シルク ロード 黒 歴史。 kvd-i.antenna.gr:CPU黒歴史 改めて振り返るCrusoe/Efficeon失敗の理由 (1/4)

シルク・ロード(しるくろーど)とは

シルク ロード 黒 歴史

お肌の成分に近い約20種のアミノ酸を含む「タンパク質繊維」 シルクは、蚕(カイコ)の繭から作られるタンパク質でできた天然繊維です。 アラニン・グリシン・チロシンなどの、お肌の成分に近い約20種のアミノ酸が数百~数千も結合した純粋なタンパク質繊維で、繊維素材としてだけではなく、ひとの皮膚や健康にもよい多くの機能を持ち合わせています。 シルク糸のいろいろな種類 生糸(きいと)とは 繭を熱湯または弱アルカリ液で処理し、接着を緩めて糸を引き出し、その何本かをより合わせて1本の糸にしたものが「生糸」で、この工程を繰糸(そうし)といいます。 生糸は、シルクの主体である「フィブロイン」と「セリシン」からなり、繭の糸はフィブロインの周りをおおっているセリシンによって軽く接着しています。 天然繊維の中で唯一の「フィラメント繊維(長繊維)」として、フォーマルからカジュアルまで幅広い用途に利用されています。 玉繭から糸をつむぐと、しばしば糸がもつれたまま出てくるため、節の多い生糸となり、「玉糸」と呼んで生糸と区別しています。 織物ではこの節が独特の外観や風合いをかもし出し、シャンタン織やリンシャン織などのほか、紬織物などの原糸に利用されています。 真綿(まわた)と紬糸(つむぎいと)とは 玉繭や蚕蛾・害虫などで穴をあけられた繭や、病蚕で汚れた繭など、生糸にするのに適さない繭をアルカリ液で処理してセリシンを除き、綿状にしてから平に引き伸ばしたものを「真綿」といいます。 真綿はそのまま防寒衣料の中綿や布団綿などに利用されています。 この綿から糸を引き出し、指でより合わせてつむいだものが「紬糸」です。 この糸は膨らみがあり丈夫で暖かく、結城紬など紬織物の原糸となります。 絹紡糸(けんぼうし)とは 繰糸に適さない繭や繰糸工程で出てきた屑糸などをアルカリ液で処理して綿状にしてから、適当な長さに切断して短繊維とし、紡績した糸が「絹紡糸」で「スパンシルク」とも呼ばれます。 古くから単独または生糸や玉糸と混ぜて、和服の普段着や風呂敷に使用されてきましたが、近年では他の繊維と混ぜて洋服や肌着生地にも使用されています。 シルクの特性 光沢と色彩 シルクの光沢は、よく真珠にたとえられます。 真珠は、波長によって表面で反射するものと、内部まで透過してから各層で反射するものが干渉して、気品のある光沢を生みだします。 シルクの光沢も、蚕が繊維をつくりだす過程でできるフィブロインタンパクの層状構造や内部の複雑な構造が生みだしています。 また、シルク(フィブロイン)の大小さまざまな三角の断面によるプリズム効果が絹の光沢をいっそう美しいものとしています。 シルクの美しさは、染め上がりの美しさにもあり、いろいろな染料に美しく染まり、繊細な図柄を鮮やかに染め分けることができます。 引っ張り強さ シルクは、細い糸が織りなす薄い生地が多いことから弱いように思われますが、引っ張り強さは羊毛や綿よりも大きく、繊維の中では強靭な部類になります。 吸湿性・通気性・保温性 人体からは1日ほぼ1リットルの水分が発散されています。 衣服には、この水分を吸収して外に放出する通気性が着用時の快適さに関係します。 天然繊維の中でも、シルクは綿の1. 3~1. 5倍の吸水性があり、放湿性も綿に遜色ない特徴をもっています。 また、シルクは繊維自体が微細な多孔質構造をしており、繊維の間に空気をたくさん含むことができます。 空気の部屋をたくさん持つことで外の暑さ・寒さに影響されにくく 熱伝導率が低い)、快適に保ちます。 さらに、吸湿性に優れていて放湿速度が大きく、保温性にも優れた繊維で、軽やかな薄さとしなやかな特性を持ちながら、「冬は暖かく、夏は涼しい」快適な天然のエアコン素材です。 静電気 冬になると衣類の着脱時にパチパチと静電気による不快感を味わうことがあります。 繊維が摩擦すると静電気が発生し、繊維の電気抵抗が大きいと蓄積されて帯電します。 シルクは吸湿性に富んでおり合成繊維に比べ静電気はおきにくくなります。 ただし、著しく乾燥した場合はシルクにおいても静電気は避けられません。 紫外線(UV)カット シルクは繭の中の蚕が紫外線を浴びないように守る機能があります。 シルク製品を身につけた場合、お肌の大敵といわれるUV-B波(UVB)、UV-C波(UVC)が吸収されて紫外線をカットします。 ウェアだけじゃない。 シルク製品の可能性は無限大 着物やドレスとしてフォーマルな場面を彩ってきたシルクですが、最近ではシャツ、ブラウス、セーター・カーディガン、パンツ、Tシャツなど、カジュアルな素材としても人気があります。 また、その機能性(吸湿性・通気性・帯電性)が注目され、ストッキング、インナー(下着)、寝装品、インテリア用品など、幅広い用途に利用されてきました。 さらに、有効成分を粉末に加工したシルクパウダーを使い、コレステロール低下作用や認知症予防効果を利用した健康食品、保湿や紫外線カット機能を利用した化粧品など、さまざまな商品が開発されています。

