ボート レース ネット。 TELEBOAT会員募集サイト

TELEBOAT会員募集サイト

ボート レース ネット

後藤翔之(ごとうしょうし)ってどんな人? デビュー時からイケメンレーサーとしても話題ともなっていた後藤翔之さんはどの様な人物なのでしょうか? 簡易プロフィール 後藤翔之(ごとうしょうし)さんは、1986年3月9日生まれで東京都稲城市出身、東京支部所属のボートレーサーです。 身長169㎝、体重54キロで血液型はO型、2020年現在は33歳です。 第101期生として登録、競艇選手としての登録番号は4460で、現在の級別はA1級です。 ボートレーサーになったきっかけ 生まれと育ちが東京都の稲城市ということでボートレース多摩川から近い事もあり、小学生の頃から父や祖父に競艇場に連れていかれていたことで、ボートレースに興味を持ったそうです。 最終的に祖父から競艇選手への道を勧められたことが一番のきっかけになりました。 趣味や休日の過ごし方 後藤翔之さんは、中学と高校時代はフェンシングやサッカーをしており、フェンシングでは全国3位、サッカーでは全国大会に出場するなど、運動神経の良さはその当時からずば抜けていたようです。 現在もサッカーやフェンシングを趣味としており、子供の頃から毎年行ってるスノーボードも欠かさないなど、とにかく体を動かすことが好きな方のようです。 休日はショッピングに行ったり旅行にったり、お酒を飲みに行ったり、書類に目を通したり、英会話のレッスンを受けたりしているようですね。 妻は元グラビアアイドルの秋山莉奈さん 2015年の6月に後藤翔之さんと秋山莉奈さんは結婚をしています。 2人が出会うきっかけとなったのは、同じく競艇選手で先輩の中野次郎選手に食事会に誘われたことであるといい、その時はお互いにパートナーがいたのですが、その後共通の友人の結婚式で再会し、連絡を取るようになり、愛を育んだようです。 また2016年2月19日には元気な男の子が生まれています。 やまと競艇学校を6回受験 高校3年生の時に初めて、競艇選手養成所であるやまご学校を受験するも失敗し、その後関東学院大学に入学しつつ、やまと学校の受験は続けていましたが4度の受験失敗を機に大学を中退し、その後6度目の受験でようやく合格となりました。 親族もボートレーサー 後藤翔之さんの実弟である後藤隼之さん、そして妹の後藤美翼さん、そして従兄弟の永井彪也さんはいずれもボートレーサーです。 後藤隼之さんの登録番号は4676、後藤美翼さんの登録番号は4680で二人とも登録109期として卒業し、兄妹レーサーになった事は当時話題にもなりました。 それぞれが競艇選手になったきっかけはわかりませんが、恐らく後藤翔之さんと同様にボートレース多摩川に行き、祖父に勧められたり、兄の影響があったのだと推測されます。 尊敬するボートレーサー 後藤翔之さんは尊敬する競艇選手として師匠である柾田敏行さんを挙げています。 柾田敏行さんは、高齢にもかかわらず今なお努力を続けている競艇選手で、結果を出している姿勢に改めて師匠のレーサーとしてのプライドに胸を打たれ、自身も努力をしようと心に誓ったそうです。 成績 6度のやまと学校の受験を経て、ようやく合格へとたどり着いた後藤翔之さんは今まで競艇選手としてどの様な成績をおさめているのでしょうか? やまと学校時代の成績 プロ後の成績が見通せ、実際ににも影響があるとも言われる卒業記念競走では優出を果たし2着、リーグ勝率7. 79 準優出7 優出4 優勝1の好成績をおさめてやまと学校を卒業しています。 ちなみに修了記念レースを優勝したのが101期を牽引している篠崎仁志選手でした。 デビュー戦で堂々の3着 2007年11月22日からボートレース多摩川で開催された 第30回関東日刊紙競艇記者クラブ杯の初日、3Rでプロデビューします。 後藤翔之さんは、6号艇出場ながら初戦で3着と堂々の成績を残しています。 初勝利 2007年12月6日からボートレース戸田で開催された 第2回隼杯の初日、6Rでデビュー初勝利を飾ります。 デビューから11走目とかなり早い段階での初勝利となりました。 また、3日目、8Rでも嬉しい2勝目を手にしました。 同期を圧倒する堂々の勝率 後藤翔之さんはデビューした2007年11月から2008年4月30日までの成績は101期の中では断トツで、最終週の成績となりました。 勝率3. 93、二連対率15. これに食らいつくように居たのが修了記念優勝者の篠崎仁志選手で、同期ではこの二人のみが2008年7月からB1昇格を果たすこととなります。 初優出で初優勝 後藤翔之さんは、2008年9月12日からボートレース下関で開催された一般競争で初めての優出を果たすと、そのまま最終日12R優勝戦では3号艇から出場、決まり手はまくり差しで圧巻の初優勝を果たしました。 