ミッシェル ポルナレフ 愛 の 休日。 愛の休日(1972):ミッシェル・ポルナレフ holidays by Michel Polnareff

ミシェル・ポルナレフの「愛の休日」で衝撃を受けたユーミンが身につけた視点と浮遊感|TAP the SONG|TAP the POP

ミッシェル ポルナレフ 愛 の 休日

70年代の曲で ミッシェル・ポルナレフ「愛の休日」の訳詞をお願いします ブログなどで訳してあるのでは意味がよくわかりません この曲は何を唄っているのですか 例) ホリデイ、おおホリデイ 空から降りて来るのは飛行機 そしてその翼の陰を ひとつの街が通り過ぎる 地面はなんて下のほうにあるんだ ホリデイ ホリデイ、おおホリデイ 教会や公団住宅 彼らが敬愛する神は何をしている? 宇宙にいる神は 地面はなんて下のほうにあるんだ ホリデイ ホリデイ、おおホリデイ 飛行機の影は海をとらえる 海はまるで 砂漠の前兆のようだ 海はなんて下のほうにあるんだ ホリデイ ホリデイ、おおホリデイ 広がる空といっぱいの雲 君の歳じゃ分からないだろうね 君は 人生が退屈なものだって 死が足下にあるって ホリデイ ホリデイ、おおホリデイ これは空に住んでいる飛行機さ だが忘れないで、とてもきれいな君 飛行機は壊れるものなんだよ そして地面は下にある ホリデイ 当時は、ベトナム戦争、中東戦争などの時代でした。 こうした時代背景の中、「愛の休日」を作詞したジャン=ルー・ジャバディの心に「戦争」が占めていても不思議ではありません。 また、詩は表面的な意味だけでなく、「シンボリックな表現」や「裏の意味」を含んでいることは、特に珍しいことではありません。 たとえば、日本の「和歌」などにおいても同様です…。 神は…沈黙を守り続ける。 それでも、人はなぜ祈るのか? そして確かなことだが、…この世界は、否応 いやおう なしに…「ただ過ぎて 行く」のだ。 そう…。 "あなた"とは無関係に。 だけど、この世というもの一寸先は闇…。 でも君の歳では、分からないだろうね。 この世に永遠なんてものは、無いんだよ。 そして、ひとたび戦争が起きてしまえば…。

次の

70年代の曲で ミッシェル・ポルナレフ「愛の休日」の訳詞をお願いし...