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『パズドラ』歴史年表&歴代リーダーをまとめてみた。

シルク ロード 黒 歴史

絹の道「シルクロード」 2014年に、周辺の遺跡群とともに世界文化遺産に登録されたシルクロード。 歴史好きならずとも、夢とロマンをかき立てられる古代の神秘ですよね。 古代の交易の中心となったその道は、品物だけでなく東西の文化交流にも大きな役割を果たし、この世界の歴史を作り上げてきました。 エキゾチックな響きでロマンを感じるシルクロードですが、そもそもシルクロードってなあに?と言われると、上手に説明ができない・・・と考え込んでしまいそう。 それもそのはず。 ひとくちにシルクロードといっても様々な解釈や歴史があり、一言で語るのは難しいものなのです。 今回は、シルクが広まった起源でもあり、世界の文化を作り上げたといっても過言ではないシルクロードの歴史について学んでいきましょう! シルクロードとは? 一般的に、中央アジアを横断する古代の歴史的な東西交易路のことを総称して「シルクロード」と呼ばれています。 中国の長安・西アジア~地中海沿岸地方・ローマ付近を結んでいたと考えられています。 おもに中央アジア大陸の広大な砂漠に点在するオアシスを経由したりなどして、東西間の交易路が発展していったようです。 なかでも、中国で作られた絹製品が多く取引されており、インドや西アジアの国々、さらには当時栄華をほこっていたローマ帝国へももたらされたため、「絹の道」=「シルクロード」の名前が定着されたとされています。 シルクロードから発展していった東西の交易は、物流技術の発達とともに海上航路の確立にもつながったと考えられているほど、盛んでとても重要な役割を果たしていたのです。 シルクのはじまりは中国 シルクが生まれたのは約5000年前 シルクが生まれたのは、諸説ありますが約5000年前の中国だと考えられています。 野生の蚕を飼育し始めて繭を集め、そこから今でいう絹糸を紡ぎだしてシルク製品を作りはじめたのが始まりだそう。 そこから歴史とともに改良を重ねて、現在の養蚕のスタイルとなったのです。 当時の中国ではシルク製品はとても貴重品で、国外へ持ち出すことは厳しく禁じられ、掟を破った物には重い処罰が科せられていたほど。 国内でも、王族や貴族たちなどごく一部の高い身分の人々しか手にすることは許されていませんでした。 シルクロードを通って世界へ広まるシルク 約2500年前から次第に他国へも伝わるようになります。 シルクのその美しさに心をうばわれた各国の商人たちは危険を顧みず海を越え山を越え、砂漠を越えて遠い国から中国へシルクを求めてやってきたそうです。 それからシルクロードを通って西洋の国々へ広まっていき、3世紀ごろから他国でも中国の生糸を使ったシルク製品が作られるようになりました。 中国で開発された染色技術なども取り入れられ、しだいにシルク産業は世界各国で発展していくこととなるのです。 日本でのシルク文化の発展のきっかけとしては、2014年に世界文化遺産に登録された富岡製糸場が知られていますよね。 シルクロードが伝えたもの シルクだけでなく、さまざまな品物や文化が東西で交易され、各地へ広まっていきました。 ・くるみ・ぶどう・ザクロ・ごま・ベニバナなどの植物 ・毛皮・フェルト・じゅうたんなどの毛織物 ・貴金属・金貨・宝石類・ガラス製品などの工芸品 ・養蚕・鋳鉄・製紙技術 ・琵琶などの楽器類・それとともに中国音楽や舞踊・曲芸などの芸術文化 ・宗教 仏教・イスラム教・キリスト教・ゾロアスター教など この他にも香料・野菜や果物・薬・絵画の画法など、衣食住に関わるものを中心としてたくさんのものが盛んに交易されていました。 