にかんはっしょう。 大宝律令とは何か?内容や制定理由は?【わかりやすく簡単な言葉で解説】

飛鳥時代に誕生した律令政治 「律」と「令」とは?

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律令制(大宝律令)以前 [ ] 律令制以前において、体系的な官制は整備されていない。 の形成期、「(カバネ)」と呼ばれる血縁集団から「(ウジ)」と呼ばれる同族集団が現れ、この「氏」や「部(ベ)」と呼ばれる職能集団が、それぞれの勢力や能力によって王権内の仕事を分掌した。 「氏」や「部」は各々、土地と人民を所有・支配した()。 次第に、「姓」・「氏」や「部」は、王権によって序列化・統制され、私的な集団から公的な制度へと編成されて行く。 (11年)、が制定したは、その嚆矢である。 この官位の制度は、冠位十二階から律令による官位制まで、数度の変遷がある()。 氏姓制度と官位制、および職掌を体系的に整備したのがである。 (8年)に最初の「令(りょう)」であるが制定され、(3年)のにおいて初めて体系化されたといわれている。 (元年)に成立したは、その集大成となった。 律令制(大宝律令)以後 [ ]• 律令制についての詳細はを、• 官位制についての詳細はを、• 位階についての詳細はを、 それぞれ参照。 以下は、律令制の中の官制、特に官職について説明する。 中央官制 [ ] 中央官制は、 二官八省を基本とする体制である。 君主であるの下に、朝廷の祭祀を担当すると国政を統括するが置かれ(二官)、太政官の下に実際の行政を分担する八省が置かれた。 二官八省の他にも、行政組織を監察するや宮中を守るが天皇の直轄として置かれた(まとめて、 二官八省一台五衛府)。 さらに八省のもとには・・と呼ばれる実務機関が設置されていた。 後に組織が時代に合わなくなると、令に規定の無い官()を設けることで対処した。 中国の律令制が皇帝にすべての権限を集めて三省(中書省・門下省・尚書省)がこれを補佐する体制であるのに対し、日本の律令制では、天皇と各省の間に天皇の代理機能を果たす緩やかな合議体、太政官を置いたことに特徴がある。 なお、「官」とは役所そのものを指し、「役所の職員」を指す現在の用法とは異なる。 二官 [ ]• - 神祇祭祀を司る。 - 国政一般を司る。 ・・となどの合議体による議政官組織と、その下の少納言局・左右弁官局からなる。 後に・・が置かれた。 - 太政官の事務・秘書部局。 少納言・大外記・少外記・史生・使部からなる。 - 左弁官局と右弁官局。 議政官組織の指揮の下に政務の執行を担当する。 大中少弁()・大少史()・史生・官掌・使部からなる。 八省 [ ] 左弁官局が中務省・式部省・治部省・民部省の4省を、右弁官局が兵部省・刑部省・大蔵省・宮内省の4省を管轄する。 - にし、の作成・、伝奏などの宮中事務や位記・などの事務を掌る。 の他、・・・・・などのが所属する。 - に関する事務を所管する。 ・・がいるときには、それぞれ、太皇太后宮職・・を置く。 - のとき、左右統合。 (令外) - のとき、設置。 - 、内匠寮に統合。 - 、宮内省のに統合。 - 808年、に統合。 - 文官の人事や朝儀・学校などを掌る。 からの間のみ文部省に改名。 - 、式部省内に統合。 - 諸氏の族姓や葬事・仏寺・・外交事務を掌る。 - 、に昇格。 - 、兵部省の鼓吹司に統合。 - 民政特に・財政を掌る。 ・田畑を司る。 - 武官の人事と軍事全般を掌る。 - 、衛門府より兵部省に編入。 - に統合。 - のとき、に統合。 - 宇多天皇のとき、兵庫寮に統合。 - 廃止。 - 廃止。 - 司法を掌る。 良賤の訴などを司る。 - の台頭により有名無実化。 - のとき、刑部省に統合。 - 財宝・出納・物価・度量衡などを掌る。 - のとき、中務省のに統合。 - のとき、中務省の内匠寮に統合。 - 平城天皇のとき、中務省のに統合。 - のとき、宮内省の内掃部司と統合して宮内省のを設置。 - 宮中の衣食住・財物その他の諸事を掌る。 - に統合。 - に統合。 - に統合。 - 主殿寮に統合。 - に統合。 - 掃部寮に統合。 - に統合。 - 木工寮に統合。 弾正台 [ ]• - 行政監察を掌る。 衛府 [ ]• ・ - のち衛門府を併合してと改称。 - 衛士府に併合。 - 兵部省へ移管。 ・ - 新設。 - 奈良時代に新設、のちに廃止。 - 奈良時代に新設、近衛府の前身。 - 奈良時代に新設、近衛府の前身。 東宮 [ ]• - 廃止。 - 廃止。 - 廃止。 - 主蔵監に併合。 - 主蔵監に併合。 - 主膳監に併合。 馬寮 [ ]• - 桓武天皇のとき、左右馬寮がに統合する。 のちに再び分かれる。 - 奈良時代に新設、左・右馬寮と統合。 主馬寮 - 内厩寮と左・右馬寮を統合、平安時代に廃止。 兵庫 [ ]• - 寮格。 内兵庫など統合してとして再編。 - 司格。 左・右兵庫と統合。 - 新設。 後宮 [ ]• 後宮十二司(、、、、、、、、(主殿司)、、、) 家令 [ ]• その他の主な令外官 [ ]• - 淳和天皇のとき、一時期のみ宮内省の木工寮に統合。 - 斎宮の用を勤め、伊勢太神宮、伊勢の神領に関する事務を掌る。 斎宮十二司(舎人司、蔵部司、膳部司、炊部司、酒部司、水部司、殿部司、掃部司、采部司、薬部司、門部司、馬部司)• (など)• 地方官制 [ ] 詳細は「」を参照 全国は数十カ国のに分けられ、個々の国は中央から派遣されたが治めた。 またこれとは別に、要地には特別の職(、、など)が配置された。 四等官 [ ] 諸官司には一般に長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう)・主典(さかん)のが置かれた。 そのほかに各種の品官(ほんかん)(以上は官位相当官)や史生(ししょう)・伴部(ともべ)・使部(しぶ)などの雑任(ぞうにん、下級職員)が所属していた。 奉膳と典膳はのみに存在する。 これはあくまでも簡略化した表であり、とくに・・の場合は次官・判官が欠けたり、増員したりした。 詳細は各項目参照。 