藤 圭子。 藤圭子 本スレ

藤圭子の生い立ちは?韓国籍?離婚歴(回数)は?前川清との子供は宇多田ヒカル?

藤 圭子

スポンサードリンク 親御さんも音楽に携わっていたんですね。 「藤圭子」さんの家庭は経済的に貧窮していて幼いころから 両親とともに北海道や東北地方を旅しながら歌を歌ってその日暮らしで生きていたそうです。 まだ幼いのに住まいが安定していないというのは精神的に負担が大きかったのではないでしょうか… しかも母親は 盲目だったらしく、その世話にも追われていたのでは?と言われています。 学校での成績がとてもよかったという「藤圭子」さんは、高校進学を考えていましたが家族の生活を支えようと決意し、 高校進学は断念して歌の道へ進むことを選びました。 幼い頃から歌が好きだったようですし、その選択は正解だと思いますが、年頃の女性にとっては大きな決断だったと思います。 ちなみに、韓国籍という噂について調べましたが、2002年に某匿名掲示板で 「娘・宇多田ヒカルの本名が金光美という朝鮮名だ」といった書き込みがあったことからささやかれている噂だそうです。 結果としてこれは確証がないため デマのようですね。 韓国籍の人が多いという事実から噂に火が点いたのかもしれません。 また韓国の人はきれいな人が多いので「藤圭子」さんのミステリアスな印象から韓国籍と思われたのかもしれませんね。 藤圭子は精神疾患で自殺した?事故写真は? 画像引用元: そんな「藤圭子」さんですが、 晩年は精神疾患に苦しめられていたといいます。 「藤圭子」さんは娘の「宇多田ヒカル」さんが売れた後は引退されたですが、その後どのような生活をされていたのでしょうか? ちなみに「事故写真」は見つかりませんでした。 また色々と噂されている病がありますが、実際はどのようなものだったのかをみていきましょう。 藤圭子の引退後の生活はギャンブル依存!? 画像引用元: 「藤圭子」さんが桁外れの金銭感覚ということを世の中に知れ渡ってしまった事件があります。 それは2006年にケネディ国際空港で約42万ドル、当時日本円で5,000万円もの現金を所持していて押収されたのです。 昔から麻雀が好きな「藤圭子」さんでしたが、師弟関係を結んでいたと言われる「石坂まさを」さん宅に住み込みで暮らしていたとき 「石坂まさを」さんの母から麻雀を教わり、そこからギャンブルにのめり込んだようです。 ケネディ国際空港で現金を押収されたときに開いた記者会見では『家族が誰も構ってくれなかったから』と言っていたそうです。 寂しさを埋めるためにどんどんギャンブルにハマり、掛け金も大きくなって自分でも歯止めが効かなくなってしまったのでしょう。 お金がなければこのようなことが起こらなかったのでしょうか? 藤圭子は2013年8月22日に死去 画像引用元: 「藤圭子」さんは 2013年8月22日の朝、東京にある西新宿のマンションから飛び降り、搬送先の病院で死亡が確認されました。 当時の写真の様子です。 そのときは誰もそばにおらず一人ぼっちで亡くなったそうです。 多くのファンや著名人らに衝撃を与えた事件でしたが、報道されたときは「覚醒剤を使用していて朦朧となり、誤って転落してしまったのでは?」「自殺では?」などと憶測が飛び交いました。 遺書があったようなので自殺として警察は判断したようですが、孤独に亡くなっていく「藤圭子」さんの心の奥までは分からないですよね。 藤圭子の死因について 画像引用元: 「藤圭子」さんが患っていた精神疾患は諸説あるようですが、 統合失調症だったのではないか?という意見が一番多いみたいですね。 2013年8月22日の午前7時ごろ、西新宿の高層ビルが建ち並ぶ街並みで 「ズドーン」という音がしたそうです。 そこには 黒っぽいTシャツとホットパンツ姿の女性が倒れていたらしいですが… その女性こそが「 藤圭子」さんだったのです。 事件性はなく、 飛び降り自殺と判断された「藤圭子」さんですが、この事実にはやはり病気と関係があったのでしょうか? 