暗雲期 順風満帆の成績を重ね、2009年初頭には早くもA2へと昇格した後藤翔之さんでしたが、突如として急ブレーキを踏むことになってしまいます。 実はデビューした2007年にはFはありませんでしたが、S1を3度行ってしまっていました。 2008年にはS0を3回、S1を3回、そしてFをつけてしまっています。 そして2009年は29回の1着をおさめるも、優出は一度のみと結果を出すことができず、S0が3回、S1が2回、S2が3回、Fが2回と勝ち星は上げていくもののB2級へ降格し、トラブルが足を引っ張るようになっていきます。 2010年になり、出走数が増え、1着2着の回数も格段に増えてきましたが、優出は2回のみで、さらにトラブルは続き、S0が3回、S1が3回、S2が1回、Fが2回に加えK0を2回と恵まれない展開が多くなっています。 2011年は成績が右肩上がりとなり、1着2着が更に増えてきて、優出回数は11回と非常に優秀な数字を出しましたが、その後に迎えた2012年に最大のトラブルに見舞われます。 2012年 念願のA1昇格の叶った後藤翔之さんが直面した不幸、それはF3による90日の休みでした。 1度目は2012年3月15日からボートレース鳴門で開催された、 G3スポニチ賞中道善博杯争奪G3新鋭リーグ戦の第4戦競走の3日目10Rでのフライングです。 2度目は2012年6月14日からボートレース多摩川競艇場で開催された、 G3新鋭リーグ第12戦是政王子決定戦の初日12Rでのフライングです。 そして、3度目は2012年10月6日からボートレース鳴門で開催された、 G3新鋭リーグ第1戦中道善博杯争奪スポニチ賞競走4日目9Rでのフライングとなります。 さらに極めつけは2012年10月16日からボートレースびわこで開催された、 G3新鋭リーグ第2戦 第47回新鋭戦4日目12Rでのフライングとなります。 A1レーサーとして大きく羽ばたくだろうと思われた後藤翔之さんでしたが、B1に必要となる50走を走ることが出来ず、B2落ちが決定してしまうという都合4度のフライングを犯してしまい、その代償はあまりにも大きなものとなりました。 再起 初優出での初優勝という華麗なデビューを飾った後藤翔之さんは、暗黒期のフライングのことを以下のように語っています。 「最初はよく分からなかった。 やってしまった~って感じで…。 出走回数は減るしB2スタート。 FしようものならA級に復帰できない。 転覆すればすぐに事故点が加算され勝率も稼げない。 A1に戻ることを考えて事故を抑え、6点ちょっと取ることだけを考えた」 「休みの日も減量を続けた。 体重は50キロをキープしないといけないと思っていたが、そうすると体力が落ちているのを感じた。 今は52~53キロくらいで毎日ランニングして体力をつくるようにしている」 F休みの間に、同期の篠崎仁志さん、片岡雅裕さんが活躍した事にも刺激されたといいます。 これが結実したのか、復帰した2013年7月、B2へ降格した初めてのレースである 第13回さわやか杯で優出し実に5年ぶりの見事な優勝を果たすことができました。 また、全日を通して1着3回、2着5回、3着1回と全てにおいて舟券に絡む活躍を見せてくれました。 2014年は優勝戦のFでヒヤリ 2014年には早々にA1復帰を果たしましたが、1月には優勝戦でFを喫したことで、まさか再び悪夢が訪れるのかとも思われましたが、5度の優出、1度の優勝と危なげない成績で年間通してA1級に居座り、迎えた2015年にこれまでのうっ憤を晴らすような活躍を魅せつけます。 大爆発の2015年 後藤翔之さんは結婚を発表した年である2015年はなんと、17回の優出で6回の優勝を果たしています。 ちなみに年間成績の1着率は3割を超え、2連対率は6割近く、3連対率は7割以上と、すさまじい勢いで大活躍と一年となりました。 貴重なSG初勝利の2016年 2016年3月16日から、ボートレース平和島で開催された 第51回ボートレースクラシックで2度目のSG出場を果たすと、2日目8Rに自身初のSG勝利を手にします。 5号艇からの出場で、決まり手はまくり差しでした。 ただ、この2016年は2015年に見られた勢いが影を潜め、優勝をする事は無く、勝率を大きく落としてしまいます。 この背景にあったのは…F2でしょう。 1月と5月にフライングをしてしまった事で、3度目のフライングを阻止したいという気持ちがどこかにあり、そのせいで果敢なスタートをきれなかったのではないかとも思います。 まとめ 華々しいデビューを飾り、一時はフライングなどのスタート事故に泣かされたものの、それを乗り越えて復活した後藤翔之さんが次に目指すステップは何と言ってもG1、SGの初制覇でしょう。 近いうちにタイトル制覇、期待したいですね。 今後もボートレーサー後藤翔之さんから目が離せませんね。

