藤田 孝典。 藤田孝典はもう黙ってろよ、二枚舌野郎だってバレたんだからさ

藤田孝典先輩,大丈夫ですか???~岡村隆史さんの騒動を受けて思ったひとりの後輩社会福祉士の戯れ言~|かんねこ(弁護士、社会福祉士)|note

藤田 孝典

こんにちは図解士です。 先日からTwitter界隈を中心として、ファミリーマートの子ども食堂事業が話題になっています。 というのも、このファミリーマートの子ども食堂事業に対して、藤田孝典という社会福祉関連の活動家の方が噛みついたからです。 この辺が意見の対立を取り上げていて詳しいです。 () その後、藤田氏はヤフーニュースにも寄稿しています。 () このヤフーニュースを読んで、これはもはや提言とすら呼べないな、と思ったのが今回の記事を書くきっかけです。 Twitterでは話があっちこっちに飛びますので、今回はヤフーニュースの藤田氏の記事のみを取り上げて、なぜ私がここまで酷評を下したのかを合わせて解説します。 藤田孝典氏、ファミリーマートの「子ども食堂」事業に噛みつく。 先の投稿記事での藤田氏の意見は三つに集約できるでしょう。 ・先駆者に敬意を表し、理念や思想を共有すべし ・コンビニはワープア再生産の現場 ・国家責任を後退させる民間支援 急いで書いたのが分かる文章です。 正直、後ろ二つに至っては子ども食堂とは直接関係ないですしね。 とりあえず一つずつ見ていきましょう。 先駆者に敬意を表し、理念や思想を共有すべし 藤田氏にによれば「子ども食堂」とは、以下のような存在だそうです。 手づくりで温かい家庭的な食事を提供されることが一般的 食事を提供するだけではなく、子どもとの交流も目的に地域での見守り支援や家庭への支援も含まれている 確かに、そういう形態で営まれていることが多いかもしれません。 しかし、そうとも限りません。 以前、私は子ども食堂の運営が厳しくて辞めてしまった事例を取り上げたことがあります。 その活動をなさっていた方は、食堂という形ではなく、小さなお祭りのようなイベントを主催することで、子供たちの支援を続けることにしました。 彼の活動は「子ども食堂」よりも敬意を抱けないものでしょうか。 理念として劣るのでしょうか。 そんなはずはありません。 子供たちを支援しようと思う志は活動の形態を問わず素晴らしいものですし、子ども食堂かくあるべし、という決まりなどどこにもないはずです。 私がツイッターで呟いたことですが、こういうたこ焼き屋もあります。 このたこ焼き屋は小学生は10円でたこ焼きを買うことができます。 そして10円すら持っていない子供のために、わざと内部を布張りにした箱で代金を回収しています。 仮にお金を持っていない子供でも、払ったふりができるようにです。 これも従来の「子ども食堂」とは異なった支援活動ですが、藤田氏はこういう活動は認められないのでしょうか。 そうではありませんよね。 子ども食堂の形を一つに縛る必要はないのです。 コンビニはワープア再生産の現場 正直、「だから何なんだ」で終わる意見なのですが、それではあまりに不親切なのでもう少しだけ書き加えます。 そもそも、コンビニがどうやってワープアを生産するのでしょうか。 その過程が分かるならぜひ教えてほしい。 たしかに藤田氏の言う通りコンビニでは多くのワープアと表現される人々が働いているでしょう。 しかし、コンビニは何か強大な権力をもって彼らをワープアに陥れているわけではありません。 ワープアが都合よく労働力として働いてくれるので、それを活用しているだけです。 コンビニで働き続けることによってワープアの人はワープアのままかもしれません。 しかし、だからと言ってコンビニにその人々の生活の向上まで求めるのは筋が違うはずです。 それは大きくは社会の問題であり、行政の仕事でしょう。 一時期、仕事で池袋に通っていた時、サンシャインビルに向かってファミリーマートの違法労働を訴える集団に出会ったことがあります。 