「藤圭子」さんが患っていたといわれている統合失調症が、どんな病気なのか調べてみました。 統合失調症とはどんな病気? 画像引用元: 「藤圭子」さんが患っていたという精神疾患・ 統合失調症について調べると、かつては 精神分裂病と呼ばれていた病気でした。 発症前には不眠や昼夜逆転といった睡眠に関する兆候が見られるそうです。 さらに性格の変化や 他人に対して攻撃的になったり猜疑心が強くなったり、集中力が低下したりします。 「藤圭子」さんは生前、 実の母親や周りの家族に攻撃的になっていたことからこの病気だったんじゃ?といわれているみたいです。 他にも奇妙な話し方、奇行なども目立つそうですし 自分でコントロールするのが難しい恐ろしい病気なのでしょう。 もし本当に「藤圭子」さんが統合失調症だったとしたら、ものすごくつらかっただろうと思います。 「藤圭子」さん自身感情の起伏が激しく、攻撃的になったあとは家族に「ごめん」と謝っていたそうなので、かなり苦しんだのでしょう。 そのときの「藤圭子」さんの気持ちを考えると胸が痛みますね。 統合失調症の治療法は? 画像引用元: 「藤圭子」さんを何度も襲った統合失調症ですが、どのような 治療法があるのでしょうか? 統合失調症も他の精神疾患であるうつ病や、双極性障害のように 薬物療法をしていくことで症状は緩和されますが、やはりそれだけでは再発率が高いようです。 もともとは 脳の神経伝達物質の機能異常によって起こる病気のため、その機能異常を調節していくことが必要になってきます。 薬物療法だけでなく、 患者本人や家族への心理社会的療法を併せて行うことで、良好な状態になることも見込めるのです。 薬に頼るだけでなく、周囲の理解や協力・支えなどの社会生活機能の回復を図るサポートが必要になるんですね。 統合失調症だけに限らず、どの病気でも家族や周りの人の力は必要になりますし、長い期間をかけて少しずつ良くなっていく病気だということでしょう。 しかし、家族の協力が得られなかったのか分かりませんが、最後は一人でなくなるというのはなんともやるせない話ですね。 境界性パーソナリティ障害 の可能性も? 画像引用元: 「藤圭子」さんにはある もう一つの病にかかっていたのではという噂が流れています。 それは 『境界性パーソナリティ障害』という病です。 一体どのようなものなのか調べてみました。 境界性パーソナリティ障害の特徴とは? 画像引用元: パーソナリティ障害というの定義には『その人の属する文化から期待されるものより著しく偏った内的体験および行動の持続的パターンであり、ほかの精神障害に由来しないもの』とあります。 要するに大勢でいても違う行動をとってしまい、それに対して苦しんだり、周りが困ってしまったりするケースで判断されるものです。 境界性パーソナリティ障害はものの考え方や捉え方、周りとの衝突や感情コントロールなど、普段生活していく上でとても生きづらくなってしまいます。 またそれだけでなく、 一度発症してしまうと他の精神疾患を引き起こすという厄介な病なのです。 治療は長期にわたって根気よく患者と治療者が協力をし合わなければならないというもので、中には乗り越えた人もたくさんいます。 しかし、自分ではコントロールが効かなくなってしまう病は、本当に恐ろしい病気なのですね。 藤圭子と元旦那前川清の結婚と離婚 画像引用元: 宇多田照實との入籍・離婚を7回も繰り返した藤圭子ですが、なんとヒットして間もない 19歳の頃にはあの大物歌手・前川清と結婚しています。 しかし、前川清とはわずか1年で離婚… 一体何があったのでしょう? お二人の馴れ初めや離婚理由をみていきたいと思います。 藤圭子と元旦那前川清の馴れ初めは? スポンサードリンク 画像引用元: 「前川清」さんといえば 内山田洋とクールファイブでの活動が印象的ですが、 1969年10月に内山田洋とクールファイブが芸能人野球大会に出場した際に、応援で駆り出されていた新人の「藤圭子」さんもいたらしく、そこで「前川清」さんが「藤圭子」さんに好意を持ったそうです。 