ミッシェル ポルナレフ 愛 の 休日

バックの演奏は、銀色のスーツを着て透明な楽器を用いる、珍しいおフランスの本格的な4人組ロック・グループ、 ディナスティ・クリジス(王朝の危機)。 お客さんの手拍子の中、静かにそして妖しく始まるオープニングナンバーは、美しくも哀しいバラッド「 ラース家の舞踏会」。 おフランスの作詞家ピエール・ドラノーエさんとポルナレフさんの共作詞、ポルナレフさんの作曲による1968年の唄。 明日の朝 首を吊ろう 僕の人生は お城には向いていない すべては 6月の今夜起った お祝があった この城で ラーズの城で ロンドンで 一番大きな舞踏会 A-2は、ファンキーな仏語トーキング・ナンバー「 愛の来訪者」。 夜だった 彼女が僕のところについた時 僕は目と歯だけ見ていた それは輝いていた 用心すべきだったろう 保険に入るべきだった 盗難と火事の A-3は、イントロなしで間髪を入れずに歌われる、とろけるように美しい「 渚の想い出」。 ジャトゥダナレーイ トゥリバットゥ トゥリズワズオットレソレイユ トゥトゥリブロウズ トゥートゥリショーツキペダレイ プティトフィールユルマリウーワ 君にあげよう すべての船 すべての島 すべての太陽 すべてのバラ 君を驚かすような すべてのものを A-4は、一転して激しいアップテンポのロックナンバー「 ジョブ」。 ジャバジャバジャバジャバふんふんふん。 A-5は、ロマンチックな「」。 ポルナレフさんの間奏のピアノがまたじつに美しい。 あの人の時には 庭に花が咲いていた 時が過ぎ ただその想い出だけが残っている そして君の手の中には 何もない A-6は待ってましたの「」。 子供は庭で遊んでいた 僕はその頭に 手をおいていた 鳥がいる 鳥はいない 君はその違いを知っているか それは哀しみ B-1は誰もが知っている大ヒットナンバー「」。 スタジオ版よりも幾分ハードな味付けで、後半にはちょっとしたお遊びが入って演奏時間も長めです。 イントロがどことなく「ハイウェイスター」みたい。 さあ 僕と一緒においで 僕の腕につかまって 君がいないと淋しくて仕方がないのさ 君の声が聞こえないと 君の姿が見えないと 駄目なんだ B-2もポルナレフさんを代表する大ヒット曲「」。 間奏の途中でディナスティ・クリジスのギタリスト、ジャック・メルシエールさんのリードギターの音があららーと大きく外れっぱなしになってしまいます。 ホリデーズ オー ホリデーズ それは空からおりてくる飛行機 その翼の影の下を 町が通りすぎる なんて地上は低いのだろう ホリデーズ B-3は、ポルナレフさんお得意のトランペットの口真似擬音で聴かせる「 トランペット」。 まずは初期の傑作「」。 スタジオ版では他の誰かさんがあの華麗なピアノを弾いていたらしいですが、ホントでしょうかね。 ノリノリです。 B-6は最後にもういっちょロックンロール!リトル・リチャードさんの「 ジェニ・ジェニ」。 またもや通訳の人登場。 「こんなに、気分がいいことは今までありませんでした。 どうもありがとう!こんな、えーこれ・・(聞き取れず)を使いすぎて音が非常に悪くなって申しわけないですが、とにかく彼はノってやめたくないそうです。 (アベックゥ! アベックゥ!)みんなと一緒に! みんなと一緒に!」 ECPA-11 CBS・ソニーレコード 400円 A面 愛のコレクション B面 神父さまの結婚式 1972年の5月に発売されたさんのシングル盤「 愛のコレクション」です。 原題は「Qui A Tue Grand' Maman」。 イントロの トントテト トントテトいう物悲しいピアノからしていいですね。 じつにじつに美しい。 さぁ、いつものようにレコードに合わせて、ポルナレフさんと一緒に インチキおフランス語で、好き勝手にちょっとだけ歌ってみましょう。 あちこちで曲を差し替えてあるNHK版よりも、オリジナル版のほうが各々の場面に音楽がしっくり合っていて良かったかなぁ、と(まぁ、そのように選曲してあるのですから、これはあたり前田のクラッカー、ですわね)。 喫茶店でメリー・ホプキンさんの「」がかかっていたり、スキー場でビートルズの「I Will」のインストが聴こえてきたりするのもgoodでしたが、なかでも一番ピッタリしっくりしていたのが、雪のシーンで何度も何度も流れていた、冬のソナタのテーマ曲ともいうべき美しい「 白い恋人たち」でした。 HIT-1554 キングレコード 400円 A面 白い恋人たち(オーケストラ) B面 白い恋人たち(コーラス) EPIC 83023 CBS・ソニーレコード 400円 A面 哀しみの終わるとき B面 カトリーヌの追想 ラ プティトゥベート ジュエット オジャルダーン エジャベザテートッコ デママーン アノワズドゥ プリュ〜ス アノワズドゥ ノワ〜ル トゥ サラディフェゴン セ ラシャルガ〜ン 1972年の2月に発売されたさんのシングル盤「 哀しみの終わるとき」です。 おフランスを代表する大女優カトリーヌ・ドヌーヴさん主演の同名映画のサントラ盤で、最初は映画音楽の巨匠フランシス・レイさんが担当される予定でしたが、急遽ポルナレフさんに変更になったそうです。 原題は「Ca N'arrive Qu'aux Autres」。 演奏時間1分44秒の小品ですが、ポルナレフさんの素晴らしさが凝縮された、はかなくも美しいメロディーを持った名曲中の名曲。 この「哀しみの終わるとき」は、流浪の深夜番組タモリ倶楽部のお楽しみミニコーナー、日本を代表する美人女優中村れい子さん共演による 甘酸っぱいものがこみ上げてくる連続ドラマ『愛のさざなみ』の主題歌としても使われておりました。 あぁ、あなたは波子さん! あぁ、ヨシカズさん! ECPB255 CBS・ソニー 500円 A面 愛の伝説 I LOVE YOU BECAUSE(4分20秒) B面 ロージーからの手紙 ROSY(1分55秒) 一種異様な感じがパワーアップしたポルナレフさんです。 空手で鍛えたという、「燃えよドラゴン」の ブルース・リーのようなグっと締まった自慢の筋肉を誇らしげに披露しておられます。 「 愛の伝説」は73年10月に発売されました。 