私には詳細は分かりませんが、藤田氏にはそういったファミリーマートの労働搾取についての話題を豊富に知っているのかもしれません。 しかし、それとこれとは別です。 藤田氏が悪と決めたら、どんな慈善活動も許されないのでしょうか。 そんな馬鹿な。 ファミリーマートが子ども食堂をやったっていいじゃないですか。 結局これは「だから何なんだ」で終わる話なのです。 国家責任を後退させる民間支援 これはもう語る気すら起きないのでばっさり言ってしまいますが、一企業の福祉事業と国家論になんの関係があるんですか? 総括 全体を通して言えることは、藤田氏の意見には、何一つ生産性が無い、ということです。 ファミリーマートの「子ども食堂」事業で救われる子供や家庭はあっても、藤田氏の意見で救われる人は誰もいません。 あったとしても勘違いした慈善活動家の偏屈な自尊心だけでしょう。 なぜ社会活動家として実績のある彼がこんな筋の通らない意見を書いてしまったのでしょうか。 彼のこの件での第一声はおそらくはTwitterだと思いますが、最初から彼は多くの批判にさらされてきました。 私も藤田氏の一連の発言には賛同できない部分も多くありますが、言い方さえ気を付けていれば、あそこまで炎上することもなかったでしょう。 ファミリーマートの労働問題など、周知する良い機会だったかもしれません。 そして、炎上のストレスがあの記事につながってしまったとしたら、それはとても残念なことです。 さすがに視野狭窄にすぎます。 結果として、ご本人の評価を下げるだけの結果になってしまいました。 なにより文章に焦りがにじみ出ています。 クールダウンすべきだと思います。 藤田氏の志そのものは立派なものでしょうし活動実績だってあります。 落ち着いて意見を述べればきっと素晴らしいものになるのではないでしょうか。 ちなみに、不明なる私の意見としましては、藤田氏にはこういった事業のノウハウがたくさんあるのでしょうし、それをファミリーマートに売り込んでみれば、より良い成果につながるような気がするのですがいかがでしょう? なんかえらそうですいません。 藤田氏を藤井氏と間違っておりました。 謹んでお詫びします。 訂正いたしました。

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各社をブラック企業と批判する労働活動家の藤田孝典氏、自身が代表のNPO職員は月収17万円の低賃金!しかも批判されると「今は20万円だ!この職業はだいたいこんなもん!」と「強欲でケチな資本家」のような捨て台詞を吐く!

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そして時は現代、岡村隆史のオールナイトニッポンに戻る… こうして勃発した「大坂の陣(1614年、1615年)」で豊臣家は完全に滅ぼされた。 もっとも現在では、鐘銘した文英清韓は豊臣恩顧の僧であり、真意としてはやはり家康を呪詛する内容で、なまじ家康側の完全な言いがかりともいえないという見方もある。 が、鐘銘した側にいささかの落ち度があろうとなかろうと、そんなことは家康にとって何の問題でもなかったのであった。 こうした難癖、言いがかりは近世世界に特有のものではない。 発言者の言を切り取り、恣意的で扇情的な見出しを作って格好の攻撃目標とする。 そんな姿勢は、時代が400年を経た現在でも変わらないようだ。 4月23日のニッポン放送の『岡村隆史のオールナイトニッポン』での、岡村氏の発言(以下岡村発言)が物議をかもした。 番組終盤、リスナーからのメールに応える形で、「コロナ明けたら、ナカナカの可愛い人が短期間ですけれども、美人さんがお嬢やります。 (略)コロナ明けた時に、われわれ風俗野郎Aチームみたいなもんは、この3カ月、3カ月を目安に頑張りましょう」という内容であった。 私はこの番組をカーラジオでBGM代わりにしていたので、当該部分は聞き逃していた。 