官位相当表 [ ] 養老令 [ ] ・ ・ ・ 官 (a) (b) (c) (a) (a) (b) (c) (d) (e) (a) (b) (c) (a) (b) (a) (a) 上 下 卿 上 下 上 左右中弁 大輔 大夫 下 左右少弁 大輔 (b) 上 少輔 頭 下 大副 少輔 亮 頭 上 少副 左右大弁史 正 正 (b) 下 大丞 大丞 中判事(b) 助 (a) (a) 正 上 大祐 少丞 中監物 少丞 大進 〈権助 ごんのすけ 〉 助 正 下 少祐 少判事(b) (c) 少進 大進 〈権助 ごんのすけ 〉 正 上 左右少弁史 中内記 大録 大録 少進 内蔵大主鑰(a) 下 少監物 判事大属(b) (a) (a) 大允 (a) (c) (b) (b) 上 少外記 少允 (a) (a) (a) 允 (b) (b) (c) 下 (b) 大蔵少主鑰(c) (c) (b) (c) 祐 祐 (b) 上 少内記 少録 少主鈴 少録 (c) 内蔵少主鑰(a) (c) (c) (c) (a) 祐 下 大史 治部大解部(a) 刑部中解部(b) 判事少属(b) 大属 (c) 祐 上 少史 少典鑰 少属 大属 (b) (e) (c) 下 治部少解部(a) 刑部少解部(b) 少属 大属 上 少属 大令史 令史 下 少令史 令史 (a) 上 令史 (a) 下 令史• 官位令により作表。 特定の官司のみに属する官職については、対応関係を(a)(b)(c)…で示している。 (参考文献)吉川弘文館編集部編 『日本史必携』 吉川弘文館、、 坊 監 署 台 府 上 下 大夫 上 下 上 督 大弐 下 弼 上 督 下 亮 佐 少弐 守 一品家令 職事一位家令 上 大忠 二品家令 下 少忠 佐 大監 守 上 大進 正 少監 介 一品家扶 三品家令 職事一位家扶 職事二位家令 下 少進 首 大尉 大判事 守 上 大疏 少尉 大工 少判事 大典 防人正 二品家扶 四品家令 下 巡察 大尉 主神 上 少尉 少掾 掾 一品家大従 一品文学 三品家扶 職事一位家大従 職事正三位家令 下 大宰博士 一品家少従 二品家従 二品文学 四品家扶 職事一位家少従 職事従三位家令 上 少疏 少典 陰陽師 医師 少工 算師 防人祐 主船 主厨 掾 下 大属 大志 医師 三品家従 三品文学 四品文学 職事二位家従 上 少属 少志 大志 医師 四品家従 下 少志 少目 目 一品家大書吏 上 判事大令史 一品家少書吏 二品家大書吏 職事一位家少書吏 下 判事少令史 防人令史 目 二品家少書吏 上 目 三品家書吏 四品家書吏 職事二位家大書吏 職事二位家少書吏 下 職事三位家書吏• 官位令により作表。 (参考文献)吉川弘文館編集部編 『日本史必携』 吉川弘文館、、 令外官 [ ] 官・所 職 寮 司 府 使 (a) 上 (中納言) 下 上 下 大夫 中将 別当 上 下 少将 上 頭 佐 下 亮 頭 長官 上 将監 下 助 上 大進 助 次官 大尉 下 少進 少尉 上 下 大允 主神(a) 将曹 上 少允 允 判官 下 上 下 大属 大志 上 少属 大属 少志 下 少属 大属 主典 上 少属 下 上 下• 特定の官司のみに属する官職については、対応関係を(a)(b)…で示している。 (参考サイト) 関連項目 [ ]•

