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「」も参照 にJリーグへ加盟。 また、母体企業を持つJリーグクラブがある 一方で、ヴァンフォーレは特定の母体企業を持たず、地元山梨の会社などの小口スポンサーの支援を受けている。 ホームタウンは、Jリーグ加盟時は「甲府市、韮崎市を中心とする30市町村」(「」に伴ってその後13市町村)であったが、2005年7月より「甲府市、韮崎市を中心とする山梨県全県」となった。 オフィシャルショップは「かすがもーる」の一角に「まちなかヴァンフォーレプラザ」があり 、ホームゲームのチケット販売やクラブサポーター入会受付、グッズ販売も行なっている。 また、6階にもグッズ販売を置いているコーナーがある。 ホームスタジアムはである (詳細はを参照)。 練習場についてはを参照のこと。 マスコットはをモチーフにした (より)、 フォーレちゃん(より)である。 アンセムは2014年までチーム独自のものは存在せず、入場時はJリーグ公式アンセムを使用している。 2015年より地元山梨出身で元のボーカルであった制作のアンセムを使用することが決定している。 歴史 前身 詳細は「」を参照 に鶴城クラブを拡大化したが前身。 より、よりに参入。 に ヴァンフォーレ甲府にチーム名を変更した。 1997年2月に運営法人となるを設立。 にJリーグ加盟が承認され、1999年からの(J2)参加が決まった。 1999年 - 2005年(J2) 1999年 ライセンスの問題 からそれまで指揮をとっていたに代わり、が監督に就任 した。 リーグ戦は開幕10試合未勝利などを喫し、最下位の成績。 また、人件費抑制など経費削減に努めたものの、ユニフォームスポンサーがゼロに陥るなど広告収入が激減、さらに関心の薄さや低迷するチームが影響し、観客の伸び悩みにより3年連続の単年度赤字に陥った。 2000年 を取得した塚田が監督に復帰。 リーグ戦は2年連続最下位に終わり、第4節の戦の勝利を最後に第33節の戦に勝利するまで6連敗と19連敗を含む26試合未勝利()を記録した。 また、入場者数は戦を除き3,000人を超えた試合が開幕戦のみであり、1,000人を割る試合が5試合あった。 登録選手は24人でうち6人がアマチュア契約、さらにプロ契約での途中退団者が発生し選手が不足したことからフィジカルトレーナーだったと急遽プロ契約を結びやりくりせざるを得ない状況であった(鶴田はこのシーズンのみで再び引退)。 前年度シーズン終了直前に経営危機問題が発覚し、チームの存続が危ぶまれることとなる。 「」も参照 2001年 存続運動などの結果条件付での参戦が決まり、が強化部長に就任 するとブラジルのと提携を結び、監督の及び5人のブラジル人選手の無償提供を受ける。 ヘイスをはじめブラジル人選手の来日が大幅に遅れるなど足並みが揃わないまま開幕を迎え、J1昇格目前のにホームで勝利するなどしたが3年連続最下位の成績。 また、98失点はJリーグ最多失点記録となった。 経営面はを全て達成すると共にJ参入3年目にして初めて単年度黒字を計上し、翌年度以降のチームの存続が決定した。 なお、この年を以て甲府クラブ時代から在籍し、公務員Jリーガーとしてプレーしていたが引退。 翌年以降は全選手がプロ契約のみとなる。 2002年 パルメイラスとの提携を解除し、と提携を結んだ()。 また、監督にが就任。 、、、の活躍もあり12チーム中7位に入った。 また、9月21日のC大阪戦においてチーム初となる小瀬競技場で満員(当時は13000人収容)を記録した。 また、イリュージョニストのがスポンサーとなり、背中部分に「PRINCESS TENKO」の文字が入った。 個人がJリーグのユニフォームスポンサーになるのは()や()の例があるが、テンコーはホームゲームでイリュージョンを行ったり、甲府のユニフォームを着てテレビ番組に出演するなど甲府を支援。 テンコーとは2003年までスポンサー契約が続いた。 2003年 大木が監督を退任(後に清水の監督に就任)し、元監督のが後任の監督に就任。 松永は昨シーズンのプレースタイルを継承。 倉貫一毅、石原克哉、水越になどでプレーしたを加えた中盤は安定し、さらに6月には元日本代表のが加入すると、藤田またはこの年から移籍したによるツートップでチーム力は向上。 結果としてJ2参入後初となるシーズン勝ち越しおよび全チームからの勝利を獲得するなど最終節でに抜かれたものの5位に入った。 2004年 松永体制2年目。 外池がへ移籍した一方、6年ぶりにが復帰。 小倉またはとの2トップが機能し開幕から得点を量産。 一時は2位になるなどチーム状況は良好で、前期は3位で折り返す。 にバロンが退団(その後に移籍)したものの第3クールまでは昇格争いに踏み留まったが、藤田と石原が怪我により長期離脱するとチームは失速。 第4クールは2勝しかできずに7位でシーズンを終了した。 2005年 大木が監督に復帰。 から移籍したがこのシーズン、J2得点ランク2位の21得点を挙げる活躍。 J1への自動昇格となる2位以上こそならなかったものの、をかわして3位でシーズンを終えた。 でに連勝して、J1昇格が決まった。 「」も参照 2006年 - 2007年(J1) 2006年 大木体制2年目。 昇格初年度は限られた予算の中、元日本代表のやJFLベストイレブンの、6年ぶりにチームへ復帰した、札幌などでプレーしたなどを獲得した。 J1初戦はに敗れたが、J2で通用した走るサッカーが機能し始めた3戦目の戦でJ1初勝利を挙げると、バレーや途中加入のらの活躍でや、などに勝利したが、18チーム中15位の成績。 なお、7位のとの勝ち点差は6(9位の横浜FMとの勝ち点差が3)であった。 2007年 大木体制3年目。 バレーがG大阪へ、倉貫一毅がへ、がへ移籍した一方、ブラジル・からFWとからDFをそれぞれ期限付き移籍で獲得した。 大木が新たに取り入れた戦術「クローズ」がうまく機能せず、開幕4連敗を喫し4月は3連勝などで残留争いから脱出したが、5月頃から再び連敗を重ね、第16節においてはジャッジに不満を持った茂原岳人と試合に出場していなかった林健太郎がトラブルを起こし出場停止を受けた。 シーズン後半にとの両FWを獲得し、ナビスコ杯得点王になった須藤とともに後半戦の巻き返しを図ったが、第33節で柏に1-2で敗れてJ2降格が決定した(最終順位は17位)。 シーズン終了後に大木監督が退任した。 2008年 - 2010年(J2) 2008年 ヘッドコーチのが監督に就任。 茂原岳人、増嶋竜也、須藤大輔などがそれぞれ移籍した一方で補強面では、が復帰し、をレンタル移籍で獲得した。 リーグ戦は開幕から5戦未勝利を喫するなど、前半戦21試合を終えてわずか5勝で11位に低迷。 7月にとの2人のブラジル人FWを期限付きで獲得。 急成長したとともに活躍したが、上位チームに勝てないという勝負弱さは最後まで改善されず、最終順位は7位。 なお、10月に元大宮監督のがに就任した。 2009年 安間体制2年目。 主力FW陣を大量放出し、かわりにマラニョンの完全移籍へ移行と、の各FWを獲得。 守備陣はGK、DFの2人をレンタル移籍で獲得した。 リーグ戦は第1クールを4位で折り返し、6月に岐阜からを、更に広島に在籍し9得点を挙げたの両FWを完全移籍で獲得した。 リーグ戦は最終的に湘南と3位を争ったが、直接対決で敗れ、湘南と勝ち点1差の4位でシーズンを終了した。 「」も参照 この年、伸び悩んでいる若手の人材を育成するため、と提携を結び、選手間の相互交流を行なうことになった。 2010年 安間監督が退任し、前年にヘッドコーチをしていたが監督に就任。 林健太郎とGKが引退、森田浩史と長年チームに在籍したが退団した一方、横浜FM(前年は鳥栖に在籍)から、元京都のを完全移籍で獲得した。 開幕直前に戦術を急遽変更したことから最初の4戦は1勝1分2敗であったが、その後攻撃陣が機能するようになり第13節で2位に浮上するとそのまま順位を維持。 第34節の栃木SC戦に勝利し、4年ぶりのJ1復帰を決めた。 J2シーズンは前回昇格した2005年より上の2位の成績を収めた。 また、ハーフナーが20得点を挙げチーム初となるJ2得点王を獲得した。 2011年(J1) 「J1での戦い方の経験不足」など総合的な理由で内田監督との契約を打ち切り、守備強化を目的にが大木以来の外部招聘となる監督に就任。 、、マラニョン(レンタル移籍)などが退団した一方、清水から共に元日本代表のMFとDFのなどのベテラン選手を中心に獲得した。 しかし元々攻撃的なパスサッカー中心の甲府にあって、三浦の採ったからなる守備重視の戦術は全く機能せず、連敗と大量失点を重ね、7月に三浦を解任。 GMの佐久間が後任の監督に就任。 ハーフナー・マイク、パウリーニョ、片桐淳至、らを中心にチームを立て直し、7月には元札幌の、元磐田のを獲得。 ハーフナーが得点を量産したものの、最終節で大宮に敗れて降格が決定した。 「」も参照 シーズン終了後、ハーフナーには藤田健、秋本倫孝らの放出や三浦前監督の招聘といったチーム作りの方針を批判され 、佐久間は補強した選手の質に問題があったと述べた。 なお、ハーフナーが8月にクラブ初となるへ選出され、10月11日の・戦で2得点を挙げてクラブ初のA代表戦での得点者となった。 2012年(J2) チームスローガン: MOVE -原点からの挑戦- 佐久間がGMに戻り、元監督のが監督に就任。 、、ダニエル、ら主力選手が退団した一方でFW、DF、DFらが加入した。 14年目にして初めて開幕戦に勝利()すると昨季シーズン途中に加入しながらも無得点に終わったダヴィが開幕戦から得点を量産。 途中へのマークが厳しくなったことで一時は8位に後退したが、次第に城福が取り入れたが機能し始め、シーズン途中に元G大阪や清水のが加入するとチームは再び調子を取り戻し、第26節ホーム東京V戦に勝利しチーム史上初の首位に躍り出る。 その後1度も首位の座を明け渡さず、第38節戦に引き分けたことで3度目のJ1昇格を、さらに第39節福岡戦に3-2で勝利し、J2優勝を決めた。 ヴァンフォーレ甲府としては勿論、甲府クラブ時代を含め「全国規模のリーグ戦」で優勝したのは初めてである。 第18節ホーム千葉戦で敗れた後、第19節アウェー戦での勝利から最終節アウェー京都戦までJ2記録となる24戦無敗()でシーズンを終えた。 2013年 - 2017年(J1) 2013年 チームスローガン: MOVE -プロヴィンチアの挑戦- 城福体制2年目。 、、、、らが退団した一方、日本人選手はと、を完全移籍獲得、またとをレンタルで獲得した。 一方で外国人補強は「決定的な力を持った外国人ストライカーの獲得については現時点では至らなかった」(佐久間GM) と言う通り、といった未知数の選手と契約したが、レニーは開幕前、昨年から唯一残ったは4月、ウーゴも7月までに契約解除となった。 さらにレニーに代わり3月に獲得した元のもチームの方針と合わず中断期間中の6月に解除と外国人が次々と入れ替わり、中断期間中に方針の定まらないチーム状況に対しGMが現場に説明する事態になった。 シーズン途中からJリーグの経験のある外国人選手の獲得に転換し、5月に元の、7月に元磐田のを獲得、またからをレンタル移籍させた。 開幕から第10節まで3勝5分2敗で推移していたが、上述の外国人の度重なる入れ替えや極度の得点力不足により、第11節清水戦の敗戦以降による中断を挟んで8連敗を喫し、第18節終了時には降格圏の16位まで転落する。 