岡村発言を直接聞かずに批判する、藤田孝典氏の言いがかり 岡村隆史 お笑いコンビ「ナインティナイン」メンバー=2019年08月29日、「Dクリニック」新CM発表会。 東京都港区(写真=時事通信フォト) 岡村発言がにわかに問題化するのは、番組終了後数日たって、FLASH電子版がこの発言を文章化して報道したことだ。 このFLASH電子版の報道を引用する形で、すぐさま批判記事を書いたのが社会福祉士でNPO法人ほっとプラス理事である藤田孝典氏であった。 藤田氏の記事中では、ラジオの生放送や後日ネットで聴取できるradikoでの一次音声からの出典は一切無く、あくまでFLASHからの二次引用の形に終始していた。 岡村氏は「楽しみ」などとは一言も言っていない。 通常、記事のタイトルは編集者がつけるものである。 記事中の内容には登場しない単語が記事のタイトルに冠されるのは、編集作業の慣行からいって常識の範囲内ともいえるが、藤田氏の記事は藤田氏自身がタイトルをつけているので、極めて恣意的で扇情的な見出しと言える。 通常、見出しに記される括弧「」は引用を示すので、それ以外のところが趣旨の要約であっても、括弧「」内は発言事実に正確でなければならないのである。 仮に私がタイトルをつけるとすれば「いわゆる『岡村発言』は女性軽視で撤回すべきだ」くらいであろう。

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岡村隆史VS藤田孝典が燃えている(以下,この記事においては敬称略)。 岡村隆史がラジオ番組において性産業をめぐる失言をし,これを藤田孝典が叩き続けた。 叩き方は謝罪を求めるだけではなく,番組降板を含めた厳正な処分も必要ではないかと示唆するものであった()。 ネット上でかなりの「岡村叩き」がおこったのは,おそらく藤田さんが最初に書いたがきっかけだ。 番組降板を求める署名運動まで巻き起こっている。 ラジオ番組で岡村隆史は謝罪をした。 しかし,謝罪後においても批判は止んでいない。 謝罪後における,先日(2020. 4)の藤田さんのツイートがこれだ。 『岡村さんを追い込んだのは岡村さん本人の言動』 実に容赦ない。 岡村さんを追い込んだのは岡村さん本人の言動。 社会福祉士は人権侵害、差別や排除に出会った時に原則として、有効な方法を駆使して、問題化、公然化してアクションし、是正するもの。 明らかな権利侵害、差別は容認しない。 職責を全うしているのであって、非難される理由は一切無い。 — 藤田孝典 fujitatakanori ところで,藤田さんは社会福祉士だ。 社会福祉士とは,国の登録を受け,社会福祉士を名乗って,困った人の福祉に関する相談に応じて,助言や指導を行ったり,関係者との連絡や調整を行ったりする専門職だ(社会福祉士及び介護福祉士法2条1項)。 藤田さんがいつ社会福祉士になったのかは定かではないが,かなり前のことだろう。 これに対して,私は今年の4月に社会福祉士として登録を受けた。 つまり,藤田さんは私にとって社会福祉士の先輩なのだ。 キャリアがかなり違うだろう。 いわば,新人(私)とベテラン(藤田さん)だ。 (ただし,全く面識はない。 ただ,同じ資格を保有しているという意味において先輩と後輩の関係であると表現している。 ) 幽遊白書(魔族として覚醒する前)の霊界探偵で例えると,浦飯幽助と仙水忍くらいの違いはある。 藤田さんに「君の社会福祉士としての能力値を10とするとオレは100だ」と言われても仕方のない状況だ。 その先輩が,今回,岡村さんの騒動で話題になったのだが, 私は,正直言って藤田さんのアプローチに「社会福祉士としてどうなのだろう」という違和感を覚えていた。 確かに,岡村さんの発言は批判されてもやむを得ない。 しかし,それゆえに,社会福祉士が岡村さんをネットで叩き続けるのはいかがなものか。 