まだ言葉こそ交わしていなかったお二人ですが、その後 「橋幸夫ショー」で前座を務めた「藤圭子」さんに「前川清」さんが花輪を贈ったようです。 その際に「藤圭子」さんの育ての親である「石坂まさを」さんが 『未成年の女の子に花輪を届ける本心を聞かせてくれ』と問い詰めました。 育ての親としては、この人は自分の大切な存在に下心を抱いているのか?と心配に思う気持ちも分かりますよね。 そこで「前川清」さんは、 自身のが前歌をつとめたときに花輪がなかったため寂しい思いをしたということを明かしました。 そして『 藤さんもきっと同じだろうと思って』と一言。 これがきっかけで「石坂まさを」さんは「前川清」さんを自宅に招待し、何度も顔を合わせるうちに「藤圭子」とも仲良くなっていったそうです。 なんとも「前川清」さんは色男だったのですね。 藤圭子と元旦那前川清の離婚理由は? 画像引用元: 「石坂まさを」さんとのやりとりがきっかけで「藤圭子」さんとも距離を縮めて結婚に至った「前川清」さんですが、お二人は わずか1年で離婚しています。 これは世間で 「ままごと婚」といわれ、結構なバッシングを食らった事例となっています。 幸せの絶頂にいたはずのお二人は何故離婚してしまったのか? これについて調べると諸説が出てくるのですが、ここでは「前川清」さんの発言に基いた離婚理由を紹介しようと思います。 1年で離婚したため 「なんでダメだったの?」と聞かれた「前川清」さんは 「なんでってないんだよね」と 特に離婚理由がなかったということを語っています。 しかし、離婚理由がないといってもやはり 価値観の違いのようなものはあったといいます。 どうやら結婚当初から「藤圭子」さんが演歌に興味がなく、外国に行くことなどを視野に入れていて 目指しているものが感覚的に違ったと二人の間の「ズレ」を「前川清」さんが告白したことも。 他にも、「 藤圭子」さんが育ての親である「石坂まさを」さんを好きであったため「前川清」さんを異性として愛していなかったという説もあります。 価値観のズレ以外にお互いの温度差というものもあったんですね。 「藤圭子」さんもまだ若かったですし、「前川清」さんにとって荷が重い面もあったかもしれません。 藤圭子と前川清との間に和田アキ子の禁断恋があった? 画像引用元: 一部では「藤圭子」さんの元旦那・「 前川清」さんは「和田アキ子」さんと三角関係があったとささやかれています。 現在かなりの大御所である「和田アキ子」さんですが、若い頃はとても美人でした。 これについて調べると、「 前川清」さんに対して「和田アキ子」さんが当時好意をもっていたため、約1年で離婚した「藤圭子」さんをあまりよく思っていなかったというエピソードが出てきました。 そこから三角関係の噂が流れてきたのでしょう。 ただ、現在「前川清」さんと「和田アキ子」さんがテレビで共演して当時の出来事を語ることもあるので 確執がそこまであったというわけではないんですね。 好意をもっていなくても、1年で離婚となれば冷ややかな目で見ても仕方ないかなぁ?とも思います。 「和田アキ子」さんも同じく芸能界で頑張る「前川清」さんのことを兄弟のように心配したのでしょうね。 藤圭子と前川清の子供は? 画像引用元: 前述したように僅か一年で離婚した「前川清」さんと「藤圭子」さんですが、二人の間に 子供はいたのでしょうか? これについて調べたところ「 藤圭子」さんは子供を作る気がなかったという情報を見つけました。 お二人の間に子供はいなかったようです。 まだお互い精神的に成熟しておらず、それぞれのことで精一杯だったため子供は作らなかったようですね。 出産がすべての夫婦にとって幸せというわけではないですし、1年足らずで離婚したことを考えると子供を作らないというのは正解だった気がします。 