しかし、第19節以降はパトリック、ジウシーニョの加入と新たに採用した山本、佐々木、青山による3バックシステムにより守備が安定したことによって5勝8分3敗と持ち直し、最終的に16位の湘南と勝ち点12差の15位でシーズンを終了、2006年以来のJ1残留を果たした。 ナビスコ杯は予選リーグで敗退。 天皇杯は準々決勝で広島にPK戦で敗れチーム記録タイのベスト8となった。 2014年 チームスローガン: 飛躍 -プロヴィンチアの挑戦- 城福体制3年目。 が広島へ、伊東輝悦がへ移籍。 またパトリックが退団し、平本一樹、羽生直剛、とのレンタル契約を終了した。 新戦力として、を獲得し、シーズン中にと を補強した。 開幕前のキャンプ中に山梨県全体をが襲い、県内の練習場が使えなくなったうえ開幕戦を国立競技場に振り替えざるを得なくなるなど苦しい状況から始まる。 それでも堅守とFWとして再契約された盛田剛平の活躍などにより前は残留圏内に位置していたが先述の豪雪やの解決による支払金の影響によりW杯期間中の中断ではキャンプを短縮せざるを得なくなり、再開後第15節から第22節まで8戦未勝利(5分3敗)と降格圏まで陥落。 しかし9月に入り第23節の鳥栖戦で9試合ぶりの勝利を挙げると第29節まで2勝3分2敗と持ち直し、第30節の川崎戦に勝利し降格圏から脱出すると続けてC大阪と広島にも勝利。 他の残留争いのチームが伸び悩んだこともあり第32節終了時点でJ1残留が決定し、最終順位は過去最高の13位。 ナビスコ杯は3勝したものの予選リーグで敗退。 天皇杯はベスト16でJ2の北九州に2年連続でPK戦で敗退。 2015年 チームスローガン: 一体 -プロヴィンチアの挑戦- チーム初となるJ1連続3シーズン目。 前年を以て城福が退任。 が新監督に就任した。 クリスティアーノが柏レイソルにレンタル移籍したのをはじめ、、水野晃樹、青山直晃が移籍。 キリノやマルキーニョス・パラナも退団するなど主力が大幅に入れ替わる形となった。 新戦力として元徳島のや元浦和・長崎のを獲得し、さらに昨年はG大阪に戻っていた河田晃兵を完全移籍で獲得した。 ところが、シーズン前にが、開幕直後にも退団した。 また樋口監督による新しい戦術は機能せず開幕から不振に陥り第11節終了時点で2勝9敗、さらに得点だけでなく失点までリーグ最下位に陥ったことから5月13日に樋口監督が辞任した。 代わりにGMの佐久間が監督に就任、4月にはマルキーニョス・パラナを再獲得し、5月にはバレーが9年ぶりに復帰。 アドリアーノ、野田がシーズン途中に退団したが戦術を昨年まで城福が取り入れたものに戻したことでその後は4勝2分と降格圏を脱出し、1stステージを12位で折り返した。 2ndステージも降格圏に落ちることなく14位、総合順位は13位となり3年連続のJ1残留を決めた。 ナビスコ杯は未勝利のまま予選敗退、天皇杯はベスト16で柏に敗れている。 2016年 チームスローガン: 総力 -プロヴィンチアの挑戦- 前年シーズン終了後に佐久間の退任が報じられたが留任となり佐久間体制2年目。 また佐久間は監督・GMに加えて副社長に就任したことで3職兼任となった。 阿部翔平、阿部拓馬、ら主力組や、、ら若手が移籍。 バレー、マルキーニョス・パラナもチームを去るなど退団者が相次ぐことになる。 柏からクリスティアーノが復帰。 その他元鹿島の(1月に契約も2月に契約解除)、元の、、、やら他チームの主力を獲得した。 開幕戦に勝利して初めてJ1首位に立ったものの、相次ぐ選手の負傷によりその後の順位は低迷、6月に今季から復帰したクリスティアーノが古巣柏へ完全移籍してしまい1stステージは降格圏内の17位に終わった。 2ndステージ開幕前に元柏のを補強、さらにマルキーニョス・パラナが3度目、が2度目の復帰を果たした。 この補強に伴い外国人枠の関係でニウソン、チュカが契約解除になった。 残留は最終節まで持ち越され、2ndステージは13位、年間順位14位で残留が決定した。 但し年間勝ち点31は残留した年で過去最低(降格した2011年の33をも下回る)、年間7勝は2007年の降格時に並ぶJ1在籍最低勝利数、得点数は32とリーグワースト3位、失点は58と前年比15も増加しリーグワースト2位タイとなった。 ナビスコ杯は4年連続予選リーグ敗退、天皇杯は初戦でJ3の大分に敗れている。 2017年 チームスローガン: 進化 -プロヴィンチアの挑戦- J1連続5シーズン目。 佐久間が監督を退任(GM及び副社長は続投)、後任に柏と新潟で監督をしていたが就任 がへ移籍、(へ移籍)、、(へ移籍)、、(へ移籍)、にレンタル移籍していた、、、が契約満了で退団した。 新戦力はから、から、から、からを獲得、がレンタル移籍で加入し、大卒3名が新加入し、がレンタル移籍先より復帰、さらに昨年へ移籍したが2年ぶりに完全移籍で復帰した。 開幕直後の3月にからが約1年ぶりに復帰、さらに元のを獲得、6月にはを獲得し、外国人枠の関係でガブリエルが登録抹消、8月には元のを獲得し、外国人枠の関係で加入して2カ月のジュニオール・バホスが登録抹消、9月にはを獲得し、外国人枠の関係でウイルソンが登録抹消となった。 前年課題となった守備については河田に代わり抜擢されたの活躍などで改善されたもののウイルソンの不調や前年負傷したドゥドゥの回復が思わしくなかったため得点力不足は改善されず、また新潟や広島、清水など残留争いをしているチームに連敗するなど取りこぼしが多かった。 途中加入のリンスの活躍で得点力の改善が見られたものの今度は肝心なところで逆転負けを喫するなどし、最終節でベガルタ仙台に勝利したものの15位の清水も勝利したことでJ2降格が決定した。 また、2001年よりプレーしていた石原克哉がこのシーズンを最後に現役引退した。 2018年 -(J2) 2018年 チームスローガン: 完遂 -プロヴィンチアの挑戦- 6シーズンぶりにJ2で戦うことになり、吉田監督は続投。 上述の石原の他、、(シーズン途中から京都へレンタル移籍)といったベテランが相次いで契約満了により退団。 また、がへ、がへ移籍(共にかつて在籍したクラブへ復帰)、もへ移籍し、もJ2のへレンタル移籍した。 一方でJ1チームからオファーのあったリンスや河田晃兵は残留し、(2017年はでプレー)から、から、から、から、からを完全移籍で、から元日本代表FWのをレンタルで獲得。 勝点90を目標に開幕を迎えたが、11戦を終わり2勝5分4敗と16位に低迷し1年でのJ1復帰はおろか降格すら視野に入る事態に陥る。 クラブは第10節終了後に吉田監督続投を確認したが11節終了後の4月30日に契約を解除 、山口の元監督であったが監督に就任するも、第40節に2-0で敗れ、1年でのJ1復帰はなくなった。 成績 詳細は「」を参照 各記録 19連敗(26戦未勝利) 2000年の甲府は第4節の仙台戦(小瀬、1-0)の勝利を最後に連敗を続け、第33節の新潟戦(、1-0)に勝利するまで26戦勝利から遠ざかっていた。 このうち引き分けたのが第11節の鳥栖戦のみであり、残りの25戦はすべて負けていたことから当時の連敗カウントは「 25連敗」であった。 その後「連勝・連敗は引き分けを挟まない 」というルールに改定され、過去の記録もこれが適用されたことから現在は「6連敗の後1分けを挟み 19連敗」となっている。 19連敗に減ったとはいえ、この記録はJ2はもちろんのことJリーグ全体を見ても1996年に京都が記録した17連敗 を上回る記録である。 また、第4節が3月30日、第33節が9月15日開催であったことから実に5か月半勝利から遠ざかっていたことになる。 その後未勝利記録は2003年にサガン鳥栖が更新(シーズン単体で28試合、翌年甲府に勝利するまで30試合まで継続)した が、連敗記録は現在も破られていない。 これまでの記録は2010年に柏が記録した19試合連続無敗であり、甲府はこの記録を5試合上回ることになる。 無敗記録中の成績は16勝8分であり、うち12試合が1点差勝利である。 さらに32節、35節、36節の3試合は後半ロスタイムで逆転勝利を挙げるなど接戦には非常に強かった。 なお、上述の通り19連敗の記録は保持されていることから、甲府はJ2における連敗記録と無敗記録という両方の記録を持つことになった。 参入初戦の戦(、1-2)以来開幕戦4連敗で、初勝ち点は2003年の戦(小瀬、1-1)である。 2011年までの成績は5分8敗で、2011年の時点で開幕戦未勝利は2009年以前にJリーグへ参入した36チームの中では唯一の記録であった(他に未勝利なのは2010年参入のと2011年参入ののみ)。 また、2戦目勝利およびホーム開幕戦勝利も11年目の2009年にようやく達成(第2節戦(、1-0)、第3節(小瀬、2-1))するなど開幕当初は調子が上がらないことが多い。 参入14年目となる2012年開幕戦の戦(中銀スタ)で2-1とJ参入後初勝利を挙げ、同時に未勝利記録は13でストップした。 なお、J1では2016年開幕戦の戦()に2-0で勝利し、7シーズン目で初勝利を挙げている。 Jリーグ参入後の開幕戦の記録 年度 Div. 会場 ホーム 得点 アウェイ 備考 1999 J2 甲府 1-2 大宮 2000 甲府 0-3 札幌 2001 川崎 3-1 甲府 2002 横浜FC 3-2 甲府 2003 小瀬 甲府 1-1 鳥栖 開幕戦初勝ち点 2004 札幌 2-2 甲府 2005 小瀬 甲府 2-2 札幌 2006 J1 小瀬 甲府 0-2 清水 2007 横浜FM 1-0 甲府 2008 J2 小瀬 甲府 1-1 岐阜 2009 岡山 1-1 甲府 2010 福岡 3-1 甲府 2011 J1 甲府 0-1 磐田 2012 J2 中銀スタ 甲府 2-1 栃木SC 開幕戦初勝利 2013 J1 仙台 1-1 甲府 J1開幕戦初勝ち点 2014 甲府 0-4 鹿島 2015 広島 2-0 甲府 2016 神戸 0-2 甲府 J1開幕戦初勝利 2017 G大阪 1-1 甲府 2018 J2 大宮 2-1 甲府 チーム記録 最多得点試合 Div. スコア 試合日 対戦相手 J1 ホーム 4-3 2007年第5節 4月7日 4-3 2011年第23節 7月16日 アウェー 4-0 2011年第29節 10月15日 J2 ホーム 6-1 2004年第19節 6月23日 6-0 2009年第23節 6月24日 6-0 2010年第33節 11月7日 6-2 2018年第16節 5月26日 アウェー 5-1 2003年J2第6節 4月12日 横浜FC 最多失点試合 Div. スコア 試合日 対戦相手 J1 ホーム 1-6 2007年第14節 6月10日 アウェー 1-5 2006年第17節 8月12日 0-5 2007年第29節 10月21日 1-5 2013年第12節 5月18日 J2 ホーム 3-5 1999年第25節 9月10日 FC東京 1-5 2001年第26節 8月14日 アウェー 1-6 1999年第4節 4月4日 0-6 1999年第9節 5月2日 最多連勝記録 J1リーグ戦 3連勝 2007年第7節(4月21日)から第9節(5月3日) J2リーグ戦 6連勝 2012年第23節(7月8日)から第28節(8月12日) 最多連敗記録 J1リーグ戦 8連敗 2013年第11節(5月11日)から第18節(7月31日) J2リーグ戦 19連敗 2000年第13節(5月18日)から第32節(9月11日) 個人記録 通算最多出場者 通算はリーグ戦とカップ戦(、)のみ。 、引退試合、練習試合などは省略する。 通算 507試合 - 初出場2001年4月21日 vs. 横浜FC戦• リーグ戦 467試合 - 石原克哉 通算出場試合上位 JリーグのJ1・J2リーグ戦のみ。 太字は2018年開幕時点での在籍選手。 記録は2015年シーズン終了時点。 