そう思ってネットを探っていたら,どうやら藤田さんの今般に行動に違和感を覚える福祉職はそれなりにいそうだ。 例えば,次のような発言がみられた(それぞれ,異なる人物による発言である)。 ・社会福祉士を名乗って発言するのを控えてもらいたい ・謝罪し土下座している相手の頭を足で踏みつけ滅ぼすのが弱者の味方である社会福祉士のやることか。 ・藤田さんの本意でなくとも発言によって傷つき恐怖を感じる者もいるはずだ ・「社会福祉士は・・・」と,あたかもほかの社会福祉士も同じ考えであるかのように言うのはやめてほしい (以上はTwitterでみられたものを表現を変えて紹介) クローズなネット環境でも福祉関係者(あるいは福祉職をめざすもの)による次のような意見がみられた(それぞれ,異なる人物による発言を表現を変えて紹介)。 ・社会福祉に従事する人は,非審判的態度(相手を裁かない態度)で事にあたるべきだ。 ・発言者(岡村さん)が強者であったために声高にでしゃばること自体疑問である。 ・間違いを起こした者を攻めたり排除しようとする考え方は社会福祉士以前に人としてどうか ・社会啓発という観点では,1人の人を責めているようにしか見えず不適切だ。 浦飯幽助は先輩である仙水に「よぉ先輩,聞くところによるとトチ狂ったそうじゃねーか」と言った。 そこまで強烈な表現でなくとも,藤田さんの今般の行動に強烈な違和感を覚えている福祉職は相当いるはずだ。 その違和感の正体が何なのか。 それを探る一つのヒントにもなるであろうから,以下,私の違和感を説明してみる。 もっとも,藤田さんからは「誤解だな 真実に目覚めたのさ」と言われるかもしれないが。 この発言により傷ついた女性も確かにいるはずだ。 あるいは,男性でも傷ついた者がいるかもしれない。 発言の内容や公共の電波での発言であることも考えれば謝罪があって然るべきものとは思う。 もっとも,藤田さんは直接的には岡村発言の対象ではない(岡村さんは藤田さんを念頭において発言したわけではない。 当然だが。 岡村発言の対象(これによりダイレクトに不快感を覚える人)は女性,特に,貧困ゆえに性産業につかざるを得なくなる女性である。 その意味で,藤田さんは岡村発言の直接的な被害者ではない。 直接的な被害者ではない第三者がなぜ岡村さんを叩くのか。 社会福祉の世界では,困っている人に代わって福祉職が言いたいことを代弁してあげる,という考え方があり,これをアドボカシーという。 藤田さんが貧困女性の立場を「代弁」しようとしたこと自体は社会福祉士として特に間違ってはいない。 しかし,藤田さんのアクションに対する違和感の一つ目は, 代弁の内容が適切だったのか,ということだ。 誰かを「代弁」するためには,その誰かが何を感じているのか,何を言いたいのかを細かく吟味することが必要だ。 そうしないと「 いや,私はそんなこと言って欲しくないんだけど」ということになりかねない。 当たり前の話である。 社会福祉士になるにあたって学ぶ原則に「 自己決定の原則」というのがある。 これは, 自分の行動を決定するのはあくまでクライアントであるという考え方だ。 社会福祉士が勝手に「クライアントはこのように困っている」と断定して「代弁」を行うことは,この原則にもそぐわない。 ちょっと考えれば,藤田さんの記事について,性産業の当事者が不快に思う可能性があり得ることは容易に想定できる。 藤田さんの記事は性産業が貧困ゆえにやむを得ずにつく(あたかも)「かわいそうな仕事」であり「その仕事はなくなればいい」ということが前提とされている。 少なくとも,そう読み取られてもおかしくない文面なのだが,その考えに異論を挟む性産業の当事者は必ずいるだろう。 「そんな偏見をもたれたくない」「この仕事がなくなったら困るんだ」などと。 藤田さんのアクションは,この点を吟味していなかった。。 この批判については,藤田さんはぜひとも応答すべきである。 それが「代弁」者の責任であると思う。 