誕生してすぐ離婚、とかなったら子供が可哀想ですしね。 藤圭子と宇多田照實の結婚 画像引用元: それでは、 「宇多田照實」さんと「藤圭子」さんの結婚についてみていきましょう。 お二人の間に誕生した子供についてや、馴れ初めなどをお届けします。 藤圭子と宇多田照實の馴れ初めは? 画像引用元: まずは「 宇多田照實」さんと「藤圭子」さんの馴れ初めについてです。 気になって調べたのですが、「 宇多田照實」さん は「藤圭子」さんのマネージャーとして芸能界入りする前の素性が明かされていないようなんですよね。 つまり、どこで「藤圭子」さんと交際に至ったのかという情報もないため 馴れ初めが公表されていないみたいです。 ただ、16歳で渡米したということで 英語が堪能でドラムやギターも演奏できるマルチミュージシャンでしたし、お互いの才能に惹かれたという可能性もあるかな?と勝手に思ってしまいました。 今後、実際の馴れ初めが明かされるといいですね。 藤圭子と宇多田照實の子供は? 画像引用元: そして「宇多田照實」さんと「藤圭子」さんの子供ですが、これはみなさんご存知のとおり 国民的大物シンガーソングライターの「宇多田ヒカル」さんです。 「宇多田照實」さんは現在、プロデュース業に専念していて、娘である「宇多田ヒカル」さんの音楽プロデュースに積極的に参加しています。 親子で音楽を作っていくってすごいですね。 15歳でCDデビューし「藤圭子」さんの娘であることが明かされると「天才少女」とアイドル的存在になった「宇多田ヒカル」さん。 「Automatic」や「First Love」などあの年齢で書いたとは思えない濃密な歌詞の楽曲を次々発表していきます。 現在は母親としても日々奮闘しているようです。 藤圭子の結婚&離婚歴について。 離婚回数が多い理由は? 画像引用元: 「藤圭子」さんといえば、娘の「宇多田ヒカル」さんを出産しましたが、その前に 離婚結婚を繰り返しています。 なんとその数 7回! バツ7はさすがに多すぎるのですが…実は この離婚は全て「宇多田照實」さんとのものだったんだとか。 同じ相手と7回も入籍・離婚を繰り返したということですよね? みなさんもここまでの人は今まで聞いたことも見たこともないと思います… これには娘の「宇多田ヒカル」さんも 「わけがわからない」と語っていたそうですが、個人的にもそう感じます。 「藤圭子」さんに離婚歴が多い理由は「 宇多田照實」さんとの関係によるものだったのですね。 確かにわけがわからないと言いたくなる気持ちも分かります。 そして「宇多田ヒカル」さんがこの夫婦に対して『二人とも噛み合ってないから離婚したほうがいい』と言ったそうです。 このとき「宇多田ヒカル」さんは8歳でした。 すごいですよね。 藤圭子と宇多田ヒカルは似てる?歌声は?デュエットで共演有り? 画像引用元: 「宇多田ヒカル」さんとは血のつながった親子である「藤圭子」さんですが、 「GOLDEN ERA」という曲でデュエット共演したこともあります。 お二人は似ているのでしょうか? 写真を比較してみましょう。 特に目元はパッチリとしていて可愛らしい顔をしています。 「宇多田ヒカル」さんの幼年期はどこか影のある子供だったそうです。 少しミステリアスなところも母親似なのですかね? 宇多田ヒカルがコメントした藤圭子の死への心情は?二人の確執の真相は? 画像引用元: 「藤圭子」さんの 自殺ですが、当時かなり世間を驚かせましたよね。 それに対して娘である「宇多田ヒカル」さんはどう思っているのでしょう。 色々探ったところによると「 宇多田ヒカル」さんと「藤圭子」さんには、衝突や反発などの紆余曲折があったとはいえ、最終的に「宇多田ヒカル」さんは母親と娘の関係でよかったという結論を出しています。 「藤圭子」さんの病気のこともあり、一時的にこじれていたであろう親子関係ですが「 宇多田ヒカル」さんは自身の「藤圭子」さんへの気持ちを上手く昇華させることができたのですね。 