第 二 次 世界 大戦 原因 短く。 第2次世界大戦が起きた理由を短く簡単にまとめて欲しいです。

太平洋戦争の原因~石油でも満州国でもなく~

第 二 次 世界 大戦 原因 短く

以前、について解説したね。 1920年代のアメリカで経済が絶好調でさ、戦争のおかげで輸出は増えるわ、その後も移民のおかげで消費は増えるわで絶好調だったの。 私はアメリカの大学で経済の授業を専攻した時にアメリカの証券法に関して勉強した事があるんだけど、 世界恐慌の前1926年~29年頃って、企業はどんどん投資家からお金集めまくって、そりゃもうめちゃくちゃだったらしいね。 知り合いの社長がこんな会社やる!って言ったら、みんなでお金集めちゃうみたいな感じでさ。 だからその後、証券法は非常に厳しくなったんだって。 今回は世界恐慌の後のお話。 ブロック経済についてお話するよ。 それで、とにかく輸出ができない!他の国が買ってくれないから。 そうだ!通貨の価値を切り下げよう! と各国は考えて、通貨の切り下げを連発するようになるのね。 いわゆる通貨安戦争ってやつで、自国の通貨を安くしちゃえば輸出が有利になるからさ。 でも各国が自国の通貨の切り下げをやるもんだから、余計に貿易に混乱を招いてしまったんだよね。 そこで、 そうだ!特定の国とだけ貿易しよう! と始まったのがブロック経済なんだ。 どの国も自国の通貨をコントロールして有利なように行動し始めちゃったから、 貿易する国をブロックして特定の国に良い関税の条件を与えて、他の国はめちゃくちゃ高い関税かけて貿易しないようにしてさ。 例えば、イギリスなんかは1931年に大英帝国って名前からイギリス連邦に名前変えちゃって、 自分の植民地と特定の国だけ貿易をするように約束したんだよ。 もちろん貿易の決済通貨はポンド。 そのブロック経済圏ではポンドしか使われないから 通貨安戦争から一歩距離を置いて貿易する事ができるよね。 ポンドブロック!ってわけさ。 アメリカはアメリカ大陸でドルしか使わないようにしてドル経済圏を作ったよ。 ドルブロック!ってわけさ。 ブロック経済が第二次世界大戦の原因? ブロック経済政策によって1929~1933年の4年間で世界貿易の取引量は7割も減ってしまったんだ。 そしてブロック経済政策を知れば、 「植民地持ってる国しかできないじゃん??」 って思うよね。 そーゆーことさ。 イギリス、アメリカ、フランスみたいにアジア、アフリカ、南米に植民地を持っている国はブロック経済圏を作る事ができたけど、 ドイツ、日本、イタリアのようないわゆる「持たざる国」にとっては 「お前ら、ずりーよ!俺らも植民地欲しいよ!!」 って事で、近隣諸国に攻め入る形になっていくんだ。 世界恐慌のせいで失業者をたくさん出して、軍部の支配力が強まっていった背景で 植民地獲得に向けて、日本は満州、ドイツは東ヨーロッパに侵攻していったわけなのさ。 正義の反対は悪ではなくて、また別の正義って言葉がよく合うよね。 アメリカが行ったニューディール政策について詳しく知りたい人は、『』の記事を読んでね。

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【第二次世界大戦とは】簡単にわかりやすく解説!!開戦の原因や死者数【まとめ】