まとめると, 福祉職が何かを「代弁」するときには,当事者(本件では性産業従事者)がその代弁により何を感じるか,代弁を望んでいるかを徹底的に考えること。 それが社会福祉士としての姿勢の基本である。 それを行わない「代弁」は当事者にとってかえって迷惑になり得るのではないか,ということを藤田さんには思い出してもらいたい。 目的が「 貧困ゆえに実際にはつきたくない性産業に女性が従事せざるを得ない事態をできる限りなくすこと」だとすれば,その目的自体に異論はない。 しかし, 岡村隆史氏個人を批判しても,その目的は何ら達成されないことは明らかだ。 藤田さんは,目的達成にとって関連性があまりにも薄い「敵」(岡村さん)を作って叩いている。 私にはそう感じられる。 もちろん,岡村発言を叩くことは,岡村さんの発言が許されないことを社会に知らしめる,という限度で意味があるかもしれない。 しかしながら, 社会の改善を目的にいち個人が激しく叩かれてもかまわない,というのは「全体主義」の思想であり,個人が社会に縛られずのびのびと生きることを手伝うべき社会福祉士がもっとも嫌悪すべきものである。 社会福祉士が守るべき倫理綱領には,次のように書かれている。 「社会福祉士は, すべての人間を,出自,人種,性別,年齢,身体的精神的状況,宗教的文化的背景,社会的地位,経済的状況等の違いにかかわらず, かけがえのない存在として尊重する」 この「かけがえのない存在」に貧困に陥った女性が含まれることは当然だが, 岡村隆史氏個人も「かけがえのない存在」である。 一人の個人の「失言」に対して,執拗に謝罪を要求し,謝罪をしたあとも叩き,番組降板も含めた厳正な処分が妥当であるかのような記事を社会福祉士が書くのは正しいのだろうか。 少なくとも,岡村隆史氏個人を「かけがえのない存在」として尊重していないことは間違いないだろう。 岡村隆史氏個人にスポットライトをあてると,うつ病にかかっていた可能性がある。 少なくとも,ネットではその類の情報が相当出てくる。 うつ病に現にかかっている,あるいはかかっていた人間を世間が徹底的に糾弾すれば,その人がどういう精神状態になるか,場合によっては自殺のおそれさえあるのではないか,というのは社会福祉士としては当然想定しなければならない。 藤田さんは,このようなことまで考えて「かけがえのない存在」であるはずの岡村隆史氏を糾弾しているのだろうか。 大バッシングによって彼の精神が破壊されてもそれは岡村隆史の「自己責任」なのだろうか(ちなみに, 「自己責任」という言葉は社会福祉士が嫌う言葉の一つである。 藤田さんもこの言葉が嫌いであるはずだ。 藤田さんに問うてみたいのだが,もし,岡村隆史氏個人が社会福祉士としての藤田さんに「世間的にバッシングを浴びて心からつらい。 仕事も何もする気がおきない。 番組も降板され,あらゆる仕事を干された。 実は貯金もない。 」と相談してきたらどう対応するのだろうか。 そのときに岡村さんに対して「あなたが悪いんだから」と言うのだろうか。 しかし, 社会福祉士が守るべき原則としては「非審判的態度の原則」というものがある。 社会福祉士が人を裁いては(審判しては)いけないというものだ。 藤田さんの岡村さんに対する叩き方は,この原則との関係でも社会福祉士の行動としては不適切である。 一人の社会福祉士としても,藤田さんの投稿は「 社会福祉士というのは善悪を押しつけてくる存在なのか。 あんまり安心して相談できないな。 」という印象を与えるものだと感じている。 ただでさえ,専門職に相談するのは勇気がいる行動だ。 専門職としての社会福祉士がアピールすべきは,困ったときに安心して相談できる存在だということである。 逆に「この人怖いな」と思わせてどうするのだろうか。 藤田さん自身自覚していると思うが, 一連の騒動により,藤田さんに対する批判(のみならず誹謗,中傷)が相当寄せられているはずだ。 