少しホッとしました。 どんな事情があれどやはり親子ほど無償で信じあえる存在はないので、「宇多田ヒカル」さんにも「藤圭子」さんの想いが通じたのでしょう。 まとめ 画像引用元: 今回は「 藤圭子」に関する話題をご紹介しました。 音楽の道を進んだ「藤圭子」さん。 結婚離婚を繰り返すエキセントリックな人生を送ってきましたが最終的には自ら人生の幕を閉じました。 波乱万丈な「 藤圭子」さんに、心からのご冥福をお祈りするとともに 娘・「宇多田ヒカル」さんに受け継がれた音楽の才能に今後も期待していきたいと思います。 長くなりましたが、最後までお読みいただきありがとうございました。

次の

藤圭子|プロフィール|HMV&BOOKS online

藤 圭子

清楚なルックスと「恨み節」とも呼ばれるハスキーな歌声で人気を集めた歌手の藤圭子さん(旧姓・阿部純子、享年62)が8月22日、衝撃的な死をとげた。 「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で1970年代に一世を風靡した彼女は、多感な少女時代を旭川で過ごした。 薄幸の女性のイメージで、独特の哀愁をにじませた昭和の歌姫に、この旭川の地はどんな影響を与えたのだろうか。 美談はない 藤圭子さんは8月22日朝、東京・西新宿にある28階建て高層マンションの13階の一室から、黒っぽいTシャツに短パン姿で飛び降り、搬送された病院で亡くなった。 現場の西新宿は、デビュー当時、藤さんが活動拠点にしていた思い出の地でもあった。 近年、表舞台から遠ざかっていた藤さんは今年3月、藤さんを世に送り出した育ての親でもある作詞家の石坂まさをさん(享年71)が亡くなった際にも葬儀に姿を見せず、消息が不明。 奇しくも、8月23日に都内で「石坂さんを偲ぶ会」が開かれる、その前日に旅立ってしまった。 故人の遺志により、知人、友人の面会は受け付けず、葬儀は営まれなかった。 火葬のみを行い、親族だけで荼毘(だび)に付す形となった。 藤さんの訃報をテレビのニュースで知った旭川市神居町の長井孝之さん(70)は次の日、神居神社の境内に一人たたずんだ。 「誰が何と言おうと大ファン」という長井さんは、藤さんが小学生のときに、神社で行われた歌謡大会で見事優勝を飾った際の彼女の面影を求めて「あの日」と同じ場所に立った。 「神居祭り」の一環として実施された歌謡大会は、土俵の上に設置されたステージで繰り広げられ、藤さんは継ぎはぎだらけの服装で美空ひばりの「りんご追分」を熱唱。 その姿を境内のトドマツに寄りかかりながら、じっと見ていた長井さんは「この子は絶対にプロの歌手になる」と、その場で確信したという。 神居祭りは平成に入ってから、「ふるさとカムイふれあいフェスティバル」と名前を変えているが、毎年9月1日に実施。 ここ10年以上、祭りの日に雨が降ったことはなかったというが、今年その日、イベントの終盤に雨が降り始め「圭子の涙雨か?」と話題になった。 同フェスティバルの実行委員長、石坂辰義さんは「藤圭子がここで育ったことは、地域の自慢で尊敬の念もあるが、あの子のことを語り出すと、美談といえるものはなく、同情心ばかり湧いてくる。 小さなときから大人の顔をしており、歌はピカイチだったが、祭りの浴衣は模様なんだか、汚れの染みなんだか分からないような粗末な恰好をしていた」。 祭りに参加したある神居町の住民は「周りから持ち上げられ、サムライ部落で育った日銭生活から、いっぺんに花形スターになってしまったため、そのジレンマに陥り自ら命を絶ってしまったのではないか」と今回の訃報をとらえる。 神居中の同窓会長、上楽(じょうらく)隆利さん(71)は、藤さんが中学生のときに神居神社の踊り場で歌った姿が印象的で「顔もきれいだし、歌も上手だったから、しっかり見た」。 父親の国二郎さんは、浪曲歌手としてだけでは食べていけず左官の仕事もしており、農閑期には「私も一緒に仕事をしたことがある」と当時を振り返る。 