第 二 次 世界 大戦 原因 短く

1914年から1918年まで続いた第一次世界大戦は、ドイツ・オーストラリアを中心とした同盟国とイギリス・ロシア・フランスの三国協商の対立を背景に起こった、まさに総力戦ともいえる人類史上初の世界大戦です。 このことによって、兵力以上に技術による戦力の増強、国家総動員が戦争の勝利の要因になり、軍人のみだった戦争の影響が国民にまで拡大していきました。 7000万人以上が参戦し、軍人900万人以上と軍人以外では700万人以上が死亡した、死亡者数の多い戦争の1つです。 アメリカの参戦により連合国側の勝利で終わった第一次世界大戦後、わずか21年後の1939年には第二次世界大戦が勃発してしまいます。 19世紀になると、ヨーロッパ諸国では産業が発達したことで生産過剰状態が続き、世界同時不況という状況に陥ります。 生産品が自国の中では売り切れなくなるのです。 そこで、各国はこの不況から脱却すべく、そして市場を増やすべく、植民地支配に力を入れ出します。 多くの国がヨーロッパの列強国の植民地などにされ、特にアフリカや東南アジアはメインターゲットでした。 当時のアフリカは、エチオピアとリベリア以外の全土が植民地とされてしまうほど。 この植民地確保は多くの紛争を生み、さまざまな対立が生まれました。 フランスを牽制するためにドイツは 三国同盟としてオーストリアとイタリアと結び、対してイギリスはフランスとロシアと協商を結びます。 イギリスはこの協商によって、ドイツを包囲することができました。 こうなると、各国が意識し合ったバチバチの状態です。 また、イタリアはドイツがベルギーに侵攻したタイミングで動くと宣言していました。 そんななか、第一時世界大戦の直接的な原因となったサラエボ事件がおこります。 オーストリアのハンガリー帝国の皇太子夫妻が反オーストリア運動結社「黒い手」の1人であったセルビア人によって暗殺されるという事件です。 この事件が引き金でした。 オーストリアはセルビアに対して宣戦布告をし、対してセルビアの後ろ盾であったロシアが総動員令を出しました。 サラエボ事件によって、ヨーロッパ戦争がはじまり、その後は日本、そしてアメリカも参戦するという、世界規模の戦争へと発展していきました。 サラエボ事件について詳しく知りたい方はコチラ。 第一次世界大戦での日本の動き 第一次世界大戦は同盟国と連合国との戦争だったのに、遠く離れた日本がどうして参戦したのでしょうか。 それは1902年に結んだ日米同盟と、中華民国での勢力の拡大を狙っていた日本にとって舞い込んできたチャンスであったことにつながります。 だからこそ、第一次世界大戦はイギリスが参戦している時点で、日本は参戦しなければならなかったのです。 ちなみに、この同盟は日露戦争でも適用されていて、イギリスは中立の立場をとっていました。 そこで、日本がまず宣戦布告した国はドイツ帝国です。 名目はもちろん、同盟国であるイギリスと対峙しているドイツの基地を攻撃することです。 そこで、ドイツの租借地であり、ドイツの海軍基地があった山東半島を占領しました。 さらに中華民国に対して日本は「ドイツから奪った山東半島の権利は日本が引き継ぐこと」などを求める二十一か条の要求をつきつけました。 要求とありますが、実際は中華民国側から「要求」をやむなく調印したという形で受けたいとの打診があったそうです。 国内や国外への顔のために必要だったのでしょう。 袁世凱が受け入れたこの条約は、実はこのときの条件の多くは孫文が二十一か条の要求の交渉中に日本に宛てた日中盟約案での内容とほぼ一致しており、必ずしも中国側が嫌々受けるほどの内容ではありませんでした。 むしろ、外交交渉では中華民国側が有利に交渉をすすめたほどです。 そして、袁世凱の死後に国務総理となった段祺瑞(だんきずい)は西原借款などの日本からの財政支援を受けながら、第一次世界大戦に参戦することを決めたのです。 一方で、国民感情としては対日ボイコット運動や排日運動が起こり、親日派批判が起こったのですから、第一次世界大戦は日中関係が悪くなる大きなきっかけとなったともいえるでしょう。 第一次世界大戦の始まりから終わりまで 本書では外交や政治、経済や文化、社会、軍事にわたるまで様々な視点を6つのテーマに分けて日本の変化をわかりやすくまとめています。 戦後の好景気も、船成金も、女性の進出も、日本の民主主義の発展も、皮肉にも戦争に与えられたものであり、戦争によって成長した日本の姿とともに、その後の太平洋戦争までの日本の歩みを知ることができます。 教科書に作り上げられた固定概念にこだわらず、深く日本の原点に迫りたいという人におすすめです。 第一次世界大戦は史上初の世界規模での大戦であり、戦争の人的・経済被害があまりにも大きかったことで平和主義、集団安全保障という考え方が生まれました。 この考え方は現在の国際秩序の形成する発端となったといわれています。 また、このころから各地の植民地で独立運動が盛んになり始めました。 第一次世界大戦の影響は諸方におよんだのです。 過去を学び、未来に生かすことこそが後世の人間の使命です。 すでに終わった戦争なのだと忘れ去るのではなく、今回紹介した3冊を読んで、奇しくも平和主義思想を生んだ第一次世界大戦という事実とゆっくりと向き合ってみませんか。

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太平洋戦争の原因~石油でも満州国でもなく~

第 二 次 世界 大戦 原因 短く

视频播放位置 「銀の銃弾」と呼ばれるA6M 米空軍専門誌「Airpower Journal」の12月号によると、第二次世界大戦前、日本は世界でもトップレベルの戦闘機を所有していると言われていた。 その名も「Silver Bullet(銀の銃弾)」である。 しかし、日本軍は第二次大戦中の空軍戦略において愚かな間違いを犯し、米国が太平洋戦争で勝利を勝ち取るために手を貸してしまったのだ。 日本が犯した間違いは今となっては、一つの教訓として空軍に警告を与えている。 愚かなミスその1 優秀な戦闘機を少数使用すれば勝利を収める事ができると思った トップレベルの戦闘機とトップレベルのパイロットは、日本の指導者たちを大きな過ちに陥れた。 優秀なパイロットが操縦する戦闘機があれば、少ない数でも大規模な戦争に勝てると過信させたのだ。 第二次大戦前、海外の優秀な技術を取り入れ、日本はオリジナルの飛行機を製造した。 日本の技術者たちは1911年から1936年のたった20年ほどの間に、日本の航空機製造業を大きく前進させた。 双翼の飛行機しか作れなかった日本は世界トップレベルの戦闘機を製造できるまでに成長したのだ。 第二次大戦初期において、日本が有利な戦闘を展開できた要因はパイロットを訓練する質が高かったからでもある。 加えて、彼らの作戦には同じように良く訓練された陸軍部隊の応援があった。 日本のパイロットは「武士道」精神に基づいた過酷な訓練によって生まれたのだ。 しかし、日本軍は2つの大きなミスを犯した。 まずは、日本軍のトップが中国を征服できると信じて疑わなかった事である。 日本の戦闘機は空において絶大な覇権を握っており、陸軍の爆撃機も長距離の飛行が可能で、無防備な中国の都市を爆撃するには十分だと思ったのだ。 そして、1941年後半に大きな賭けに出てしまった事も間違いだった。 海軍は空中戦において、驚異的な攻撃力で米国の海軍と空軍を壊滅に追い込む事ができると思っていた。 最終的には米国を第二次大戦から完全に撤退させることができるとさえ目論んでいたのである。 皮肉なことに、日本軍のトップは自国が優れた最新鋭の戦闘機を持っているという理由だけで、このような作戦に出たのである。 新型の戦闘機を使用することで、大日本帝国は自国の海軍の空中での戦闘威力は無敵だと思っていた。 このような過信と傲慢は軍の視野を極端に狭め、相手側の真の力がどの程度かなどという事までは考えようともしなかったのだ。 そのようにして作戦はことごとく失敗に終わり、日本は大きな被害を被ったのである。 愚かなミスその2.

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