてきましょう。 田舎にお住まいとのことですので、病院に行くとあーだこーだ周囲から言われそうでお嫌かもしれませんが、睡眠は生活の基本ですから我慢しないでください。 出来れば病院に行く前に、夫に「将来を考えると気が塞いで眠れないから精神科に行ってみたい」と言ってみましょう。 精神科と聞いて夫が嫌な顔をしたら、むしろチャンス!です。 妻が病院に通うのも嫌がる夫に仕える価値など無い!と宣言して、電光石火で実家に引き上げましょう。 夫が謝罪してきたら、反撃開始です。 これから離婚までしなくても親の介護などで離れて暮らす可能性があるので家事分担を全面刷新することや、夫側の家族との同居はしない どうしてもするなら完全二世帯にするなどプライベートを確保し、スマートスピーカー等今時の見守り対策をして管理は夫がする などをバンバン提案して、受け入れてもらいましょう。 交渉ごとには気合いが必要なので、今の貴女のお疲れ具合からすると、いきなり全部やるのは難しいかもしれません。 でも幸せに暮らし続けたかったら、例えばこういう「ふっかけ」も時には必要だということは覚えていてください。 自分を幸せにするのは、夫でも子供でもなくて、いつだって貴女自身です。 どうかご自分の力でつかみとってくださいね。 当方50代のおばさんです。 まずは毎日お疲れ様です。 今までよく頑張ってこられましたね。 いろいろ頑張りすぎて疲れて、燃え尽きかけてるのかもしれませんね。 本格的にガックリ倒れてしまう前に、これまでの生活を見直しされてはいかがでしょうか。 まず遠方の親御さんについてですが、今は介護のためにまとまった休みを取って通ったり 勿論お金はかなりかかりますが 、一時的に家族と離れて親元で暮らす人もいます。 卒婚なんて言葉も最近はありますね。 これは離婚せずに夫婦バラバラになって... Q 飲酒運転通報 質問させていただきます、よろしくお願いします。 知り合いに飲酒運転常習者がいます。 その人は普段でも運転が荒いので、被害者が出る前に警察に相談しました。 初めて相談したのが一年程前だったと思います。 伝えたのは主に飲酒をして運転するであろう曜日、時間帯、場所です。 パトロールは強化するが難しいとだけ言われ、未だ捕まっておりません。 忘れているのではないかと何度か電話してます。 荒い運転に粗暴な性格。 そんな人のせいで誰かを犠牲にしたくありません。 なんとかして捕まってほしいものですが、そんなに検挙は難しいものなのでしょうか? 飲酒運転を通報した事ある方、やはり逮捕まで時間かかりましたか? ちなみに、家族や友人から再三の注意を受けても止めません。 目上の人からの注意なら「もうしません」 身近な間柄なら「うるせえ黙れ」 といった感じです。 まとまりのない文章ですみませんが、どうかアドバイスよろしくお願いします。 A ベストアンサー 矢沢さんに限らず、好きな歌手の大きなステッカーを車に張っている人は、自己主張が強い人が多いと思います。 さらに加えてYAZAWAのファンの方は 男らしさにも憧れている人が多いと思います。 男らしさについては人それぞれ考え方があります。 そのため中にはおつむが弱くて傍若無人に振舞う事が男らしい事だと勘違いしている人もいると思われます。 その二つが合わさった結果、自己主張の強い 傍若無人な運転の車が出来上がってしまい、不快に感じたのだと思います。 矢沢さんに罪はないんですけどね。 むしろ馬鹿なドライバーのせいでイメージを悪くされている被害者ですよね。 頼むからそういう奴は そのステッカーはがしてくれと思っていると思いますよ。 Q 会社を解雇されてしまい、現在は無職です 30代の男性で、独身です 解雇理由(詳細は省きます)が納得出来ず、弁護士に相談しました 不当行為とのことで、解雇無効を争い訴訟中です 毎日、何もやることがなく、お金もなく、退屈な毎日を過ごしています まず、家に居たくありませんので、毎日、日中は外出しています なぜ、家に居るのが嫌かと言うと、いままでスーツを着て毎朝出掛け夜に帰宅する生活だったため 日中、部屋で生活するのをまわりの人達に知られたくありません 外出すると行っても、自転車でぶらぶら、商業施設を歩きまわったり、ベンチに座ったり お金も無いので、昼食も抜きで腹をすかせてイライラしています 