7歳から流し 藤さんは1951年、岩手県一関市で地方まわりの浪曲歌手だった父・松平国二郎さん(本名・阿部壮)と、目が不自由な三味線奏者の母・竹山澄子さん(同・阿部澄子)との間に、巡業の途中、3人きょうだいの末っ子として生まれた。 一家は、藤さんが生後まもなく渡道。 3歳のときに旭川に移り住んだ。 生活は苦しく、道内や東北を中心に旅回りをし、祭りや炭鉱、寺の本堂、旧家の大広間などで歌をうたい、その日暮らしをしていた。 仕事がないときは、長女に乳飲み子の藤さんを背負わせ、澄子さんは三味線を抱え、国二郎さんは長男・博さん(のちの歌手・藤三郎)の手を引き風呂敷包みを背負いながら、一軒一軒営業のために農家をまわった。 忠別橋たもとのサムライ部落で生活していた際には、「冬、下駄で忠別川の氷を割って、おしめを洗っていた」と当時の様子を知る人は話す。 やがて藤さんも家族を支えるため、7歳ごろから両親と一緒に演歌の流しを始めた。 マイナス20度の厳寒の折でも、膝まで雪に埋もれながら、何時間も歩き、寺の軒先や床下で寝ることもあった。 藤さんは小学校を何ヵ所か転校したが、大有小4年のときの担任だった小田栄一郎さん(81)は、同校に編入してくる際、在学証明書を一度に4、5枚も重ねて提出してきたことにまず驚かされる。 旭町にあった住まいは、畳もなく、床がむき出しになった状態で、裸電球が一つぶら下がっていたにすぎない。 それでも家族5人寄り添いながら暮らしていた。 近くに住んでいた小林芳子さん(87)は、長男の三郎さんと藤さんが納豆や豆腐を売り歩いていた姿を記憶。 殿村真紀子さん(64)は「自分から明るくあいさつしてくることもあれば、声をかけても何もしゃべらないことがあり、あのころから躁鬱の気があったかもしれない」と振り返る。 貧しさのせいか、ある年のクリスマス、近くの菓子店で姉妹2人そろってケーキをごっそり「拝借」してしまったことは、知る人ぞ知る語り草になっている。 遠足など費用のかかる学校行事はすべて欠席。 服装は一年中、穴のあいた同じものを着てくるほど生活が困っていた様子で、靴もゴムの底が「カッパカッパ」と音を立て、取れそうだった。 (続きは月刊北海道経済10月号でお読みください) 投稿者 投稿日: カテゴリー 投稿ナビゲーション.

次の

藤圭子の生い立ちは?韓国籍?離婚歴(回数)は?前川清との子供は宇多田ヒカル?

藤 圭子

清楚なルックスと「恨み節」とも呼ばれるハスキーな歌声で人気を集めた歌手の藤圭子さん(旧姓・阿部純子、享年62)が8月22日、衝撃的な死をとげた。 「圭子の夢は夜ひらく」などのヒット曲で1970年代に一世を風靡した彼女は、多感な少女時代を旭川で過ごした。 薄幸の女性のイメージで、独特の哀愁をにじませた昭和の歌姫に、この旭川の地はどんな影響を与えたのだろうか。 美談はない 藤圭子さんは8月22日朝、東京・西新宿にある28階建て高層マンションの13階の一室から、黒っぽいTシャツに短パン姿で飛び降り、搬送された病院で亡くなった。 現場の西新宿は、デビュー当時、藤さんが活動拠点にしていた思い出の地でもあった。 近年、表舞台から遠ざかっていた藤さんは今年3月、藤さんを世に送り出した育ての親でもある作詞家の石坂まさをさん(享年71)が亡くなった際にも葬儀に姿を見せず、消息が不明。 奇しくも、8月23日に都内で「石坂さんを偲ぶ会」が開かれる、その前日に旅立ってしまった。 故人の遺志により、知人、友人の面会は受け付けず、葬儀は営まれなかった。 火葬のみを行い、親族だけで荼毘(だび)に付す形となった。 藤さんの訃報をテレビのニュースで知った旭川市神居町の長井孝之さん(70)は次の日、神居神社の境内に一人たたずんだ。 「誰が何と言おうと大ファン」という長井さんは、藤さんが小学生のときに、神社で行われた歌謡大会で見事優勝を飾った際の彼女の面影を求めて「あの日」と同じ場所に立った。 