特に,Twitterはかなりの惨状となっている。 誹謗中傷については,その内容が藤田さんひいては福祉職に対する信頼を著しく低下させかねないものが含まれている(その内容が真実かどうかについて,私は知らない)。 それが真実でなくとも, 誹謗中傷の内容としてネットに転がっているものを見れば福祉職を信用できなくなるおそれはかなり高い。 もちろん,根拠のない誹謗中傷をする者が悪い,というのが藤田さんの言い分だろう。 それはそのとおりだと思う。 だが, 善悪の問題は別として,人間というのは「強く攻撃されたら反撃する」生き物なのだ。 岡村隆史と言えば,知らぬ人は殆どいない人気芸人だ。 問題発言がなされた深夜ラジオのファンも多かっただろう。 岡村隆史氏について(謝罪があったあとでさえ)執拗な攻撃がなされ,また,番組降板を含めた処分まで要求される,ということになると,岡村隆史に好意を抱く人間が「反撃をする」のは想定の範囲内の行動といえる。 この反撃(誹謗中傷)によって自身の名誉(あるいは福祉職全体の名誉)が傷つくことは,藤田さんとしても避けたかったはずだ。 貧困女性に寄り添う発言をするのはよいとしても, 世間から反撃を招く程度に岡村隆史氏個人を攻撃し続けるのは完全に悪手だったのではないか。 そのことは藤田さん自身も実感しているはずだ。 福祉の充実(例えば貧困の救済)を図るには,世間を味方につける必要がある。 建前としては「少数派も救われる必要がある」のだが,現実に国や地方公共団体を動かし,福祉政策を充実させるには,多くの声が必要なのである。 その観点からも, 社会福祉士としては,できる限り敵を作らずに,多くの人の共感を集めるメッセージを送る必要があると思う。 「人気芸人」を叩き続ける手法がその方向性と真逆であることは明らかである。 社会福祉士が持つべき人間観として「 人間は失敗する生き物であり,失敗してもやり直せる社会が望ましい」というものがある。 藤田さんもこの理念には異論を唱えないはずだ。 岡村隆史の発言に異論を唱えるのは構わない。 確かに問題の多い発言だと,私も思う。 しかし, それを徹底的に糾弾し,仕事の降板まで求めるのは,「失敗したらそれくらいの社会的不利益を負って当然だ」というメッセージを社会に与えることになる。 もちろん,そういう見解があっても構わない。 しかし, 困った人を助けることを基本的な責務とする社会福祉士がそのようなメッセージを発してはならないと思う。 社会福祉士がとるべき基本的な態度は「受容」である。 つまり,「 受け入れる」ということである。 もちろん,不適切な発言を不適切であると指摘することは何ら問題のない行動である。 しかし,岡村隆史氏が謝罪をすれば,それを「受け入れる」べきではないか。 少なくとも, 私は,いち個人が真摯に謝罪してもそれを受け入れない社会福祉士に困りごとを相談したいとは思わない。 まず,岡村発言について,それを「許されないことである」と表明することは問題がないと思う。 ただし,藤田さんの意見の表明は性産業に従事する者の「代弁」としての性質を持つから, 肝心の当事者が藤田さんの「代弁」をどのように感じるかについては十分に注意を払うべきであった。 次に,許されないことであると代弁するときに, 岡村隆史氏個人に対する批判のニュアンスが強く出過ぎないように注意をすべきであった。 岡村隆史氏個人を批判しても問題は解決されないし,むしろ敵を作るだけだからである。 少なくとも,あの投稿(記事の内容)は,多くの岡村隆史ファンから反感を買うだけだ。 藤田さんの届けたいメッセージの殆どは,それを本当に理解させなければならない層に届いていないであろう。 さらに,社会福祉士としては,岡村隆史氏個人を批判するのではなく, その発言のどの部分がなぜ問題なのかを性産業の歴史にも踏み込んだ上で丁寧に説明すべきである(私は,現時点でそのような説明する能力を持ち合わせていないが,藤田さんはきっとできるだろう)。 