一連の「愛」シリーズ同様のロマンチックな曲なのですが、ポルナレフさんにしては、やや凡庸な出来で、オリコンの最高位は27位止まり。 レコード売上げは10万枚弱とまあまあの中ヒットでしたが、この曲以降ポルナレフさんの人気は下降線を辿り続けます。 同じ年の12月、日本のあちこちで青少年が アチョー アチョーと奇声を発しながら跳びまわる、奇妙な現象がおこり始めました。 ヌンチャクと呼ばれる、長さ30センチ程の2本の棒を紐で繋いだものを(ほとんどが自作の、ヌンチャクらしきもの或いは、それっぽいものであったと推測されます)振り回して、物を壊したり自分の頭にぶつけて軽いケガをしたりする おっちょこちょいも多数いたようです。 ECPA47 CBS・ソニー 400円 A面 愛の休日 HPLIDAYS(3分20秒) B面 愛の物語 NOS, MOTS D'AMOUR(3分15秒) This is ポルナレフさん、です。 おもちゃのようなサングラスにプードルのような頭、同時期のT・レックスやデビッド・ボウイなどのグラムロックに対抗したのでしょうか、見た目では充分勝ってます、たぶん。 「 愛の休日」は当時のキャッチコピー 「ロックとロマンの出逢い」にふさわしい、とてもロマンチックな曲です。 オリコンチャートの最高位は6位、26万枚の売り上げと「」と並ぶ大ヒットを記録し、ポルナレフさんの代名詞となりました。 B面の「 愛の物語」も、ポルナレフさんならではの素敵なメロディと甘い歌声が聞けます。 こういったロマンチックなムードの曲には、 やたらと「愛のなんとか」といった邦題がつけられていますが、ちょっと前に流行した「冬のソナタ」のオリジナル版には、「白い恋人たち」や「ダンシング・クィーン」などと一緒に、ポルナレフさんの「 愛のコレクション」が(インストですが)、チュンサンのお母さんの「カン・ミヒのテーマ」として効果的に使われておりました。 ホリデイズ オォ ホリデイズ セラビョ〜ン キド ソンデシェ〜ル EPIC 83012 CBS・ソニー 400円 A面 愛の願い LOVE ME, PLEASE LOVE ME(4分20秒) B面 君の幸福と僕の悔恨 MES REGRETS(3分30秒) 横顔でよくわからんのが残念ですが、サングラスをかけてピアノを弾きながら歌っているポルナレフさんの姿はレイ・チャールズ風でかっこいいです。 「 愛の願い」は 華麗なピアノ演奏で始まる、とてもとても美しい曲です。 5才の時からピアノを習い始め、クラシックの登竜門であるところのパリのコンセルバトワール(パリ音楽院)でピアノとソルフェージュを学び、12才の時にはソルフェージュで優勝したといわれるポルナレフさん自身が弾いているものだとばかり思っていましたが、どういうわけか、ここでのピアノは誰か他のひとの演奏ということです。 ポルナレフさんの初期の代表曲ともいえるこの「愛の願い」ですが、おかしなことにオリコンチャートでの最高位は80位、売り上げも約1万枚程度と日本ではあまりヒットしませんでした。 ポークワ〜ブゥマケ ブーシャカジュール ダムンポワ バムール EPIC 83004 CBS・ソニー 400円 A面 シェリーに口づけ TOUT,TOUT POUR MA CHERIE(2分52秒) B面 初めての愛 HISTOIRE DE COEUR(2分47秒) イラストですがポルナレフさん サングラスかけてます。 が、まださほど変な感じではありません。 軽快で覚えやすいメロディを持ったこの「 シェリーに口づけ」は、オリコンチャートでの最高位が6位、30万枚を越える大ヒットを記録しました。 スピード感溢れる軽快なコーラスと、甘いポルナレフさんの歌声。 間奏のシンプルなオルガンも良いですね。 B面の「 初めての恋」はブルージーな曲調のアコースティック・ナンバー、ちょっと小粋なポルナレフさんです。 トワ ヴィアザヴェク モア エ パントワ アモン ブラ EP1130 おフランス ディスクAZ 1967年 A 1. AME CALINE(バラ色の心) 2. FAT MADAME(ファット・マダム) B 1. LE ROI DES FOURMIS(僕は蟻の王様 )2. LE SAULE PLEUREUR(男は涙を流さない) ここでもまだポルナレフさんはサングラスなしです。 ジャケット写真というものはたいてい 選挙のポスターのようなとってつけたようなこっちを向いて ニタニタニッコリした笑顔のものが使われますが、このポルナレフさんは何か思いつめたような思慮深い顔つきで、視線もこっちを向いておりませんね。 ヨガのようなポーズも何か意味があるような、ないような、ですがどこか知性的であります。 「 バラ色の心」は、とてもとてもきれいなメロディの素敵な曲です。 ヨーデルのようなポルナレフさんの歌声が気持ちいいですね。 68年には レーモン・ルフェーブル・オーケストラがこの「バラ色の心」を演奏してアメリカで大ヒット、キャッシュ・ボックス誌のトップ100に3ヶ月間ランクインさせました。 「 ファット・マダム」では、ポルナレフさんお得意の トランペットの物まねをチラっと聴くことが出来ます。 アム キャレイ〜 シュシュ キャーリボ トゥレジュ〜ル EP1024 おフランス ディスクAZ 1966年 A 1. LA POUPEE QUI FAIT NON(ノンノン人形) 2. CHERE VERONIQUE(僕のベロニック) B 1. BEATNIK(ビートニク) 2. BALLADE POUR TOI(恋人に捧ぐバラッド) ミッシェル・ポルナレフといえば、あの へんてこりんな サングラスとモサモサ頭の独特の風貌で一世を風靡しましたね。 このレコードのポルナレフさんは、まだサングラスをかけていなくて、髪型もオーソドックスな好青年という感じです。 デビュー曲の「 ノンノン人形」は、ジミー・ペイジさんがセッション・マンとしてレコーディングに参加しているらしいですが、あまりパっとしません。 A面2曲めの「 僕のベロニック」は、まるっとバディ・ホリーですが、これがじつに楽しいのです。 びよ〜んと鳴るギターや変わった音色のピアノも面白いです。 かっこいいです。