順 選手名 出場試合数 在籍期間 備考 1 石原克哉( ) 467試合 2001-2017 2 山本英臣( ) 436試合 2003- 3 藤田健( ) 354試合 2001-2010 4 倉貫一毅( ) 246試合 2000-2006 5 池端陽介( ) 218試合 2002-2010 6 杉山新( ) 217試合 2003-2009 7 荻晃太( ) 188試合 2009-2015 GK最多。 8 津田琢磨( ) 179試合 2003-2017 2008年はシーズン途中まで愛媛在籍。 9 松橋優( ) 160試合 2009- 10 阿部謙作( ) 155試合 2003-2009 2005年はシーズン途中まで神戸在籍。 伊東輝悦( )(Jリーグ通算555試合試合出場、うちJ1リーグ戦517試合はに次いで歴代2位。 甲府では59試合に出場)• 仲田健二( )(リスト・オブ・ワン・クラブ・マン。 J2ではリーグ146試合、旧JFLを含めると228試合に出場) 通算最多得点• 43得点 - 初出場:2005年3月5日 vs. 札幌戦 最多連続得点試合• 5試合• バレー 2005年J2第11節(5月7日)から第15節(6月4日)• 2012年J2第35節(9月23日)から第39節(10月21日) シーズン最多得点 J1リーグ戦 17得点 - 2011年 J2リーグ戦 32得点 - ダヴィ 2012年 通算チーム得点上位 2014シーズン終了時点。 得点数はリーグ戦のみ。 順 選手名 得点数 在籍期間 備考 1 バレー( ) 43得点 2005-2006 2015 入れ替え戦の7得点を除く 2 藤田健( ) 41得点 2001-2010 3 ハーフナー・マイク( ) 37得点 2010-2011 3 マラニョン( ) 37得点 2008-2010 2015 5 ダヴィ( ) 33得点 2011-2012 2016 年度別チーム得点王 年度 リーグ チーム得点王 得点(試合数) 備考 1999 J2 大柴克友( ) 堀井岳也( ) 7点(36試合) 2000 金晃正( ) 5点(40試合) 2001 太田圭輔( ) 11点(44試合) 2002 鶴見智美( ) 影山由高( ) 8点(44試合) 2003 小倉隆史( ) 10点(44試合) 2004 バロン( ) 14点(34試合) シーズン途中鹿島へ移籍 2005 バレー( ) 21点(44試合) リーグ得点2位 2006 J1 バレー( ) 14点(34試合) 2007 茂原岳人( ) 6点(34試合) 2008 J2 マラニョン( ) 9点(42試合) 2009 マラニョン( ) 19点(51試合) 2010 ハーフナー・マイク( ) 20点(36試合) リーグ得点王 2011 J1 ハーフナー・マイク( ) 17点(34試合) リーグ得点2位 2012 J2 ダヴィ( ) 32点(42試合) リーグ得点王 2013 J1 ウーゴ( ) パトリック( ) 5点(34試合) シーズン途中に退団 シーズン途中より加入 2014 クリスティアーノ( ) 盛田剛平( ) 5点(34試合) 2015 バレー( ) 8点(34試合) シーズン途中より加入 2016 クリスティアーノ( ) 7点(34試合) シーズン途中柏へ移籍 2017 リンス( ) 6点(34試合) シーズン途中より加入 ハットトリック 得点数 氏名 達成日 対戦相手 J1 達成者なし 入替戦 6得点 バレー 2005年12月10日 第2戦 柏 J2 4得点 バロン 2004年5月2日 第9節 水戸 3得点 ジョルジーニョ 2002年10月19日 第38節 福岡 山崎光太郎 2004年6月23日 第19節 横浜FC バレー 2005年5月28日 第14節 徳島 マラニョン 2010年4月29日 第9節 札幌 ハーフナー・マイク 2010年11月7日 第33節 北九州 カップ戦 3得点 須藤大輔 2007年7月7日 準々決勝第1戦 川崎 記念ゴール ゴール数 氏名 達成日 対戦相手 J2 2500 ジョルジーニョ 2002年11月10日 J2第42戦 鳥栖 3500 バロン 2004年6月26日 J2第20戦 京都 8000 大西容平 2009年10月4日 J2第43戦 東京V タイトル チームタイトルおよび個人別タイトルはリーグ戦およびカップ戦のみ記載。 チームタイトル• :1回• 個人別• 2011年• フェアプレー個人賞• 2016年• 得点王• 2007年、6得点• 2014年、6得点• 得点王• 2010年、20得点• 2012年、32得点• ベスト11• 1998年 その他表彰• 2015年• 2018年 スタジアム 「」も参照 現在ホームスタジアムとして使用しているに代わるスタジアムとして、2014年4月25日にヴァンフォーレ山梨スポーツクラブをはじめとする球技4団体は山梨県に総合球技場建設を陳情し、署名活動を開始。 同年9月12日に4団体の関係者らが山梨県に9万5627筆の署名を提出した。 2016年12月に球技場建設に向けた検討委員会から「周辺」と「リニア駅前(甲府市大津町)」の2箇所を候補地とする旨の報告書が提出された。 2017年7月27日に山梨県は山梨県小瀬スポーツ公園の南側の第3駐車場部分を建設場所に決定したと発表した。 ユニフォーム ユニフォームの色 カラー シャツ パンツ ストッキング FP(1st) 青 青 青 FP(2nd) 白 白 白 GK(1st) 黄緑 黄緑 黄緑 GK(2nd) 赤 赤 赤 GK(3rd) グレー グレー グレー GK 3rd チームカラー• ブルー ユニフォームスポンサー 掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考 胸 はくばく 2001年 - 2006年 2009年 - 2007年 - 2008年は背中 鎖骨 NNS 日本ネットワークサービス 2019年 - 左側に表記 Jit ジット 2019年 - 右側に表記 2009年 - 2012年は袖 背中上部 山梨中央銀行 2017年 - 2015年 - 2016年は袖 背中下部 コイケ 2016年 - 袖 クスリのサンロード 2018年 - パンツ 〇愛 MARUAI 2018年 - ユニフォームサプライの遍歴• 1997年:• 1998年:• 1999年 - 2002年:• 2003年 - 2006年:• 2007年 - 2010年:アンブロ• 2011年 - 現在: ユニフォームデザイン• 甲府クラブ時代はのをイメージする赤一色であったが、ヴァンフォーレになってからはホームは青、アウェーは白を基調としている。 Jリーグ参入後にサプライヤーがエレーネとなり、ホームユニフォームは青と一部分が白であった。 デレルバになった2003年から甲府クラブ時代の基調であった赤色が入るようになった。 他のサプライヤーは2年ごとにデザインが変更されるが、デレルバ時代のみ毎年デザインが変更されている。 アンブロになった2007年からは水色に近い色になり、袖などの一部分が赤や白だったのを除き青色部分が多くなった。 夏季ホームゲーム数試合では記念ユニフォームを着用することがある。 2015年:山梨県内各市町村の地図がちりばめられたもの• 2016年:ゴール裏の光景と星空• 2017年:紫色に葡萄のイラスト• 2018年:山梨特産の水晶• 主要練習場はにある八田河川敷グラウンド。 Jリーグクラブライセンス制度ではU-18、U-15、U-12、U-10の4世代にチームを設けることがA等級基準(Jリーグに参入するにあたり必要とされる基準)となっている。 但しU-12およびU-10は定期的にサッカースクールを行なうことで代替可能としており、U-10世代は甲府市(北部・南部)、南アルプス市、、にてサッカースクールを行なうことで基準をクリアしている。 ヴァンフォーレ甲府U-18 設立はトップチームがJリーグ参入してから2年後の2001年。 U-12が設立される前の2009年までは「ヴァンフォーレ甲府ユース」の名前であった。 2007年に県リーグを勝ち上がりプリンスリーグ関東2部へ参入したが、1年で県リーグへ降格。 2014年に参入決定戦を勝ち上がり、2015,2016年にはプリンスリーグ関東に参入していた。 は関東予選の壁を破れずにいたが2010年に初めて全国大会に出場。 さらに2013年には予選リーグを突破し決勝トーナメントに進出。 2015年はのを破りベスト8まで進出している。 出身者はを参照のこと。 年度 所属 順位 試合 勝点 勝 敗 分 U-18選手権 Jユース杯 備考 2008 2部 12位 9 4 1 4 1 関東予選敗退 予選G敗退 リーグ戦(Aパート)6位 11・12位決定戦敗退 2009 山梨県Aパート 優勝 6 18 6 2 1 関東予選敗退 予選G敗退 参入決定戦敗退 2010 山梨県Aパート 3位 9 18 6 2 1 予選G敗退 予選G敗退 2011 山梨県Aパート 3位 9 18 5 3 1 関東予選敗退 予選G敗退 2012 山梨県Aリーグ 優勝 14 39 13 1 0 関東予選敗退 予選G敗退 参入決定戦敗退 2013 山梨県1部 2位 18 46 15 2 1 ベスト16 予選G敗退 2014 山梨県1部 優勝 18 46 15 2 1 ベスト16 ベスト16 参入決定戦勝ち抜き 2015 プリンス関東 9位 18 17 4 9 5 ベスト8 2回戦敗退 2016 プリンス関東 10位 7 18 1 13 4 予選G敗退 3回戦敗退 2017 山梨県1部 3位 18 39 11 1 6 予選G敗退 2回戦敗退 2018 山梨県1部 優勝 18 45 15 3 0 予選G敗退 1回戦敗退 参入決定戦敗退 「山梨県Aパート」「山梨県Aリーグ」は山梨県1部相当。 ヴァンフォーレ甲府U-15 設立はJリーグ参入初年度である1999年。 U-12が設立される前の2009年までは「ヴァンフォーレ甲府ジュニアユース」の名前であった。 年度 所属 順位 試合 勝点 勝 敗 分 備考 2010 4位 11 9 4 3 0 2011 3位 23 9 7 2 2 優勝 2012 3位 22 47 15 5 2 2013 10位 22 25 7 11 4 2014 10位 22 19 2 7 13 2015 4位 18 35 10 7 5 2016 6位 22 33 9 7 6 2017 10位 22 21 5 11 6 2018 10位 22 24 6 6 10 ヴァンフォーレ甲府U-12 U-12については2009年までチームを結成していなかったが、全体の底上げを図る目的のために結成された。 U-12世代の育成は上述のサッカースクールでも行なっているが、U-12チームはそれとは別に選考会を行ない選抜されている。 また、から指導者を招くなど重点的に指導を行なっている。 そのため結成から間もない状態でも全国大会に出場し、2016年のでは優勝を飾っている。 「U-12 ジュニアサッカーワールドチャレンジ2016」ではやのU-12と対戦している(マンチェスター・シティとは引き分け、バルセロナには負け)。 また、世界大会であるでは予選ブロックを1位で通過すると、、、(のU-12チーム)といった強豪国相手に勝ち上がり、決勝に進出した。 決勝では(のU-12チーム)相手にPK戦で敗れたものの、世界レベルの強豪チーム相手に善戦している。 