次の

ゆうちょ口座でボートレースのインターネット投票が可能に ~ゆうちょのネット決済がますます便利に!~-ゆうちょ銀行

ボート レース ネット

後藤翔之(ごとうしょうし)ってどんな人? デビュー時からイケメンレーサーとしても話題ともなっていた後藤翔之さんはどの様な人物なのでしょうか? 簡易プロフィール 後藤翔之(ごとうしょうし)さんは、1986年3月9日生まれで東京都稲城市出身、東京支部所属のボートレーサーです。 身長169㎝、体重54キロで血液型はO型、2020年現在は33歳です。 第101期生として登録、競艇選手としての登録番号は4460で、現在の級別はA1級です。 ボートレーサーになったきっかけ 生まれと育ちが東京都の稲城市ということでボートレース多摩川から近い事もあり、小学生の頃から父や祖父に競艇場に連れていかれていたことで、ボートレースに興味を持ったそうです。 最終的に祖父から競艇選手への道を勧められたことが一番のきっかけになりました。 趣味や休日の過ごし方 後藤翔之さんは、中学と高校時代はフェンシングやサッカーをしており、フェンシングでは全国3位、サッカーでは全国大会に出場するなど、運動神経の良さはその当時からずば抜けていたようです。 現在もサッカーやフェンシングを趣味としており、子供の頃から毎年行ってるスノーボードも欠かさないなど、とにかく体を動かすことが好きな方のようです。 休日はショッピングに行ったり旅行にったり、お酒を飲みに行ったり、書類に目を通したり、英会話のレッスンを受けたりしているようですね。 妻は元グラビアアイドルの秋山莉奈さん 2015年の6月に後藤翔之さんと秋山莉奈さんは結婚をしています。 2人が出会うきっかけとなったのは、同じく競艇選手で先輩の中野次郎選手に食事会に誘われたことであるといい、その時はお互いにパートナーがいたのですが、その後共通の友人の結婚式で再会し、連絡を取るようになり、愛を育んだようです。 また2016年2月19日には元気な男の子が生まれています。 やまと競艇学校を6回受験 高校3年生の時に初めて、競艇選手養成所であるやまご学校を受験するも失敗し、その後関東学院大学に入学しつつ、やまと学校の受験は続けていましたが4度の受験失敗を機に大学を中退し、その後6度目の受験でようやく合格となりました。 親族もボートレーサー 後藤翔之さんの実弟である後藤隼之さん、そして妹の後藤美翼さん、そして従兄弟の永井彪也さんはいずれもボートレーサーです。 後藤隼之さんの登録番号は4676、後藤美翼さんの登録番号は4680で二人とも登録109期として卒業し、兄妹レーサーになった事は当時話題にもなりました。 それぞれが競艇選手になったきっかけはわかりませんが、恐らく後藤翔之さんと同様にボートレース多摩川に行き、祖父に勧められたり、兄の影響があったのだと推測されます。 尊敬するボートレーサー 後藤翔之さんは尊敬する競艇選手として師匠である柾田敏行さんを挙げています。 柾田敏行さんは、高齢にもかかわらず今なお努力を続けている競艇選手で、結果を出している姿勢に改めて師匠のレーサーとしてのプライドに胸を打たれ、自身も努力をしようと心に誓ったそうです。 成績 6度のやまと学校の受験を経て、ようやく合格へとたどり着いた後藤翔之さんは今まで競艇選手としてどの様な成績をおさめているのでしょうか? やまと学校時代の成績 プロ後の成績が見通せ、実際ににも影響があるとも言われる卒業記念競走では優出を果たし2着、リーグ勝率7. 79 準優出7 優出4 優勝1の好成績をおさめてやまと学校を卒業しています。 ちなみに修了記念レースを優勝したのが101期を牽引している篠崎仁志選手でした。 デビュー戦で堂々の3着 2007年11月22日からボートレース多摩川で開催された 第30回関東日刊紙競艇記者クラブ杯の初日、3Rでプロデビューします。 後藤翔之さんは、6号艇出場ながら初戦で3着と堂々の成績を残しています。 初勝利 2007年12月6日からボートレース戸田で開催された 第2回隼杯の初日、6Rでデビュー初勝利を飾ります。 デビューから11走目とかなり早い段階での初勝利となりました。 また、3日目、8Rでも嬉しい2勝目を手にしました。 同期を圧倒する堂々の勝率 後藤翔之さんはデビューした2007年11月から2008年4月30日までの成績は101期の中では断トツで、最終週の成績となりました。 勝率3. 93、二連対率15. これに食らいつくように居たのが修了記念優勝者の篠崎仁志選手で、同期ではこの二人のみが2008年7月からB1昇格を果たすこととなります。 初優出で初優勝 後藤翔之さんは、2008年9月12日からボートレース下関で開催された一般競争で初めての優出を果たすと、そのまま最終日12R優勝戦では3号艇から出場、決まり手はまくり差しで圧巻の初優勝を果たしました。 