今の私たちの生活に欠かせないもの、馴染みのものも多くありますよね。 それらはシルクロードを通ってアジアに運び込まれたものが、当時の中国やインドを通じて日本に伝わってきたと考えられているのです。 もちろん、シルクもそのひとつ。 シルクロードは単なる交易・商業ルートとしてだけではなく、東西の文化、技術の伝達のきっかけとして世界の発展にたいへん大きな意義を持っていたのです。 シルクロードは1本だけではなかった? シルクロードが正確にどこからどこまでであったかは研究者や国の間で諸説あり、正解は存在していないとされていますが、もともとは中国の長安 現在の西安 から新疆ウイグル自治区エリアを通過し、ローマ周辺までのルートをシルクロードと定義づけていました。 しかし、アジアの大陸には険しい山脈や大きな砂漠がいくつもあり、安全でスムーズな交易のためにはそれらを避けて通らなければなりません。 研究が進むうちに大きく分けて3つのルートがあったと考えられるようになりました。 天山南路 新疆ウイグル自治区の真ん中、ちょうど北と南がわかれるあたりに通っているルートで、西遊記に登場する三蔵法師がインドへ旅する際に通ったルートとしても有名です。 同じく、仏教もこのルートをたどって伝わっていったと考えられています。 天山北路 一番北側、天山山脈の北側を通るルート。 標高1000メートル程の場所で草原の路とも呼ばれ、春には美しい緑の草原が広がっています。 「石人」と呼ばれる、古い遊牧騎馬民族が活躍した証が多く残っているエリアとしても知られています。 西域南路 元に渡ったマルコ・ポーロも利用したとされ、タクラマカン砂漠の南側に沿うようにオアシスを結んだルートで、古代のウイグル族の文化が現在も色濃く残されています。 山脈を越えた場所にあるインドやパキスタン、チベットとの関係性も強いエリアで、チベットと新疆を結んでいる新蔵公路にも接続しているとされています。 はるかなる大地を東西に横切る3つのシルクロードには、それぞれの深い歴史があるのです。 シルクロードのいま シルクロードは現在でもさまざまな民族が生活し、いにしえより育まれた文化の中で歴史を刻み続けています。 シルクロードの歴史を追うということは、かの大航海時代よりも以前の東西の交易の歴史を追うことと言っても過言ではありません。 周辺には「世界で最も美しい廃墟」と名高いパルミラの遺跡やオアシス都市として栄えてきたウズベキスタンのブハラ歴史地区、要塞や仏教の石窟寺院などの遺跡が数多く残され、シルクロードの息づかいを感じることができます。 また、遺跡だけでなくタクラマカン砂漠やカラクリ湖、アルティン山脈などの大自然も多くあります。 かつて商人たちがシルクを求めて歩いたシルクロードを、当時を思いながら旅をしていくのもロマンがありそうですね! 悠久のロマンは続く シルクとともに多くの文化や芸術を運び、東西の発展に大きく貢献したシルクロードの歴史、いかがでしたか?私たちが普段愛用しているシルクには、このような長い長い歴史があったのですね。 深い山脈、砂漠のオアシス、美しく広い草原・・・ラクダやロバに乗り、東からはシルクを、西からは毛織物や宝石を求め、当時の商人たちはシルクロードを旅していました。 品物とともに宗教が広まり、文化が栄え、音楽や芸術が人々の生活を豊かにしていったのです。 現代社会に欠かせないもの、いつもそばにあるものも、かつてはシルクロードを通って伝わってきたものだと思うととてもロマンチックですよね。 いま身近にあるシルクもより愛おしく感じられそう。 今もなお、私たちの生活と心を満たしてくれるシルク。 シルクロードの歴史とともにこれからも絹のアイテムを身にまとって、大切に使っていきたいですね!.