年度 ダノン杯JAPAN チビリンピック U-12選手権大会 その他大会 備考 2011 全国予選L敗退 関東大会敗退 県予選敗退 2012 全国予選L敗退 関東大会敗退 県予選敗退 2013 ベスト8 3位 ベスト8 2014 ベスト16 関東大会敗退 全国2次敗退 2015 3位 関東大会敗退 県予選敗退 2016 優勝 関東大会敗退 ベスト8 ダノンネーションズカップ2位 2017 全国予選L敗退 関東大会敗退 県予選敗退 2018 3位 関東大会敗退 ベスト16 2019 優勝 関東大会敗退• ダノン杯JAPAN:ダノンネーションズカップ in JAPAN• チビリンピック:• U-12選手権大会: その他 2010年ににあるU-15およびU-12のサッカーチーム「八ヶ岳グランデフットボールクラブ」と業務提携を締結し、2011年より「ヴァンフォーレ八ヶ岳」として活動していた。 2017年を以て業務提携を解消し、チーム名も「グランデ・アメージング・アカデミー」となっている。 キャンプ地 年度 季 地域 会場 2001 春 波崎サッカーパーク 2002 春 2003 春 静岡県 2004 春 2005 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 2006 春 清水台総合公園多目的広場 夏 ・など サブグラウンドなど 2007 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 宮崎県 綾てるは文化公園サッカー場 夏 ソウル・水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど 2008 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場 2009 春 レオパレスリゾート 宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場 2010 春 宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場 2011 春 和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場 宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場 2012 春 和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 2013 春 静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 夏 山梨県 2014 春 静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 静岡県静岡市清水区 清水蛇塚スポーツグラウンド 夏 静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター 2015 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 2016 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 メディア 地元メディアによる試合中継• (県域) - 一部は相手チームの地元局との相互放送、あるいは甲府局単独でアウェイ中継も行う。 (YBSテレビ、YBSラジオ) - ラジオは年1試合程度SBSラジオが乗り入れる事例がある(「富士山ダービー」)。 また特番『SSS〜スリーエス〜』としてアウェイ試合の経過速報を伝えることもある。 一般的な実況中継でもアウェイに乗り込んで独自制作することがある。 テレビは基本的にホーム試合で、向け映像制作・実況も担当していた。 UTY - 年1試合程度。 過去に『』の時間帯での実況中継(後半のみ)を行ったことがある。 - 主にホーム試合。 『ヴァンフォーレ甲府入れ込み実況中継』 - ホーム、アウェイとも同程度の中継回数。 その他チーム情報• YBSテレビ『』内「ヴァンフォーレEX」• YBSテレビ『』(2016年より『』の番組内コーナー)• YBSテレビ『』内特集コーナーほか(主に月・金曜)• YBSテレビ『』• YBSラジオ『』内「MOVE〜青きイレブンの挑戦!! YBSラジオ『』内「ヴァンフォーレ キックス」• NHK甲府『』内「ひるまえヴァンフォーレ」• NHK甲府『』内「マンデーVF」 月曜が祝日等で特別編成になった場合、「チューズデー〜」等になる場合もある• NNS甲府CATV局『』水曜コーナー• 『』木曜コーナー「AVENUE5〜VIVA! VENTFORET」• エフエム甲府『こまっちゃんの金曜日〜元気はつらつフライデー〜』内「ヴァンフォーレ甲府情報」• かつ筆頭株主。 で唯一地元専用の「やまなし報知」を原則週3回(毎週土・日・月)発行し、ヴァンフォーレ甲府の情報も取り扱う。 2015年までは毎月25日発行の公式マガジン。 2016年は希望者申込制の不定期刊行であったが、2017年に月刊誌として再刊行される予定。 ヴァンフォーレ甲府公式サイト 決算 ヴァンフォーレ甲府の決算は、つぎのとおり。 損益 年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益 2005 670 246 159 178 87 579 419 262 161 91 50 2006 1,343 571 385 242 145 1,102 857 556 245 241 135 2007 1,655 768 436 276 175 1,506 1,100 741 406 149 54 2008 1,263 647 276 99 241 1,236 911 587 325 26 24 2009 1,094 497 293 119 185 1,080 798 498 290 14 0 2010 1,067 499 297 117 154 1,056 763 473 293 11 0 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 、 、 、 、 、 金額の単位: 百万円 人件費は事業費に含まれる。 年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益 2011 1,465 635 421 216 29 164 1,400 671 84 149 17 0 479 65 44 2012 1,179 554 291 103 26 205 1,148 476 66 170 18 0 418 31 15 2013 1,481 683 403 208 36 151 1,460 707 101 172 21 0 459 21 3 2014 1,518 749 422 191 47 109 1,515 759 119 175 25 0 437 6 -74 2015 1,525 751 354 186 50 184 1,470 736 86 154 28 0 466 55 21 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 、 、 、 、 金額の単位: 百万円 年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益 2016 1,523 736 342 193 59 61 132 1,499 736 88 182 28 0 42 423 24 8 2017 1,727 774 353 446 28 74 52 1,689 883 103 181 30 0 57 435 38 19 2018 1,511 760 297 286 19 62 87 1,500 747 113 172 33 0 45 390 11 1 2019 1,455 800 286 149 24 87 109 1,460 707 108 171 26 0 70 378 -5 -5 資産 年度 総資産 総負債 純資産 資本金 2005 278 315 -36 335 2006 553 423 130 367 2007 566 381 184 367 2008 506 297 209 367 2009 463 253 210 367 2010 516 305 210 367 2011 573 296 276 367 2012 606 314 292 367 2013 568 273 295 367 2014 556 335 221 367 2015 620 378 242 367 2016 615 365 250 367 2017 652 383 269 367 2018 585 314 270 367 2019 588 322 266 367• 塚田は当時Jリーグの監督をするのに必要なを所持していなかった。 塚田が総監督として実質的に指揮をとっていた。 開幕直前の3月に自社の業務に専念という理由から退任。 茂原は主審に対する侮辱行為および器物破損によりナビスコ杯を含め7試合出場停止、林は出場していなかったが試合終了後の主審に対する暴言により2試合の出場停止• 甲府クラブ時代を含め、シーズン途中で監督を解任したのは初めて。 節と試合数が合わないのは当時のJ2は11チームであり、節によっては休みがあったため• 但し1998年まではリーグ戦でもが実施されており、京都の場合は引き分けが存在しなかった時の記録である。 現在は2010年-2011年にギラヴァンツ北九州が記録した35試合未勝利。 現在のJリーグクラブライセンス制度ではA基準であり参入前の審査で設立または設立の見込みがないとされるとJ3を含めライセンスが発行されないが、J2が設立された1999年当初は猶予期間を設けられており、参入から3年以内のU-18(2種)チームの設立を義務付けられていた。 当初は予定していなかったキャンプ地であるが、平成26年豪雪の影響により県内の主要練習場での練習ができないことから、急遽追加された。 日本プロサッカーリーグ. 2020年5月14日閲覧。 ヴァンフォーレ甲府公式. 2014年10月31日閲覧。 (山梨学院大学公式)• ,2011年12月3日• ,2011年12月2日• (2013年1月15日、J's GOAL)• (山梨日日新聞)• 過去2チームでは国籍はブラジルであり通常の外国人枠での登録であったが、その後、東ティモール国籍を取得、今回はアジア枠として選手登録された• プレスリリース , ヴァンフォーレ甲府, 2014年12月8日 , 2014年12月8日閲覧。 プレスリリース , ヴァンフォーレ甲府, 2016年11月15日 , 2016年11月19日閲覧。 ヴァンフォーレ甲府公式 2018年4月30日. 2018年5月1日閲覧。 J1に昇格した2013年シーズンの初戦も引き分けたので チーム記録としては25戦• プレスリリース , ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, 2014年2月21日 ,• プレスリリース , ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, 2014年2月21日 ,• 山梨日日新聞. 2014年4月25日. スポーツ報知. 2014年9月12日. 毎日新聞地方版. 2017年7月28日. 2017年7月29日閲覧。 ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ. ヴァンフォーレ甲府公式サイト|VENTFORET KOFU OFFICIAL WEBSITE. 2019年7月28日閲覧。 - チャンネル.