「神居祭り」の一環として実施された歌謡大会は、土俵の上に設置されたステージで繰り広げられ、藤さんは継ぎはぎだらけの服装で美空ひばりの「りんご追分」を熱唱。 その姿を境内のトドマツに寄りかかりながら、じっと見ていた長井さんは「この子は絶対にプロの歌手になる」と、その場で確信したという。 神居祭りは平成に入ってから、「ふるさとカムイふれあいフェスティバル」と名前を変えているが、毎年9月1日に実施。 ここ10年以上、祭りの日に雨が降ったことはなかったというが、今年その日、イベントの終盤に雨が降り始め「圭子の涙雨か?」と話題になった。 同フェスティバルの実行委員長、石坂辰義さんは「藤圭子がここで育ったことは、地域の自慢で尊敬の念もあるが、あの子のことを語り出すと、美談といえるものはなく、同情心ばかり湧いてくる。 小さなときから大人の顔をしており、歌はピカイチだったが、祭りの浴衣は模様なんだか、汚れの染みなんだか分からないような粗末な恰好をしていた」。 祭りに参加したある神居町の住民は「周りから持ち上げられ、サムライ部落で育った日銭生活から、いっぺんに花形スターになってしまったため、そのジレンマに陥り自ら命を絶ってしまったのではないか」と今回の訃報をとらえる。 神居中の同窓会長、上楽(じょうらく)隆利さん(71)は、藤さんが中学生のときに神居神社の踊り場で歌った姿が印象的で「顔もきれいだし、歌も上手だったから、しっかり見た」。 父親の国二郎さんは、浪曲歌手としてだけでは食べていけず左官の仕事もしており、農閑期には「私も一緒に仕事をしたことがある」と当時を振り返る。 7歳から流し 藤さんは1951年、岩手県一関市で地方まわりの浪曲歌手だった父・松平国二郎さん(本名・阿部壮)と、目が不自由な三味線奏者の母・竹山澄子さん(同・阿部澄子)との間に、巡業の途中、3人きょうだいの末っ子として生まれた。 一家は、藤さんが生後まもなく渡道。 3歳のときに旭川に移り住んだ。 生活は苦しく、道内や東北を中心に旅回りをし、祭りや炭鉱、寺の本堂、旧家の大広間などで歌をうたい、その日暮らしをしていた。 仕事がないときは、長女に乳飲み子の藤さんを背負わせ、澄子さんは三味線を抱え、国二郎さんは長男・博さん(のちの歌手・藤三郎)の手を引き風呂敷包みを背負いながら、一軒一軒営業のために農家をまわった。 忠別橋たもとのサムライ部落で生活していた際には、「冬、下駄で忠別川の氷を割って、おしめを洗っていた」と当時の様子を知る人は話す。 やがて藤さんも家族を支えるため、7歳ごろから両親と一緒に演歌の流しを始めた。 マイナス20度の厳寒の折でも、膝まで雪に埋もれながら、何時間も歩き、寺の軒先や床下で寝ることもあった。 藤さんは小学校を何ヵ所か転校したが、大有小4年のときの担任だった小田栄一郎さん(81)は、同校に編入してくる際、在学証明書を一度に4、5枚も重ねて提出してきたことにまず驚かされる。 旭町にあった住まいは、畳もなく、床がむき出しになった状態で、裸電球が一つぶら下がっていたにすぎない。 それでも家族5人寄り添いながら暮らしていた。 近くに住んでいた小林芳子さん(87)は、長男の三郎さんと藤さんが納豆や豆腐を売り歩いていた姿を記憶。 殿村真紀子さん(64)は「自分から明るくあいさつしてくることもあれば、声をかけても何もしゃべらないことがあり、あのころから躁鬱の気があったかもしれない」と振り返る。 貧しさのせいか、ある年のクリスマス、近くの菓子店で姉妹2人そろってケーキをごっそり「拝借」してしまったことは、知る人ぞ知る語り草になっている。 遠足など費用のかかる学校行事はすべて欠席。 服装は一年中、穴のあいた同じものを着てくるほど生活が困っていた様子で、靴もゴムの底が「カッパカッパ」と音を立て、取れそうだった。 (続きは月刊北海道経済10月号でお読みください) 投稿者 投稿日: カテゴリー 投稿ナビゲーション.

次の