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飛鳥時代に誕生した律令政治 「律」と「令」とは?

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Contents• 新型コロナウイルスの感染で発症後の症状とは? 初期症状は風邪やインフルエンザに似ている 新型コロナウイルスに感染した場合、重症化すると肺炎に至りますが、初期段階では「発熱」「倦怠感」「咳」など風邪やインフルエンザに似た症状がみられます。 自覚症状がなかったり、軽症のまま治癒したりすることもあるため、新型コロナウイルスに感染したことに気付かないまま終わってしまうこともあるようです。 目安は「発熱+呼吸器症状」 今のところ、新型コロナウイルスに感染したかどうかの目安は、 「37. 5度以上の発熱」と「呼吸器症状」の両方が見られた場合となっています。 しかし、感染しても症状が出ないケースもあるほどなので、熱があるだけあるいは咳が出るだけだから大丈夫とはいいきれません。 武漢では中年男性の罹患率と、高齢男性の死亡率が高いようなので、中高年の男性は特に注意してください。 発症後7日目ごろから症状が重くなる傾向も 風邪やインフルエンザの場合、発症後3~4日を過ぎると症状が軽くなり、7日目ごろにはほぼ治っているケースが大半です。 ところが新型コロナウイルスの場合、発症後7日ほど経った頃に症状が悪化する傾向があるようです。 7日目以降に重症化して肺炎症状がみられるようになり、入院しての治療が必要となることもあるようなので油断はできません。 新型コロナウイルスに感染したときの病院への掛かり方 いきなり病院に飛び込んではいけない 新型コロナウイルスの感染が疑われる場合、いきなり病院に飛び込んではいけません。 本当に新型コロナウイルスに感染していた場合、病院でウイルスをまき散らすことになるからです。 まずは保健所へ電話して、新型コロナウイルスの感染が疑われることを告げます。 そのうえで、保健所から指定された病院へ赴き診察を受けましょう。 なお、保健所は平日の昼間しか開いていないので、夜間や休日などは夜間急病センターや担当の救急医に連絡して指示を受けてください。 新型コロナウイルスに関する情報や相談窓口は、にもまとめられているので参考になさってください。 長期入院や欠勤の想定も必要 一般の病院を指定された場合、インフルエンザの検査や胸部X線写真の撮影などを行って症状を診断します。 怪しい場合は「指定医療機関」に入院して検体検査を行い、万一陽性であれば、そのまま入院を継続して治療を受けることになるのです。 新型コロナウイルスは「指定感染症」に指定されたため、感染が認められた場合には強制入院や一定期間の就業制限などの勧告を受けることもあります。 勧告による医療費は全額公費負担 「指定感染症」に指定されたことによって、新型コロナウイルスにおいて勧告による医療費は全額公費で負担されることになりました。 感染が認定され入院となった場合、健康保険に加入していない外国人も医療費が無料になるようです。 これを目当てに外国人が日本に押し寄せて来るとは思えませんが、日本に滞在中の外国人のなかには自国に帰りたがらない人も少なからずおられるようなので、心配です。 新型コロナウイルスは予防だけでなく感染への備えも必要 責任者には最悪のことを考えてほしい 日本人の多くは基本的に性善説に立っているためか、ものごとを楽観視する傾向があるようです。 新型コロナウイルスへの対応も、早々と入国拒否や一定期間の隔離を行った諸外国(あの北朝鮮も迅速に対応!)に比べると緩慢に見えます。 もし、日本で爆発的な感染拡大が発生したら世界中から非難を受けることになり、東京オリンピックは中止になりかねません。 日本が世界中に恥をさらすことにならないよう、責任者の方々にはしっかりした対策をお願いしたいものです。 今日のボタモチ 今日のボタモチは【三原則】です。 「もたず・つくらず・もちこませず」という有名な三原則がありますが、これを新型コロナウイルスに適用したかった。 持ち込まれて持たされてしまった今となっては、「つくらず」に励むしかなさそうですが(涙)。

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二官八省

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職種のるつぼ 外国からも 現代の都市は、人口が多いほど、あるいは人口密度が高いほど、大きな都市とみなされます。 奈良県最大の都市である奈良市の人口は、現在36万人です。 では、奈良時代最大の都市、平城京の人口は何万人だったのでしょうか。 古くは20万人と推定されましたが、最近では5~10万人と考えられています。 その住民構成は、貴族や役人とその家族、一般庶民、商人や僧侶、物づくりの工人など、さまざまな身分や職業の人々からなっていました。 また、諸国から納税のために上京した人々や、工事に駆り出された人夫などの短期居住者や、はるばる海を越えてやってきた外国の人々も滞在しました。 さて、平城宮には二官八省と呼ばれる中央官庁と、それに付属するたくさんの役所がありました。 平城宮に勤務する役人の数は、実に1万人と推定されます。 そのうち、五位以上の「貴族」は150人、六位以下でもよいポストについていた中・下級役人は600人ほどでした。 官位をもち、よい役職についていた「お役人」はごく一握りで、大多数の人は、下働きなどだったようです。 早朝、日の出前に、ぞろぞろと通勤する役人たち。 彼らが平城宮の中に吸い込まれていく姿は、現代の通勤の光景とそう変わらないものだったのかもしれません。

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