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選手個々を大事にするなら甲府だけにしかできないオリジナル作りなさいよ。 ここまでの成績を見て監督批判は誰でも出来ます。 1番の問題は、決めるべきところで決め切れない選手たち、特にFW陣には奮起してもらいたい。 ここまでの4試合、甲府はまだ前半での得点がないのですね。 Q1、サッカーを始めたのは いつ頃? きっかけは? Q2、石原選手にとって サッカーとは? Q3、プロを目指す 子供たちへのメッセージ Q4、石原選手にとっての 宝物とは? 明日もバラバラチームで試合に挑んだら負けるだけ。 やっぱり大将次第かな。

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ヴァンフォーレ掲示板

「」も参照 にJリーグへ加盟。 また、母体企業を持つJリーグクラブがある 一方で、ヴァンフォーレは特定の母体企業を持たず、地元山梨の会社などの小口スポンサーの支援を受けている。 ホームタウンは、Jリーグ加盟時は「甲府市、韮崎市を中心とする30市町村」(「」に伴ってその後13市町村)であったが、2005年7月より「甲府市、韮崎市を中心とする山梨県全県」となった。 オフィシャルショップは「かすがもーる」の一角に「まちなかヴァンフォーレプラザ」があり 、ホームゲームのチケット販売やクラブサポーター入会受付、グッズ販売も行なっている。 また、6階にもグッズ販売を置いているコーナーがある。 ホームスタジアムはである (詳細はを参照)。 練習場についてはを参照のこと。 マスコットはをモチーフにした (より)、 フォーレちゃん(より)である。 アンセムは2014年までチーム独自のものは存在せず、入場時はJリーグ公式アンセムを使用している。 2015年より地元山梨出身で元のボーカルであった制作のアンセムを使用することが決定している。 歴史 前身 詳細は「」を参照 に鶴城クラブを拡大化したが前身。 より、よりに参入。 に ヴァンフォーレ甲府にチーム名を変更した。 1997年2月に運営法人となるを設立。 にJリーグ加盟が承認され、1999年からの(J2)参加が決まった。 1999年 - 2005年(J2) 1999年 ライセンスの問題 からそれまで指揮をとっていたに代わり、が監督に就任 した。 リーグ戦は開幕10試合未勝利などを喫し、最下位の成績。 また、人件費抑制など経費削減に努めたものの、ユニフォームスポンサーがゼロに陥るなど広告収入が激減、さらに関心の薄さや低迷するチームが影響し、観客の伸び悩みにより3年連続の単年度赤字に陥った。 2000年 を取得した塚田が監督に復帰。 リーグ戦は2年連続最下位に終わり、第4節の戦の勝利を最後に第33節の戦に勝利するまで6連敗と19連敗を含む26試合未勝利()を記録した。 また、入場者数は戦を除き3,000人を超えた試合が開幕戦のみであり、1,000人を割る試合が5試合あった。 登録選手は24人でうち6人がアマチュア契約、さらにプロ契約での途中退団者が発生し選手が不足したことからフィジカルトレーナーだったと急遽プロ契約を結びやりくりせざるを得ない状況であった(鶴田はこのシーズンのみで再び引退)。 前年度シーズン終了直前に経営危機問題が発覚し、チームの存続が危ぶまれることとなる。 「」も参照 2001年 存続運動などの結果条件付での参戦が決まり、が強化部長に就任 するとブラジルのと提携を結び、監督の及び5人のブラジル人選手の無償提供を受ける。 ヘイスをはじめブラジル人選手の来日が大幅に遅れるなど足並みが揃わないまま開幕を迎え、J1昇格目前のにホームで勝利するなどしたが3年連続最下位の成績。 また、98失点はJリーグ最多失点記録となった。 経営面はを全て達成すると共にJ参入3年目にして初めて単年度黒字を計上し、翌年度以降のチームの存続が決定した。 なお、この年を以て甲府クラブ時代から在籍し、公務員Jリーガーとしてプレーしていたが引退。 翌年以降は全選手がプロ契約のみとなる。 2002年 パルメイラスとの提携を解除し、と提携を結んだ()。 また、監督にが就任。 、、、の活躍もあり12チーム中7位に入った。 また、9月21日のC大阪戦においてチーム初となる小瀬競技場で満員(当時は13000人収容)を記録した。 また、イリュージョニストのがスポンサーとなり、背中部分に「PRINCESS TENKO」の文字が入った。 個人がJリーグのユニフォームスポンサーになるのは()や()の例があるが、テンコーはホームゲームでイリュージョンを行ったり、甲府のユニフォームを着てテレビ番組に出演するなど甲府を支援。 テンコーとは2003年までスポンサー契約が続いた。 2003年 大木が監督を退任(後に清水の監督に就任)し、元監督のが後任の監督に就任。 松永は昨シーズンのプレースタイルを継承。 倉貫一毅、石原克哉、水越になどでプレーしたを加えた中盤は安定し、さらに6月には元日本代表のが加入すると、藤田またはこの年から移籍したによるツートップでチーム力は向上。 結果としてJ2参入後初となるシーズン勝ち越しおよび全チームからの勝利を獲得するなど最終節でに抜かれたものの5位に入った。 2004年 松永体制2年目。 外池がへ移籍した一方、6年ぶりにが復帰。 小倉またはとの2トップが機能し開幕から得点を量産。 一時は2位になるなどチーム状況は良好で、前期は3位で折り返す。 にバロンが退団(その後に移籍)したものの第3クールまでは昇格争いに踏み留まったが、藤田と石原が怪我により長期離脱するとチームは失速。 第4クールは2勝しかできずに7位でシーズンを終了した。 2005年 大木が監督に復帰。 から移籍したがこのシーズン、J2得点ランク2位の21得点を挙げる活躍。 J1への自動昇格となる2位以上こそならなかったものの、をかわして3位でシーズンを終えた。 でに連勝して、J1昇格が決まった。 「」も参照 2006年 - 2007年(J1) 2006年 大木体制2年目。 昇格初年度は限られた予算の中、元日本代表のやJFLベストイレブンの、6年ぶりにチームへ復帰した、札幌などでプレーしたなどを獲得した。 J1初戦はに敗れたが、J2で通用した走るサッカーが機能し始めた3戦目の戦でJ1初勝利を挙げると、バレーや途中加入のらの活躍でや、などに勝利したが、18チーム中15位の成績。 なお、7位のとの勝ち点差は6(9位の横浜FMとの勝ち点差が3)であった。 2007年 大木体制3年目。 バレーがG大阪へ、倉貫一毅がへ、がへ移籍した一方、ブラジル・からFWとからDFをそれぞれ期限付き移籍で獲得した。 大木が新たに取り入れた戦術「クローズ」がうまく機能せず、開幕4連敗を喫し4月は3連勝などで残留争いから脱出したが、5月頃から再び連敗を重ね、第16節においてはジャッジに不満を持った茂原岳人と試合に出場していなかった林健太郎がトラブルを起こし出場停止を受けた。 シーズン後半にとの両FWを獲得し、ナビスコ杯得点王になった須藤とともに後半戦の巻き返しを図ったが、第33節で柏に1-2で敗れてJ2降格が決定した(最終順位は17位)。 シーズン終了後に大木監督が退任した。 2008年 - 2010年(J2) 2008年 ヘッドコーチのが監督に就任。 茂原岳人、増嶋竜也、須藤大輔などがそれぞれ移籍した一方で補強面では、が復帰し、をレンタル移籍で獲得した。 リーグ戦は開幕から5戦未勝利を喫するなど、前半戦21試合を終えてわずか5勝で11位に低迷。 7月にとの2人のブラジル人FWを期限付きで獲得。 急成長したとともに活躍したが、上位チームに勝てないという勝負弱さは最後まで改善されず、最終順位は7位。 なお、10月に元大宮監督のがに就任した。 2009年 安間体制2年目。 主力FW陣を大量放出し、かわりにマラニョンの完全移籍へ移行と、の各FWを獲得。 守備陣はGK、DFの2人をレンタル移籍で獲得した。 リーグ戦は第1クールを4位で折り返し、6月に岐阜からを、更に広島に在籍し9得点を挙げたの両FWを完全移籍で獲得した。 リーグ戦は最終的に湘南と3位を争ったが、直接対決で敗れ、湘南と勝ち点1差の4位でシーズンを終了した。 「」も参照 この年、伸び悩んでいる若手の人材を育成するため、と提携を結び、選手間の相互交流を行なうことになった。 2010年 安間監督が退任し、前年にヘッドコーチをしていたが監督に就任。 林健太郎とGKが引退、森田浩史と長年チームに在籍したが退団した一方、横浜FM(前年は鳥栖に在籍)から、元京都のを完全移籍で獲得した。 開幕直前に戦術を急遽変更したことから最初の4戦は1勝1分2敗であったが、その後攻撃陣が機能するようになり第13節で2位に浮上するとそのまま順位を維持。 第34節の栃木SC戦に勝利し、4年ぶりのJ1復帰を決めた。 J2シーズンは前回昇格した2005年より上の2位の成績を収めた。 また、ハーフナーが20得点を挙げチーム初となるJ2得点王を獲得した。 2011年(J1) 「J1での戦い方の経験不足」など総合的な理由で内田監督との契約を打ち切り、守備強化を目的にが大木以来の外部招聘となる監督に就任。 、、マラニョン(レンタル移籍)などが退団した一方、清水から共に元日本代表のMFとDFのなどのベテラン選手を中心に獲得した。 しかし元々攻撃的なパスサッカー中心の甲府にあって、三浦の採ったからなる守備重視の戦術は全く機能せず、連敗と大量失点を重ね、7月に三浦を解任。 GMの佐久間が後任の監督に就任。 ハーフナー・マイク、パウリーニョ、片桐淳至、らを中心にチームを立て直し、7月には元札幌の、元磐田のを獲得。 ハーフナーが得点を量産したものの、最終節で大宮に敗れて降格が決定した。 「」も参照 シーズン終了後、ハーフナーには藤田健、秋本倫孝らの放出や三浦前監督の招聘といったチーム作りの方針を批判され 、佐久間は補強した選手の質に問題があったと述べた。 なお、ハーフナーが8月にクラブ初となるへ選出され、10月11日の・戦で2得点を挙げてクラブ初のA代表戦での得点者となった。 2012年(J2) チームスローガン: MOVE -原点からの挑戦- 佐久間がGMに戻り、元監督のが監督に就任。 、、ダニエル、ら主力選手が退団した一方でFW、DF、DFらが加入した。 14年目にして初めて開幕戦に勝利()すると昨季シーズン途中に加入しながらも無得点に終わったダヴィが開幕戦から得点を量産。 途中へのマークが厳しくなったことで一時は8位に後退したが、次第に城福が取り入れたが機能し始め、シーズン途中に元G大阪や清水のが加入するとチームは再び調子を取り戻し、第26節ホーム東京V戦に勝利しチーム史上初の首位に躍り出る。 その後1度も首位の座を明け渡さず、第38節戦に引き分けたことで3度目のJ1昇格を、さらに第39節福岡戦に3-2で勝利し、J2優勝を決めた。 ヴァンフォーレ甲府としては勿論、甲府クラブ時代を含め「全国規模のリーグ戦」で優勝したのは初めてである。 第18節ホーム千葉戦で敗れた後、第19節アウェー戦での勝利から最終節アウェー京都戦までJ2記録となる24戦無敗()でシーズンを終えた。 2013年 - 2017年(J1) 2013年 チームスローガン: MOVE -プロヴィンチアの挑戦- 城福体制2年目。 、、、、らが退団した一方、日本人選手はと、を完全移籍獲得、またとをレンタルで獲得した。 一方で外国人補強は「決定的な力を持った外国人ストライカーの獲得については現時点では至らなかった」(佐久間GM) と言う通り、といった未知数の選手と契約したが、レニーは開幕前、昨年から唯一残ったは4月、ウーゴも7月までに契約解除となった。 