訴訟中につき、再就職するわけにも行かず、ポスティングや配達のバイトでもしようと考えましたが 解雇無効に伴う賃金仮払い処分を裁判所に申請しているため 話のコンセンサスが合わない行為はなるべく避けるべく、バイトは差し控えています もう毎日が退屈で退屈で仕方ありません どなたか、どのように生活したら良いかアドバイスをいただけないでしょうか? よろしくお願いいたします 会社を解雇されてしまい、現在は無職です 30代の男性で、独身です 解雇理由(詳細は省きます)が納得出来ず、弁護士に相談しました 不当行為とのことで、解雇無効を争い訴訟中です 毎日、何もやることがなく、お金もなく、退屈な毎日を過ごしています まず、家に居たくありませんので、毎日、日中は外出しています なぜ、家に居るのが嫌かと言うと、いままでスーツを着て毎朝出掛け夜に帰宅する生活だったため 日中、部屋で生活するのをまわりの人達に知られたくありません 外出すると行っても、自転車... Q おはようございます 聞いてください 自営業だった両親の年金が足りないため、10年前から毎月援助しています それなのに、新車を買ったり、旅行へ行ったりと納得できない使い方をされ 数回トラブりました。 それでもスマホや装飾品を買ったり、旅行もやめません。 もう援助は難しいと話したら、「教育費にかかるって言っても、 向こうの親からの遺産があるでしょ。 それを使えばいいんじゃないの(母にあげるお金は)」 と言われました。 今までだったら疑うこともせず、本当に本当に言うなりに出していましたが、 心を鬼にして(しないと言えないので)断固拒否しました。 これだけトラブってもまた旅行へはやめません。 そんな親が大病を患いました。 おそらく今後、治療費を求められると思います。 私はずっと母の言うことを聞いて生きてきました。 何も疑わず、言われるがままに人生を決めてきました。 金銭援助も、「自営業やめてから、苦しいのよねぇ。 国民年金はこれだけだし・・」 とだけ言われ、「援助するね」という言葉を私から引き出しました。 私が言うのを待っていました。 もちろん金額もです、私から言い出しました。 それを待っていたんです。 自分からは言わずに・・・。 回転が速く、機転が利き、人生を生きるのに頭が良い母に、 ずっと長いこと操作されてきました。 あることをきっかけに40歳過ぎて、 ようやくようやく気付きました。 若いころは「私を大切にしてくれてる親だから・・。 」結婚して子供が出来てからは ただただ感謝の念で「頑張って育ててくれた、愛してくれたから、、 だから恩返ししたい、・・・」という思いだけ(援助も)でやってきました。 もうイヤなんです。 私を上手く都合よく動かしてきたことに気づいてしまった今は もう、育ててくれた感謝の気持ちとは別に、会いたくない、関わりたくないと思っています。 私も二人子供をもうけました。 子供の可愛さ、大切さは 本当に言葉では表しきれません。 だから母も私に対しては、そうだとは思います、でももうホントに嫌です。 確かにうちは遺産が入ったので、お金というものはあります。 でもそれは教育費です。 孫に残してくれたお金だと思ってますし 教育に熱心で、孫の将来を楽しみにしていた義親です。 教育費に使うのが一番喜んでくれるはずだと思い、他のことは日々節約しています。 お金、があるのに、治療費・手術費(高額なものとかありますよね?) それを払わないのは、やっぱり人の道に反してるのでしょうか。 心苦しい気持ちもあるんです(涙) どなたかお考えを聞かせてください。 おはようございます 聞いてください 自営業だった両親の年金が足りないため、10年前から毎月援助しています それなのに、新車を買ったり、旅行へ行ったりと納得できない使い方をされ 数回トラブりました。 それでもスマホや装飾品を買ったり、旅行もやめません。 もう援助は難しいと話したら、「教育費にかかるって言っても、 向こうの親からの遺産があるでしょ。 それを使えばいいんじゃないの(母にあげるお金は)」 と言われました。 今までだったら疑うこともせず、本当に本当に言うなりに出していま...

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