暗雲期 順風満帆の成績を重ね、2009年初頭には早くもA2へと昇格した後藤翔之さんでしたが、突如として急ブレーキを踏むことになってしまいます。 実はデビューした2007年にはFはありませんでしたが、S1を3度行ってしまっていました。 2008年にはS0を3回、S1を3回、そしてFをつけてしまっています。 そして2009年は29回の1着をおさめるも、優出は一度のみと結果を出すことができず、S0が3回、S1が2回、S2が3回、Fが2回と勝ち星は上げていくもののB2級へ降格し、トラブルが足を引っ張るようになっていきます。 2010年になり、出走数が増え、1着2着の回数も格段に増えてきましたが、優出は2回のみで、さらにトラブルは続き、S0が3回、S1が3回、S2が1回、Fが2回に加えK0を2回と恵まれない展開が多くなっています。 2011年は成績が右肩上がりとなり、1着2着が更に増えてきて、優出回数は11回と非常に優秀な数字を出しましたが、その後に迎えた2012年に最大のトラブルに見舞われます。 2012年 念願のA1昇格の叶った後藤翔之さんが直面した不幸、それはF3による90日の休みでした。 1度目は2012年3月15日からボートレース鳴門で開催された、 G3スポニチ賞中道善博杯争奪G3新鋭リーグ戦の第4戦競走の3日目10Rでのフライングです。 2度目は2012年6月14日からボートレース多摩川競艇場で開催された、 G3新鋭リーグ第12戦是政王子決定戦の初日12Rでのフライングです。 そして、3度目は2012年10月6日からボートレース鳴門で開催された、 G3新鋭リーグ第1戦中道善博杯争奪スポニチ賞競走4日目9Rでのフライングとなります。 さらに極めつけは2012年10月16日からボートレースびわこで開催された、 G3新鋭リーグ第2戦 第47回新鋭戦4日目12Rでのフライングとなります。 A1レーサーとして大きく羽ばたくだろうと思われた後藤翔之さんでしたが、B1に必要となる50走を走ることが出来ず、B2落ちが決定してしまうという都合4度のフライングを犯してしまい、その代償はあまりにも大きなものとなりました。 再起 初優出での初優勝という華麗なデビューを飾った後藤翔之さんは、暗黒期のフライングのことを以下のように語っています。 「最初はよく分からなかった。 やってしまった~って感じで…。 出走回数は減るしB2スタート。 FしようものならA級に復帰できない。 転覆すればすぐに事故点が加算され勝率も稼げない。 A1に戻ることを考えて事故を抑え、6点ちょっと取ることだけを考えた」 「休みの日も減量を続けた。 体重は50キロをキープしないといけないと思っていたが、そうすると体力が落ちているのを感じた。 今は52~53キロくらいで毎日ランニングして体力をつくるようにしている」 F休みの間に、同期の篠崎仁志さん、片岡雅裕さんが活躍した事にも刺激されたといいます。 これが結実したのか、復帰した2013年7月、B2へ降格した初めてのレースである 第13回さわやか杯で優出し実に5年ぶりの見事な優勝を果たすことができました。 また、全日を通して1着3回、2着5回、3着1回と全てにおいて舟券に絡む活躍を見せてくれました。 2014年は優勝戦のFでヒヤリ 2014年には早々にA1復帰を果たしましたが、1月には優勝戦でFを喫したことで、まさか再び悪夢が訪れるのかとも思われましたが、5度の優出、1度の優勝と危なげない成績で年間通してA1級に居座り、迎えた2015年にこれまでのうっ憤を晴らすような活躍を魅せつけます。 大爆発の2015年 後藤翔之さんは結婚を発表した年である2015年はなんと、17回の優出で6回の優勝を果たしています。 ちなみに年間成績の1着率は3割を超え、2連対率は6割近く、3連対率は7割以上と、すさまじい勢いで大活躍と一年となりました。 貴重なSG初勝利の2016年 2016年3月16日から、ボートレース平和島で開催された 第51回ボートレースクラシックで2度目のSG出場を果たすと、2日目8Rに自身初のSG勝利を手にします。 5号艇からの出場で、決まり手はまくり差しでした。 ただ、この2016年は2015年に見られた勢いが影を潜め、優勝をする事は無く、勝率を大きく落としてしまいます。 この背景にあったのは…F2でしょう。 1月と5月にフライングをしてしまった事で、3度目のフライングを阻止したいという気持ちがどこかにあり、そのせいで果敢なスタートをきれなかったのではないかとも思います。 まとめ 華々しいデビューを飾り、一時はフライングなどのスタート事故に泣かされたものの、それを乗り越えて復活した後藤翔之さんが次に目指すステップは何と言ってもG1、SGの初制覇でしょう。 近いうちにタイトル制覇、期待したいですね。 今後もボートレーサー後藤翔之さんから目が離せませんね。