そうしないと,多くの読み手には,本当の意味で「なぜあの発言が問題なのか」は伝わらない。 少なくとも,それを理解する上で有益な書籍を紹介するなどのアクションはしてもよかったのではないか。 また,現状を改善するために,記事の読み手(国の政策に関わる者も含む)がどのようなアクションをとるべきなのかを具体的に提言すべきである。 「岡村隆史は許されない。 卑劣だ」と言うだけでは,読み手は「So what? 」と感じるだけである。 あの記事は単に「怒り」しか伝わってこない。 そして,「怒り」は具体的な問題解決に寄与しない。 もちろん,岡村発言に直接関わる「当事者」は怒ってもいい。 だが第三者である社会福祉士は別だ。 社会福祉士の仕事は問題解決業であることを忘れてはいけない。 ただ怒りを垂れ流すだけでは,私はプロとは言えないと思う。 藤田さんからは一蹴されるかもしれないが,それでも構わない。 私は,この記事を書くことが社会福祉士としての責務だと思って書いているのだ。 ----- 2020. 5 社会福祉士 福祉士の仕事に関する考え方がよくわかりました。 藤田さんが社会福祉士として発言されているのなら、ご意見は正しいと思います。 しかし、藤田さんの意見を一社会人としての意見と考えてても良いのではないでしょうか。 社会福祉士としての生活は24時間の1/3で、残りの2/3は1社会人としての生活です。 実は、私も藤田氏の意見には違和感があります。 それは、原稿料を稼ぐために書いたのではないかと思えるからです。 コロナのおかげで、有名人が阿呆な発言をして、それを叩けば儲かるのです。 性産業が最も古い商売であるという人類歴史についての考察が何もない安っぽい正義感で記事を書いて、金になるのです。 男にはそのような仕事がなくて、首つるしかない。 自殺は圧倒的に男性に多いのです。 なるほどと思いました。 しかし、「世間的にバッシングを浴びて心からつらい。 仕事も何もする気がおきない。 番組も降板され,あらゆる仕事を干された。 実は貯金もない。 」の例は違うと思います。 彼はお金持ちです(貯金はないとしても高額を稼いでいます)。 岡村氏は普通の人が稼ぐことができない額、例えば数十億円を稼いできていると思います。 仮に年収1億円(もっと稼いでいると思いますが)だとしても、日に8時間労働で考えると時給5万円以上になります。 時給だとわかりやすくないですか?彼は世間の支持で高額を稼いでいるのですから、そこに責任が伴うと思います。 岡村氏が時給1000円の普通の人なら私も一般人として捉え、謝罪すらいらないと思います。 でも彼は貧乏人からもお金を強制徴収するNHKに出演して大金を稼いでいるのです。 可哀そうと思えません。 (岡村氏が高額を稼げるのは彼のせいではなく、世の中がおかしいのですが... ) 公共の電波において発信する側の発言に責任が伴うのは事実です。 ただ日本では表現の自由・言論思想の自由があります。 とはいえ誰かが経済的に損失を被ったり名誉を傷つけたり、医師の診断書を根拠とした精神的苦痛を受けた 等が発生したら謝罪する義務みたいなものはあるでしょう。 ただ、今回の場合はリアルタイムで聞いていたほとんどの聴衆者は問題にしませんでした(日をおいて炎上した)。 また、岡村氏の発言によって当事者や業界人に損失が生じたかと言えば否でしょう。 そういう話題はあまり聞きません。 内容は気色悪いものの、岡村氏に好意的な人達への啓蒙をしているので、貢献している可能性すらあります。 実際 損したのは岡村氏とラジオ局 得したのは藤田氏とそのパトロンです。 こじつけも甚だしいですが藤田氏(とパトロン)の行為と世間の善意により、被害者岡村氏がうまれたと見ることも出来てしまいます。 要するにダブルスタンダードなんですよね藤田氏.

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