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シルクの基礎知識

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後漢の西域進出によって、後漢とローマ帝国がシルクロードによって結ばれ、東西世界の交流が盛んとなる。 この東西交易によって、後には海上航路の確立にもつながる事になる。 漢王朝が再興し、西域支配に乗り出す 西暦25年、新 しん の王莽を倒した光武帝によって再び漢王朝 後漢 が建てられた。 光武帝は外戚や宦官 かんがん の力を抑制し、儒教による政治を推進した。 1世紀末、後漢は外征に力を入れ、 西域都護 せいいきとご として、班超 はんちょう を派遣して匈奴 きょうど を討伐し、西域支配にあたらせた。 絹を運ぶからシルクロード 中国と西アジア、地中海地方を結ぶ「 オアシスの道」は、中央アジアに点在するオアシスの都市を経由し、ローマで珍重された 中国の絹を運ぶ重要ルートであった為、 シルクロードと呼ばれるようになった。 シルクロードは前漢の武帝の西域進出、後漢の西域支配などを通じて次第に整備され、東から絹や工芸品、西からは宝石やガラス器、貴金属などが運ばれる東西文明の交流における幹線となった。 、ゾロアスター教、ネストリウス派キリスト教もこのルートを通じて伝播している。 東西両大国が互いに使者を送り合う 西域支配にあたった班超は西域の50余国を服属させ、シルクロードの大部分を制すると共に、部下の甘英 かんえい を 大秦国 ローマ帝国の事 に送った。 甘英本人はローマには至らなったものの、西アジアの事情が中国に伝わる事になった。 東西交易が、海上交通をも活発化させた 一方、当時最盛期を迎えていたローマ帝国からも漢への使者が送られ、166年、ローマ帝国の皇帝マルクス・アウレリウス 中国名:安敦 あんとん の使者が海路での版図となっていた日南 ベトナム中部 に達している。 ローマ帝国が東方の物品を求める事により 海上交易が活発となったと考えられ、ローマ帝国の金貨がアジア各地で出土している。 南北、二つのシルクロード 草原の道 シルクロードの北側の草原地帯の東西に貫く交通路。 この道を通って、馬具を発明したスキタイなどの遊牧騎馬民族の分化が伝わった。 このオアシス地帯には、西方からイラン系のソグド人が移住し、オアシスの道の要所、サマルカンド ウズベキスタン を中心に、各地域に都市国家を形成した。 一方、家畜を放牧しつつ各地を移動しながら生活する遊牧民は、騎馬戦用の武器や馬具に優れ、強大な軍事力を持つが、十分な食料を得られなかった。 そこで、オアシスの都市国家と結びつき、後に経済力と軍事力を持つ遊牧民国家が登場する事になった。

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