次の

ボートレース|公営競技|ジャパンネット銀行

ボート レース ネット

ボートレース好き芸能人は意外と多い!? ボートレースの歴史は古く、1952年(昭和27年)に初開催されてから半世紀以上も日本国民の一部に愛されている公営競技です。 長らく日本独自の公営競技でしたが、2002年からお隣の韓国でも実際されるようになりました。 2010年から名称を「BORT RACE」とし、現在ではボートレースとも競艇ともどちらの意味でも通用しますね。 そしてこの古い歴史を持つ競艇には、芸能人にも多くのファンがいて生活の一部となっている方もいらっしゃいます。 ひと昔前の競艇は鉄火場のイメージで、ボートレース場にはガラの悪いおじさんしかいないと思われがちですが、最近は各会場の企業努力や艇会のイメージアップ戦略のおかげで、ファミリー層やカップルなどの来場も増加しています。 特にCMの効果などが大きいかもしれませんね。 渡辺直美さんのCMはかなりボートレースのイメージをアップしたと思います。 その影響があるのか、テレビ朝日系の人気バラエティ番組「アメトーク」ではボートレース芸人の特集をしたり、以前よりもテレビ番組などでボートレースの特集を見る機会も増えてきましたね。 また芸能人やタレントも競艇好きを公言しやすい環境にはなってきているので、競艇ファンを名乗り出る方も増えてきている現状です。 もちろん昔からボートレース好きを公言している筋金入りの競艇ファンの芸能人もいらっしゃいます。 今回は、ボートレースをこよなく愛するる芸能人(タレント・芸人)をご紹介していきます。 その芸能人の競艇との繋がりや、生涯の成績、レースの予想の仕方なども合わせてご紹介していきますのでご参照ください。 「蛭子能収」さん 芸能人のボートレース好きと聞いて多くの方が真っ先に思い浮かべるのが蛭子能収さんだと思います。 蛭子能収さんは、ギャンブル全般が好きで麻雀やパチンコや競馬も嗜まれていますが、自身が一番性に合ってるのがボートレースだそうです。 なんでもハタチのときに友人とボートレース発祥の地である大村競艇場にバスで行き、そこからボートレースにハマったのだそうです。 インタビューでは「人生を10としたら競艇の割合は8」という名言も残しています。 蛭子能収さんは、ボートレース好きを公言している芸能人ということで、競艇の仕事も非常に多いです。 ボートレース場のイベントに出演したり、TV番組でレースの予想をしたりと、自分の好きなことを仕事に活かした活動もしています。 さらに蛭子能収さんの名前が冠になった「 蛭子能収杯」というレースもあります。 これは大村競艇場で開催されているレディース戦です。 成績 本人曰く、蛭子能収さんのギャンブル全体の生涯の負けは1億円を超えており、今でも毎月30万円以上負け続けているそうです。 それでも借金はゼロという事なので、タレント業の稼ぎがかなり多いのでしょうね。 そしてギャンブルの愛好歴は50年以上で、一度も勝ち越した年はないそうです。 まさにギャンブルで負けるために働いているといった方ですね。 蛭子能収さんのがされるギャンブルの8割以上はボートレースとのことなので、ボートレースでの負け金は全てのギャンブルの中でも割合が高いと推測されます。 でも自分の稼いだお金で楽しんで負けているし、借金もゼロなので問題は何もないですよね。 