さらにレニーに代わり3月に獲得した元のもチームの方針と合わず中断期間中の6月に解除と外国人が次々と入れ替わり、中断期間中に方針の定まらないチーム状況に対しGMが現場に説明する事態になった。 シーズン途中からJリーグの経験のある外国人選手の獲得に転換し、5月に元の、7月に元磐田のを獲得、またからをレンタル移籍させた。 開幕から第10節まで3勝5分2敗で推移していたが、上述の外国人の度重なる入れ替えや極度の得点力不足により、第11節清水戦の敗戦以降による中断を挟んで8連敗を喫し、第18節終了時には降格圏の16位まで転落する。 しかし、第19節以降はパトリック、ジウシーニョの加入と新たに採用した山本、佐々木、青山による3バックシステムにより守備が安定したことによって5勝8分3敗と持ち直し、最終的に16位の湘南と勝ち点12差の15位でシーズンを終了、2006年以来のJ1残留を果たした。 ナビスコ杯は予選リーグで敗退。 天皇杯は準々決勝で広島にPK戦で敗れチーム記録タイのベスト8となった。 2014年 チームスローガン: 飛躍 -プロヴィンチアの挑戦- 城福体制3年目。 が広島へ、伊東輝悦がへ移籍。 またパトリックが退団し、平本一樹、羽生直剛、とのレンタル契約を終了した。 新戦力として、を獲得し、シーズン中にと を補強した。 開幕前のキャンプ中に山梨県全体をが襲い、県内の練習場が使えなくなったうえ開幕戦を国立競技場に振り替えざるを得なくなるなど苦しい状況から始まる。 それでも堅守とFWとして再契約された盛田剛平の活躍などにより前は残留圏内に位置していたが先述の豪雪やの解決による支払金の影響によりW杯期間中の中断ではキャンプを短縮せざるを得なくなり、再開後第15節から第22節まで8戦未勝利(5分3敗)と降格圏まで陥落。 しかし9月に入り第23節の鳥栖戦で9試合ぶりの勝利を挙げると第29節まで2勝3分2敗と持ち直し、第30節の川崎戦に勝利し降格圏から脱出すると続けてC大阪と広島にも勝利。 他の残留争いのチームが伸び悩んだこともあり第32節終了時点でJ1残留が決定し、最終順位は過去最高の13位。 ナビスコ杯は3勝したものの予選リーグで敗退。 天皇杯はベスト16でJ2の北九州に2年連続でPK戦で敗退。 2015年 チームスローガン: 一体 -プロヴィンチアの挑戦- チーム初となるJ1連続3シーズン目。 前年を以て城福が退任。 が新監督に就任した。 クリスティアーノが柏レイソルにレンタル移籍したのをはじめ、、水野晃樹、青山直晃が移籍。 キリノやマルキーニョス・パラナも退団するなど主力が大幅に入れ替わる形となった。 新戦力として元徳島のや元浦和・長崎のを獲得し、さらに昨年はG大阪に戻っていた河田晃兵を完全移籍で獲得した。 ところが、シーズン前にが、開幕直後にも退団した。 また樋口監督による新しい戦術は機能せず開幕から不振に陥り第11節終了時点で2勝9敗、さらに得点だけでなく失点までリーグ最下位に陥ったことから5月13日に樋口監督が辞任した。 代わりにGMの佐久間が監督に就任、4月にはマルキーニョス・パラナを再獲得し、5月にはバレーが9年ぶりに復帰。 アドリアーノ、野田がシーズン途中に退団したが戦術を昨年まで城福が取り入れたものに戻したことでその後は4勝2分と降格圏を脱出し、1stステージを12位で折り返した。 2ndステージも降格圏に落ちることなく14位、総合順位は13位となり3年連続のJ1残留を決めた。 ナビスコ杯は未勝利のまま予選敗退、天皇杯はベスト16で柏に敗れている。 2016年 チームスローガン: 総力 -プロヴィンチアの挑戦- 前年シーズン終了後に佐久間の退任が報じられたが留任となり佐久間体制2年目。 また佐久間は監督・GMに加えて副社長に就任したことで3職兼任となった。 阿部翔平、阿部拓馬、ら主力組や、、ら若手が移籍。 バレー、マルキーニョス・パラナもチームを去るなど退団者が相次ぐことになる。 柏からクリスティアーノが復帰。 その他元鹿島の(1月に契約も2月に契約解除)、元の、、、やら他チームの主力を獲得した。 開幕戦に勝利して初めてJ1首位に立ったものの、相次ぐ選手の負傷によりその後の順位は低迷、6月に今季から復帰したクリスティアーノが古巣柏へ完全移籍してしまい1stステージは降格圏内の17位に終わった。 2ndステージ開幕前に元柏のを補強、さらにマルキーニョス・パラナが3度目、が2度目の復帰を果たした。 この補強に伴い外国人枠の関係でニウソン、チュカが契約解除になった。 残留は最終節まで持ち越され、2ndステージは13位、年間順位14位で残留が決定した。 但し年間勝ち点31は残留した年で過去最低(降格した2011年の33をも下回る)、年間7勝は2007年の降格時に並ぶJ1在籍最低勝利数、得点数は32とリーグワースト3位、失点は58と前年比15も増加しリーグワースト2位タイとなった。 ナビスコ杯は4年連続予選リーグ敗退、天皇杯は初戦でJ3の大分に敗れている。 2017年 チームスローガン: 進化 -プロヴィンチアの挑戦- J1連続5シーズン目。 佐久間が監督を退任(GM及び副社長は続投)、後任に柏と新潟で監督をしていたが就任 がへ移籍、(へ移籍)、、(へ移籍)、、(へ移籍)、にレンタル移籍していた、、、が契約満了で退団した。 新戦力はから、から、から、からを獲得、がレンタル移籍で加入し、大卒3名が新加入し、がレンタル移籍先より復帰、さらに昨年へ移籍したが2年ぶりに完全移籍で復帰した。 開幕直後の3月にからが約1年ぶりに復帰、さらに元のを獲得、6月にはを獲得し、外国人枠の関係でガブリエルが登録抹消、8月には元のを獲得し、外国人枠の関係で加入して2カ月のジュニオール・バホスが登録抹消、9月にはを獲得し、外国人枠の関係でウイルソンが登録抹消となった。 前年課題となった守備については河田に代わり抜擢されたの活躍などで改善されたもののウイルソンの不調や前年負傷したドゥドゥの回復が思わしくなかったため得点力不足は改善されず、また新潟や広島、清水など残留争いをしているチームに連敗するなど取りこぼしが多かった。 途中加入のリンスの活躍で得点力の改善が見られたものの今度は肝心なところで逆転負けを喫するなどし、最終節でベガルタ仙台に勝利したものの15位の清水も勝利したことでJ2降格が決定した。 また、2001年よりプレーしていた石原克哉がこのシーズンを最後に現役引退した。 2018年 -(J2) 2018年 チームスローガン: 完遂 -プロヴィンチアの挑戦- 6シーズンぶりにJ2で戦うことになり、吉田監督は続投。 上述の石原の他、、(シーズン途中から京都へレンタル移籍)といったベテランが相次いで契約満了により退団。 また、がへ、がへ移籍(共にかつて在籍したクラブへ復帰)、もへ移籍し、もJ2のへレンタル移籍した。 一方でJ1チームからオファーのあったリンスや河田晃兵は残留し、(2017年はでプレー)から、から、から、から、からを完全移籍で、から元日本代表FWのをレンタルで獲得。 勝点90を目標に開幕を迎えたが、11戦を終わり2勝5分4敗と16位に低迷し1年でのJ1復帰はおろか降格すら視野に入る事態に陥る。 クラブは第10節終了後に吉田監督続投を確認したが11節終了後の4月30日に契約を解除 、山口の元監督であったが監督に就任するも、第40節に2-0で敗れ、1年でのJ1復帰はなくなった。 成績 詳細は「」を参照 各記録 19連敗(26戦未勝利) 2000年の甲府は第4節の仙台戦(小瀬、1-0)の勝利を最後に連敗を続け、第33節の新潟戦(、1-0)に勝利するまで26戦勝利から遠ざかっていた。 このうち引き分けたのが第11節の鳥栖戦のみであり、残りの25戦はすべて負けていたことから当時の連敗カウントは「 25連敗」であった。 その後「連勝・連敗は引き分けを挟まない 」というルールに改定され、過去の記録もこれが適用されたことから現在は「6連敗の後1分けを挟み 19連敗」となっている。 19連敗に減ったとはいえ、この記録はJ2はもちろんのことJリーグ全体を見ても1996年に京都が記録した17連敗 を上回る記録である。 また、第4節が3月30日、第33節が9月15日開催であったことから実に5か月半勝利から遠ざかっていたことになる。 その後未勝利記録は2003年にサガン鳥栖が更新(シーズン単体で28試合、翌年甲府に勝利するまで30試合まで継続)した が、連敗記録は現在も破られていない。 これまでの記録は2010年に柏が記録した19試合連続無敗であり、甲府はこの記録を5試合上回ることになる。 無敗記録中の成績は16勝8分であり、うち12試合が1点差勝利である。 さらに32節、35節、36節の3試合は後半ロスタイムで逆転勝利を挙げるなど接戦には非常に強かった。 なお、上述の通り19連敗の記録は保持されていることから、甲府はJ2における連敗記録と無敗記録という両方の記録を持つことになった。 参入初戦の戦(、1-2)以来開幕戦4連敗で、初勝ち点は2003年の戦(小瀬、1-1)である。 2011年までの成績は5分8敗で、2011年の時点で開幕戦未勝利は2009年以前にJリーグへ参入した36チームの中では唯一の記録であった(他に未勝利なのは2010年参入のと2011年参入ののみ)。 また、2戦目勝利およびホーム開幕戦勝利も11年目の2009年にようやく達成(第2節戦(、1-0)、第3節(小瀬、2-1))するなど開幕当初は調子が上がらないことが多い。 参入14年目となる2012年開幕戦の戦(中銀スタ)で2-1とJ参入後初勝利を挙げ、同時に未勝利記録は13でストップした。 なお、J1では2016年開幕戦の戦()に2-0で勝利し、7シーズン目で初勝利を挙げている。 Jリーグ参入後の開幕戦の記録 年度 Div. 会場 ホーム 得点 アウェイ 備考 1999 J2 甲府 1-2 大宮 2000 甲府 0-3 札幌 2001 川崎 3-1 甲府 2002 横浜FC 3-2 甲府 2003 小瀬 甲府 1-1 鳥栖 開幕戦初勝ち点 2004 札幌 2-2 甲府 2005 小瀬 甲府 2-2 札幌 2006 J1 小瀬 甲府 0-2 清水 2007 横浜FM 1-0 甲府 2008 J2 小瀬 甲府 1-1 岐阜 2009 岡山 1-1 甲府 2010 福岡 3-1 甲府 2011 J1 甲府 0-1 磐田 2012 J2 中銀スタ 甲府 2-1 栃木SC 開幕戦初勝利 2013 J1 仙台 1-1 甲府 J1開幕戦初勝ち点 2014 甲府 0-4 鹿島 2015 広島 2-0 甲府 2016 神戸 0-2 甲府 J1開幕戦初勝利 2017 G大阪 1-1 甲府 2018 J2 大宮 2-1 甲府 チーム記録 最多得点試合 Div. スコア 試合日 対戦相手 J1 ホーム 4-3 2007年第5節 4月7日 4-3 2011年第23節 7月16日 アウェー 4-0 2011年第29節 10月15日 J2 ホーム 6-1 2004年第19節 6月23日 6-0 2009年第23節 6月24日 6-0 2010年第33節 11月7日 6-2 2018年第16節 5月26日 アウェー 5-1 2003年J2第6節 4月12日 横浜FC 最多失点試合 Div. スコア 試合日 対戦相手 J1 ホーム 1-6 2007年第14節 6月10日 アウェー 1-5 2006年第17節 8月12日 0-5 2007年第29節 10月21日 1-5 2013年第12節 5月18日 J2 ホーム 3-5 1999年第25節 9月10日 FC東京 1-5 2001年第26節 8月14日 アウェー 1-6 1999年第4節 4月4日 0-6 1999年第9節 5月2日 最多連勝記録 J1リーグ戦 3連勝 2007年第7節(4月21日)から第9節(5月3日) J2リーグ戦 6連勝 2012年第23節(7月8日)から第28節(8月12日) 最多連敗記録 J1リーグ戦 8連敗 2013年第11節(5月11日)から第18節(7月31日) J2リーグ戦 19連敗 2000年第13節(5月18日)から第32節(9月11日) 個人記録 通算最多出場者 通算はリーグ戦とカップ戦(、)のみ。 