次の

フレンチポップスの雄、奇才ミッシェル・ポルナレフが放った新たなスタンダード

ミッシェル ポルナレフ 愛 の 休日

父親はレオ・ポルという変名で、エディット・ピアフやイヴ・モンタンにも曲を書いていたロシア出身の音楽家だった。 ミッシェルは幼少期からピアノやソルフェージュでアカデミックな音楽教育を受け、コンセルバトワール(パリ音楽院)に通 うがクラスでも1番の成績を修めていた。 しかし、その後エルヴィス・プレスリーを知りクラシック音楽への情熱を次第に失っていく。 そして20才で7ヶ月の兵役を勤めたのち保険会社にいったん就職する。 クラシック音楽の道への復帰を強要する両親との仲が悪化し、ついにギターを手に家出を決行。 ヨーロッパへの放浪のすえパリに戻り、有名な音楽出版業者ロルク・マルボに出会いレコード・デビューにいたる。 いきなり数週間で15万枚を超える大ヒットとなる。 6月には2枚目となるEP「愛の願い」をリリースするがこれまた大ヒットを記録。 すぐさまヨーロッパ各国や日本(10月にテイチクよりシングル「ノンノン人形」が発売)でもリリースが決定し、11月には本国でファースト・アルバムを発表するに至り、一躍スターダムにのぼりつめる。 1967年から1971年にかけても、シングル数枚と2枚のオリジナル・アルバムをリリースし、「渚の思い出」「想い出のシンフォニー」など大ヒットを連発した。 日本各局のラジオ・チャートでトップに入り、40万枚を売り上げる大ヒット・シングルとなった。 1972年になり、フランスでは、発売されたシングル「愛の休日」が大ヒット。 この年の10月オランピア劇場でのコンサート「ポルナレボリューション(ポルナレフ革命)」が開催されたが、公演に先立って、ポルナレフ自身の裸のお尻を露出したポスターが貼り出され、大きなセンセーションを巻き起こした。 19日に郵便貯金ホール、20日に新宿厚生年金ホールにて初の来日コンサートを実施。 大掛かりな照明装置を駆使し、聴覚だけでなく視覚をも十分に刺激するその派手なステージの演出に、会場は興奮のるつぼと化した。 以後、1979年まで計4回の来日コンサート・ツアーが行われることに。 3週間にわたる最終ステージで、フランスとの訣別宣言をする。 その後、ニューアルバムの完成を経て、本格的なアメリカ・デビューを目指してロサンジェルスへ移住。 その間、2度目の来日公演を成功させ、日本では11月にアルバム「ポルナレフ革命」(本国フランスでは翌年「POLNAREVE」としてリリース)が発売になった。 80年代に入ってからはふっつり音沙汰がなくなり、いくつか発表されたアルバムも大きな話題になることはなかった。 90年代に入って、1995年にアメリカでライブアルバムのレコーディングのために、ハリウッドのナイトクラブ「ROXY」でコンサートを行う。 1996年には、そのライブアルバム発売前に2時間を超える特集番組「ミッシェル・ポルナレフを探して」が放映されもした。 1999年には、パルプ、セント・エティエンヌ、リリキューブ、日本からもピチカート・ファイウが参加したトリビュート盤がリリース(日本盤は東芝EMIより)。

次の