「坂上忍」さん 坂上忍さんは2014年頃から芸能界で再ブレイクを果たし、フジテレビの昼で「バイキング」の冠番組を持つなど、今やテレビで見かけない日はないほどのタレントさんです。 そして実は、大のギャンブル好きとしても知られており、芸能界でも屈指のギャンブラーとして有名なタレントさんです。 そのギャンブルの中でも特にボートレースが大好きで、1年で稼いだ大半のお金を年末の競艇での勝負に全てつぎ込むのです。 そして負けることでお金がなくならないと、翌年の勤労意欲がわかないと本人は語っています。 また、もし大勝した場合には、しばらく休暇を取り南の島でのんびり過ごしてから、お金が無くなったらまた働くという、まさにギャンブラーにとっての理想的な生き方をされている方なのですね。 ボートレースのイベントやTV番組などでゲストとして出演することも多いです。 ちなみに、いつでもボートレースが出来るように財布の中には常に必ず50万円以上の現金を入れているそうです。 成績 坂上忍さんのボートレースの生涯成績は、本人曰くかなりの負け越しということです。 実際の金額は自分でも正確には把握されていないのでしょうけれど、様々なインタビューを見る限り1億円以上は確実に負け越しているようです。 宝くじの1等当選と同じくらいの金額を生涯で負けてしまっているようですね。 ボートレース好き芸能人一覧まとめ ボートレース好き芸能人の中でもトップクラスとも言える、 「蛭子能収さん」と 「坂上忍さん」をご紹介しましたので、その他の競艇好き芸能人をご紹介していきます。 アメトークに出演したボートレース大好き芸人 アメトークの競艇大好き芸人の回に出演していた芸人さんをご紹介します。 博多華丸• 千鳥大吾• ブラックマヨネーズ吉田• 平成ノブシコブシ徳井• グランジ佐藤• 怪獣すーなか ボートレース好き芸能人 そのほかの、競艇が大好きと言われている芸能人をご紹介します。 徳光和夫さん テレビ出演の本番直前までボートレース場で賭け続けて、最後には局への移動費用までも使ってしまって、時間ギリギリまで走って収録現場までたどり着いたという逸話を持っています。 堀内健さん(ネプチューン) ホリケンさんはボートレース平和島でたびたび目撃情報が出ています。 テレビ番組でも熱狂的な競艇ファンだと語ったこともある芸能人です。 江頭2:50さん テレビ番組の収録で競艇のレースに賭けて300円を45万円までに増やした伝説のエピソードがあります。 番組の企画で300円の投資金をもらい、2連単を4回転がして45万円の勝ちまで持って行ったという、なんとも強運なエピソードですね。 他にもボートレース好きな芸能人は下記の方たちがいます。 内山信二さん• 山本譲二さん• 立川談春さん• 鳥羽一郎さん• ますだおかだの増田さん• ハライチ岩井勇気さん• 白鳳(横綱) まとめ このページではボートレースが大好きな芸能人(タレント・芸人)を紹介してきました。 意外と多くの著名な芸能人の方たちが競艇好きを公言していることに驚きます。 今回ご紹介できた方たちは芸能界の競艇好きな中でもほんの一部の方だと思います。 まだまだボートレースが大好きな芸能人はたくさん存在しているでしょう。 芸能人の方も、ボートレース好きを公言することで競艇のイベントに呼ばれやすくなったり、アッキーナや渡辺直美さんのようにCM出演などの可能性も増えますからね。 今後はSNSを駆使し競艇好きという事を発信していってもらって、ボートレース界を明るく盛り上げていって欲しいものです。

次の