、引退試合、練習試合などは省略する。 通算 507試合 - 初出場2001年4月21日 vs. 横浜FC戦• リーグ戦 467試合 - 石原克哉 通算出場試合上位 JリーグのJ1・J2リーグ戦のみ。 太字は2018年開幕時点での在籍選手。 記録は2015年シーズン終了時点。 順 選手名 出場試合数 在籍期間 備考 1 石原克哉( ) 467試合 2001-2017 2 山本英臣( ) 436試合 2003- 3 藤田健( ) 354試合 2001-2010 4 倉貫一毅( ) 246試合 2000-2006 5 池端陽介( ) 218試合 2002-2010 6 杉山新( ) 217試合 2003-2009 7 荻晃太( ) 188試合 2009-2015 GK最多。 8 津田琢磨( ) 179試合 2003-2017 2008年はシーズン途中まで愛媛在籍。 9 松橋優( ) 160試合 2009- 10 阿部謙作( ) 155試合 2003-2009 2005年はシーズン途中まで神戸在籍。 伊東輝悦( )(Jリーグ通算555試合試合出場、うちJ1リーグ戦517試合はに次いで歴代2位。 甲府では59試合に出場)• 仲田健二( )(リスト・オブ・ワン・クラブ・マン。 J2ではリーグ146試合、旧JFLを含めると228試合に出場) 通算最多得点• 43得点 - 初出場:2005年3月5日 vs. 札幌戦 最多連続得点試合• 5試合• バレー 2005年J2第11節(5月7日)から第15節(6月4日)• 2012年J2第35節(9月23日)から第39節(10月21日) シーズン最多得点 J1リーグ戦 17得点 - 2011年 J2リーグ戦 32得点 - ダヴィ 2012年 通算チーム得点上位 2014シーズン終了時点。 得点数はリーグ戦のみ。 順 選手名 得点数 在籍期間 備考 1 バレー( ) 43得点 2005-2006 2015 入れ替え戦の7得点を除く 2 藤田健( ) 41得点 2001-2010 3 ハーフナー・マイク( ) 37得点 2010-2011 3 マラニョン( ) 37得点 2008-2010 2015 5 ダヴィ( ) 33得点 2011-2012 2016 年度別チーム得点王 年度 リーグ チーム得点王 得点(試合数) 備考 1999 J2 大柴克友( ) 堀井岳也( ) 7点(36試合) 2000 金晃正( ) 5点(40試合) 2001 太田圭輔( ) 11点(44試合) 2002 鶴見智美( ) 影山由高( ) 8点(44試合) 2003 小倉隆史( ) 10点(44試合) 2004 バロン( ) 14点(34試合) シーズン途中鹿島へ移籍 2005 バレー( ) 21点(44試合) リーグ得点2位 2006 J1 バレー( ) 14点(34試合) 2007 茂原岳人( ) 6点(34試合) 2008 J2 マラニョン( ) 9点(42試合) 2009 マラニョン( ) 19点(51試合) 2010 ハーフナー・マイク( ) 20点(36試合) リーグ得点王 2011 J1 ハーフナー・マイク( ) 17点(34試合) リーグ得点2位 2012 J2 ダヴィ( ) 32点(42試合) リーグ得点王 2013 J1 ウーゴ( ) パトリック( ) 5点(34試合) シーズン途中に退団 シーズン途中より加入 2014 クリスティアーノ( ) 盛田剛平( ) 5点(34試合) 2015 バレー( ) 8点(34試合) シーズン途中より加入 2016 クリスティアーノ( ) 7点(34試合) シーズン途中柏へ移籍 2017 リンス( ) 6点(34試合) シーズン途中より加入 ハットトリック 得点数 氏名 達成日 対戦相手 J1 達成者なし 入替戦 6得点 バレー 2005年12月10日 第2戦 柏 J2 4得点 バロン 2004年5月2日 第9節 水戸 3得点 ジョルジーニョ 2002年10月19日 第38節 福岡 山崎光太郎 2004年6月23日 第19節 横浜FC バレー 2005年5月28日 第14節 徳島 マラニョン 2010年4月29日 第9節 札幌 ハーフナー・マイク 2010年11月7日 第33節 北九州 カップ戦 3得点 須藤大輔 2007年7月7日 準々決勝第1戦 川崎 記念ゴール ゴール数 氏名 達成日 対戦相手 J2 2500 ジョルジーニョ 2002年11月10日 J2第42戦 鳥栖 3500 バロン 2004年6月26日 J2第20戦 京都 8000 大西容平 2009年10月4日 J2第43戦 東京V タイトル チームタイトルおよび個人別タイトルはリーグ戦およびカップ戦のみ記載。 チームタイトル• :1回• 個人別• 2011年• フェアプレー個人賞• 2016年• 得点王• 2007年、6得点• 2014年、6得点• 得点王• 2010年、20得点• 2012年、32得点• ベスト11• 1998年 その他表彰• 2015年• 2018年 スタジアム 「」も参照 現在ホームスタジアムとして使用しているに代わるスタジアムとして、2014年4月25日にヴァンフォーレ山梨スポーツクラブをはじめとする球技4団体は山梨県に総合球技場建設を陳情し、署名活動を開始。 同年9月12日に4団体の関係者らが山梨県に9万5627筆の署名を提出した。 2016年12月に球技場建設に向けた検討委員会から「周辺」と「リニア駅前(甲府市大津町)」の2箇所を候補地とする旨の報告書が提出された。 2017年7月27日に山梨県は山梨県小瀬スポーツ公園の南側の第3駐車場部分を建設場所に決定したと発表した。 ユニフォーム ユニフォームの色 カラー シャツ パンツ ストッキング FP(1st) 青 青 青 FP(2nd) 白 白 白 GK(1st) 黄緑 黄緑 黄緑 GK(2nd) 赤 赤 赤 GK(3rd) グレー グレー グレー GK 3rd チームカラー• ブルー ユニフォームスポンサー 掲出箇所 スポンサー名 表記 掲出年 備考 胸 はくばく 2001年 - 2006年 2009年 - 2007年 - 2008年は背中 鎖骨 NNS 日本ネットワークサービス 2019年 - 左側に表記 Jit ジット 2019年 - 右側に表記 2009年 - 2012年は袖 背中上部 山梨中央銀行 2017年 - 2015年 - 2016年は袖 背中下部 コイケ 2016年 - 袖 クスリのサンロード 2018年 - パンツ 〇愛 MARUAI 2018年 - ユニフォームサプライの遍歴• 1997年:• 1998年:• 1999年 - 2002年:• 2003年 - 2006年:• 2007年 - 2010年:アンブロ• 2011年 - 現在: ユニフォームデザイン• 甲府クラブ時代はのをイメージする赤一色であったが、ヴァンフォーレになってからはホームは青、アウェーは白を基調としている。 Jリーグ参入後にサプライヤーがエレーネとなり、ホームユニフォームは青と一部分が白であった。 デレルバになった2003年から甲府クラブ時代の基調であった赤色が入るようになった。 他のサプライヤーは2年ごとにデザインが変更されるが、デレルバ時代のみ毎年デザインが変更されている。 アンブロになった2007年からは水色に近い色になり、袖などの一部分が赤や白だったのを除き青色部分が多くなった。 夏季ホームゲーム数試合では記念ユニフォームを着用することがある。 2015年:山梨県内各市町村の地図がちりばめられたもの• 2016年:ゴール裏の光景と星空• 2017年:紫色に葡萄のイラスト• 2018年:山梨特産の水晶• 主要練習場はにある八田河川敷グラウンド。 Jリーグクラブライセンス制度ではU-18、U-15、U-12、U-10の4世代にチームを設けることがA等級基準(Jリーグに参入するにあたり必要とされる基準)となっている。 但しU-12およびU-10は定期的にサッカースクールを行なうことで代替可能としており、U-10世代は甲府市(北部・南部)、南アルプス市、、にてサッカースクールを行なうことで基準をクリアしている。 ヴァンフォーレ甲府U-18 設立はトップチームがJリーグ参入してから2年後の2001年。 U-12が設立される前の2009年までは「ヴァンフォーレ甲府ユース」の名前であった。 2007年に県リーグを勝ち上がりプリンスリーグ関東2部へ参入したが、1年で県リーグへ降格。 2014年に参入決定戦を勝ち上がり、2015,2016年にはプリンスリーグ関東に参入していた。 は関東予選の壁を破れずにいたが2010年に初めて全国大会に出場。 さらに2013年には予選リーグを突破し決勝トーナメントに進出。 2015年はのを破りベスト8まで進出している。 出身者はを参照のこと。 年度 所属 順位 試合 勝点 勝 敗 分 U-18選手権 Jユース杯 備考 2008 2部 12位 9 4 1 4 1 関東予選敗退 予選G敗退 リーグ戦(Aパート)6位 11・12位決定戦敗退 2009 山梨県Aパート 優勝 6 18 6 2 1 関東予選敗退 予選G敗退 参入決定戦敗退 2010 山梨県Aパート 3位 9 18 6 2 1 予選G敗退 予選G敗退 2011 山梨県Aパート 3位 9 18 5 3 1 関東予選敗退 予選G敗退 2012 山梨県Aリーグ 優勝 14 39 13 1 0 関東予選敗退 予選G敗退 参入決定戦敗退 2013 山梨県1部 2位 18 46 15 2 1 ベスト16 予選G敗退 2014 山梨県1部 優勝 18 46 15 2 1 ベスト16 ベスト16 参入決定戦勝ち抜き 2015 プリンス関東 9位 18 17 4 9 5 ベスト8 2回戦敗退 2016 プリンス関東 10位 7 18 1 13 4 予選G敗退 3回戦敗退 2017 山梨県1部 3位 18 39 11 1 6 予選G敗退 2回戦敗退 2018 山梨県1部 優勝 18 45 15 3 0 予選G敗退 1回戦敗退 参入決定戦敗退 「山梨県Aパート」「山梨県Aリーグ」は山梨県1部相当。 ヴァンフォーレ甲府U-15 設立はJリーグ参入初年度である1999年。 U-12が設立される前の2009年までは「ヴァンフォーレ甲府ジュニアユース」の名前であった。 年度 所属 順位 試合 勝点 勝 敗 分 備考 2010 4位 11 9 4 3 0 2011 3位 23 9 7 2 2 優勝 2012 3位 22 47 15 5 2 2013 10位 22 25 7 11 4 2014 10位 22 19 2 7 13 2015 4位 18 35 10 7 5 2016 6位 22 33 9 7 6 2017 10位 22 21 5 11 6 2018 10位 22 24 6 6 10 ヴァンフォーレ甲府U-12 U-12については2009年までチームを結成していなかったが、全体の底上げを図る目的のために結成された。 U-12世代の育成は上述のサッカースクールでも行なっているが、U-12チームはそれとは別に選考会を行ない選抜されている。 また、から指導者を招くなど重点的に指導を行なっている。 そのため結成から間もない状態でも全国大会に出場し、2016年のでは優勝を飾っている。 「U-12 ジュニアサッカーワールドチャレンジ2016」ではやのU-12と対戦している(マンチェスター・シティとは引き分け、バルセロナには負け)。 また、世界大会であるでは予選ブロックを1位で通過すると、、、(のU-12チーム)といった強豪国相手に勝ち上がり、決勝に進出した。 決勝では(のU-12チーム)相手にPK戦で敗れたものの、世界レベルの強豪チーム相手に善戦している。 年度 ダノン杯JAPAN チビリンピック U-12選手権大会 その他大会 備考 2011 全国予選L敗退 関東大会敗退 県予選敗退 2012 全国予選L敗退 関東大会敗退 県予選敗退 2013 ベスト8 3位 ベスト8 2014 ベスト16 関東大会敗退 全国2次敗退 2015 3位 関東大会敗退 県予選敗退 2016 優勝 関東大会敗退 ベスト8 ダノンネーションズカップ2位 2017 全国予選L敗退 関東大会敗退 県予選敗退 2018 3位 関東大会敗退 ベスト16 2019 優勝 関東大会敗退• ダノン杯JAPAN:ダノンネーションズカップ in JAPAN• チビリンピック:• U-12選手権大会: その他 2010年ににあるU-15およびU-12のサッカーチーム「八ヶ岳グランデフットボールクラブ」と業務提携を締結し、2011年より「ヴァンフォーレ八ヶ岳」として活動していた。 2017年を以て業務提携を解消し、チーム名も「グランデ・アメージング・アカデミー」となっている。 キャンプ地 年度 季 地域 会場 2001 春 波崎サッカーパーク 2002 春 2003 春 静岡県 2004 春 2005 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 2006 春 清水台総合公園多目的広場 夏 ・など サブグラウンドなど 2007 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 宮崎県 綾てるは文化公園サッカー場 夏 ソウル・水原市など 水原WCスタジアムサブグラウンドなど 2008 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場 2009 春 レオパレスリゾート 宮崎県東諸県郡綾町 綾てるは文化公園サッカー場 2010 春 宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場 2011 春 和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場 宮崎県東諸県郡綾町 サイクリングターミナル陸上競技場 2012 春 和歌山県和歌山市 紀三井寺運動公園陸上競技場 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 2013 春 静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 夏 山梨県 2014 春 静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 静岡県静岡市清水区 清水蛇塚スポーツグラウンド 夏 静岡県裾野市 時之栖スポーツセンター 2015 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 2016 春 静岡県静岡市清水区 清水ナショナルトレーニングセンター 宮崎県東諸県郡綾町 綾町小田爪多目的競技場 メディア 地元メディアによる試合中継• (県域) - 一部は相手チームの地元局との相互放送、あるいは甲府局単独でアウェイ中継も行う。 (YBSテレビ、YBSラジオ) - ラジオは年1試合程度SBSラジオが乗り入れる事例がある(「富士山ダービー」)。 また特番『SSS〜スリーエス〜』としてアウェイ試合の経過速報を伝えることもある。 一般的な実況中継でもアウェイに乗り込んで独自制作することがある。 テレビは基本的にホーム試合で、向け映像制作・実況も担当していた。 UTY - 年1試合程度。 過去に『』の時間帯での実況中継(後半のみ)を行ったことがある。 - 主にホーム試合。 『ヴァンフォーレ甲府入れ込み実況中継』 - ホーム、アウェイとも同程度の中継回数。 その他チーム情報• YBSテレビ『』内「ヴァンフォーレEX」• YBSテレビ『』(2016年より『』の番組内コーナー)• YBSテレビ『』内特集コーナーほか(主に月・金曜)• YBSテレビ『』• YBSラジオ『』内「MOVE〜青きイレブンの挑戦!! YBSラジオ『』内「ヴァンフォーレ キックス」• NHK甲府『』内「ひるまえヴァンフォーレ」• NHK甲府『』内「マンデーVF」 月曜が祝日等で特別編成になった場合、「チューズデー〜」等になる場合もある• NNS甲府CATV局『』水曜コーナー• 『』木曜コーナー「AVENUE5〜VIVA! VENTFORET」• エフエム甲府『こまっちゃんの金曜日〜元気はつらつフライデー〜』内「ヴァンフォーレ甲府情報」• かつ筆頭株主。 で唯一地元専用の「やまなし報知」を原則週3回(毎週土・日・月)発行し、ヴァンフォーレ甲府の情報も取り扱う。 2015年までは毎月25日発行の公式マガジン。 2016年は希望者申込制の不定期刊行であったが、2017年に月刊誌として再刊行される予定。 ヴァンフォーレ甲府公式サイト 決算 ヴァンフォーレ甲府の決算は、つぎのとおり。 損益 年度 収入 広告料 入場料 配分 その他 費用 事業費 人件費 管理費 利益 純利益 2005 670 246 159 178 87 579 419 262 161 91 50 2006 1,343 571 385 242 145 1,102 857 556 245 241 135 2007 1,655 768 436 276 175 1,506 1,100 741 406 149 54 2008 1,263 647 276 99 241 1,236 911 587 325 26 24 2009 1,094 497 293 119 185 1,080 798 498 290 14 0 2010 1,067 499 297 117 154 1,056 763 473 293 11 0 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 、 、 、 、 、 金額の単位: 百万円 人件費は事業費に含まれる。 年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 販売 利益 純利益 2011 1,465 635 421 216 29 164 1,400 671 84 149 17 0 479 65 44 2012 1,179 554 291 103 26 205 1,148 476 66 170 18 0 418 31 15 2013 1,481 683 403 208 36 151 1,460 707 101 172 21 0 459 21 3 2014 1,518 749 422 191 47 109 1,515 759 119 175 25 0 437 6 -74 2015 1,525 751 354 186 50 184 1,470 736 86 154 28 0 466 55 21 出典: 各年度のJクラブ決算一覧。 、 、 、 、 金額の単位: 百万円 年度 収益 広告料 入場料 配分 育成 物販 その他 費用 人件費 試合 トップ 育成 女子 物販 販売 利益 純利益 2016 1,523 736 342 193 59 61 132 1,499 736 88 182 28 0 42 423 24 8 2017 1,727 774 353 446 28 74 52 1,689 883 103 181 30 0 57 435 38 19 2018 1,511 760 297 286 19 62 87 1,500 747 113 172 33 0 45 390 11 1 2019 1,455 800 286 149 24 87 109 1,460 707 108 171 26 0 70 378 -5 -5 資産 年度 総資産 総負債 純資産 資本金 2005 278 315 -36 335 2006 553 423 130 367 2007 566 381 184 367 2008 506 297 209 367 2009 463 253 210 367 2010 516 305 210 367 2011 573 296 276 367 2012 606 314 292 367 2013 568 273 295 367 2014 556 335 221 367 2015 620 378 242 367 2016 615 365 250 367 2017 652 383 269 367 2018 585 314 270 367 2019 588 322 266 367• 塚田は当時Jリーグの監督をするのに必要なを所持していなかった。 塚田が総監督として実質的に指揮をとっていた。 開幕直前の3月に自社の業務に専念という理由から退任。 茂原は主審に対する侮辱行為および器物破損によりナビスコ杯を含め7試合出場停止、林は出場していなかったが試合終了後の主審に対する暴言により2試合の出場停止• 甲府クラブ時代を含め、シーズン途中で監督を解任したのは初めて。 節と試合数が合わないのは当時のJ2は11チームであり、節によっては休みがあったため• 但し1998年まではリーグ戦でもが実施されており、京都の場合は引き分けが存在しなかった時の記録である。 現在は2010年-2011年にギラヴァンツ北九州が記録した35試合未勝利。 現在のJリーグクラブライセンス制度ではA基準であり参入前の審査で設立または設立の見込みがないとされるとJ3を含めライセンスが発行されないが、J2が設立された1999年当初は猶予期間を設けられており、参入から3年以内のU-18(2種)チームの設立を義務付けられていた。 当初は予定していなかったキャンプ地であるが、平成26年豪雪の影響により県内の主要練習場での練習ができないことから、急遽追加された。 日本プロサッカーリーグ. 2020年5月14日閲覧。 ヴァンフォーレ甲府公式. 2014年10月31日閲覧。 (山梨学院大学公式)• ,2011年12月3日• ,2011年12月2日• (2013年1月15日、J's GOAL)• (山梨日日新聞)• 過去2チームでは国籍はブラジルであり通常の外国人枠での登録であったが、その後、東ティモール国籍を取得、今回はアジア枠として選手登録された• プレスリリース , ヴァンフォーレ甲府, 2014年12月8日 , 2014年12月8日閲覧。 プレスリリース , ヴァンフォーレ甲府, 2016年11月15日 , 2016年11月19日閲覧。 ヴァンフォーレ甲府公式 2018年4月30日. 2018年5月1日閲覧。 J1に昇格した2013年シーズンの初戦も引き分けたので チーム記録としては25戦• プレスリリース , ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, 2014年2月21日 ,• プレスリリース , ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ, 2014年2月21日 ,• 山梨日日新聞. 2014年4月25日. スポーツ報知. 2014年9月12日. 毎日新聞地方版. 2017年7月28日. 2017年7月29日閲覧。 ヴァンフォーレ山梨スポーツクラブ. ヴァンフォーレ甲府公式サイト|VENTFORET KOFU OFFICIAL WEBSITE. 2019年7月28日閲覧。 - チャンネル.

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