檜原 村 そば。 観光協会会員一覧

瀬戸沢の一軒屋 そば処 みちこ(閉店)@東京・檜原村が『ポツンと一軒家』で紹介

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檜原村の中心部からほど近い、本宿(もとしゅく)地区の払沢(ほっさわ)の滝を訪ねました。 檜原村は、東京都の西に位置し、島嶼部(とうしょぶ)以外では唯一の村です。 森林が93%を占め、耳を澄ませば小鳥のさえずりや小川のせせらぎが聞こえる自然豊かな広大な村です。 払沢の滝に向かう遊歩道では、タマアジサイやツユクサなど山野草を見ることができ、地元では水道水として利用している沢の水に触れられる場所もあります。 渓流沿いの遊歩道に入って約10分歩くと、日本の滝百選に選定される払沢の滝です。 間近で見られる滝つぼは、より迫力を感じることが出来ます。 さらに上流には、尾根伝いに山梨県へ進む甲州古道があります。 昔は甲州街道の裏街道として利用されていた道です。 古道沿いにある江戸時代に建てられた家で蕎麦店を営む「峠の茶屋 そば処みちこ」に立ち寄り、一番人気の手打ちそばをいただきました。 屋根の形が兜(かぶと)に似ている兜造りと呼ばれる家屋が今も残る、檜原村の数馬地区を訪ねました。 その子孫が営むのが古民家の宿「山城」です。 建物は、国の登録有形文化財になっています。 作家の吉川英治ら著名人も宿泊した宿では、ランチも味わえます。 建物の中には神殿があり、中村数馬の武運長久を祈って九頭竜大神(くずりゅうのおおかみ)を祭ってありました。 九頭竜大神はやがて村の守り神となり数馬一帯で信仰を集めているそうです。 九頭竜神社で行われる「数馬の獅子舞」や「数馬の太神楽(だいかぐら)」は、東京都の無形文化財に指定されています。 檜原村の藤倉地区にある山岳民家の小林家住宅を訪ねました。 小林家住宅に行くには、檜原村教育委員会が管理しているモノレールに乗ります。 モノレールは、時速5kmで標高750mまで一気に上り、約15分で到着します。 山岳民家は、江戸時代に山で木を切り、山の上で炭作りをするために作られた作業場を兼ねた住宅で、林業が盛んなこの地には数多くあったそうです。 入母屋造の小林家住宅は、江戸時代中期に建てられたもので、国の重要文化財に指定されています。 建物は無料で一般公開されています。 奥出居(オクデイ)という部屋は、役人が泊まる部屋で畳が敷かれ天井もあります。 また商品の炭を馬の背に乗せて町に売りに行ったため、馬小屋もありました。

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深山 (檜原村) 最新のレストランの口コミ(2020年)

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日本の滝百選の一つ、払沢の滝の駐車場を過ぎると、道は一気につづら折りになります。 数軒ある時坂の集落を通り抜け、林道を上がりきると視界が急に開けます。 向こうの山肌に見えるのは湯久保の集落。 そこから少し下り、深い森の中に一軒、ひっそりと佇む古い家屋が「そば処みちこ」です。 鳥のさえずりと水車の音が響く静かな場所ですが、週末になると大勢の人がそばを食べに訪れます。 お邪魔した日、手打ち二八そば(1000円)と石臼ひきそば(800円)は既に売り切れで、山芋そば(600円)に天ぷらを付けてもらいました(+200円)。 店を切り盛りする濱田美知子さん(66)とご主人が日の出町の自宅で打ったそばを、薪で焚いた店のかまどで茹でています。 天ぷらはその時期に収穫できるもので、この日はワサビの葉や山ウド、カンゾウの花。 シロウトには分かりません。 美知子さんが店に上がってくる途中で見つけた山菜などもあり、日によっていつも違います。 そばは喉越しが良くて、スルスルっと進みます。 サクサクした天ぷら塩でいただくのがおすすめです。 季節の小鉢2品もついています。 日を変えて、美知子さんと、美知子さんの母の弟であるこの家の14代目、髙橋季博(すえひろ)さん(85)にお話を聞きました。 ここは瀬戸沢(せどざわ)といい、以前から髙橋家一軒のみがあったそうです。 この家は、村の東西を貫く浅間(せんげん)尾根が村人の生活道路だったこの地域の歴史に大きく関わっているのです。 森のなかに佇む古い家屋 檜原村では、今は北と南の秋川沿いに舗装道路が通っていますが、昭和初期までは、アップダウンの少ない尾根伝いを人が通り物を運び、炭焼きの盛んだった頃には、焼いた炭を背に積んだ馬が五日市方面へ向かっていたそうです。 尾根道沿いに位置する瀬戸沢の髙橋家は馬方や馬の休憩所となり、物資の取次所として仲買人なども出入りし、賑わったとのこと。 三頭山一帯にあった幕府直営の山林の巡検に来たお代官様一行も瀬戸沢で休憩したと伝えられています。 尾根から見える山向こうの湯久保集落 1649年には木炭の中継所・炭問屋として、1756年には雑貨問屋としても幕府に認められました。 以後3世紀の時をへて、1929年(昭和4年)生まれの季博さんが幼い頃、家の前に馬をつなぎ、馬方たちが馬方専用の囲炉裏を囲んで温まりながら休憩していたのを覚えています。 今は静かなこの場所も、かつては人馬が行き交った賑やかな場所だったのです。 この家を巡る歴史は、入ったところに貼られた横長の板にも書かれています。 季博さんを含む8人のきょうだいはこの家で育ち、山を下ったところにある小沢の学校に通いました。 行きは50分ほど、帰りは1時間半はかかったそうです。 季博さんのころは尋常小学校で、同級生は50人ほど(2014年度の檜原小学校の児童数は、全校合わせて60人です)。 小沢には祖父母の家があり、下校中に荷物を置いて近くの川で山女魚を捕まえるなど、夢中に遊び続けていました。 気がつくと空は真っ暗になっていて、祖父に「いつまで遊んでるんだ!」と怒られたことも。 瀬戸沢の家の周りには畑のほか、田んぼが3枚棚田状にあり、家の前の水車で精米もしていました。 父の金季(かねとし)さんは山仕事と畑仕事。 ほぼ自給自足でした。 季博さんは登校前に父の炭焼きや焼いた炭を運ぶ仕事を手伝っていたそうです。 美知子さんは村内の神戸(かのと)で生まれ、小沢で育ちました。 母の生家である瀬戸沢に時々遊びに来ると、祖母が大きな瓶に入った甘酒を「飲むか」と言って振る舞ってくれました。 おやつなどは手に入りにくかった当時のこと、「きっと、孫が来たから甘いものをとすすめてくれたんだろうな」と振り返ります。 梅干しや野菜の漬け物が入っていた樽が、自分の背丈を超えるほど大きかったことを思い出します。 暖房などなかった当時は、囲炉裏の四隅に靴ごと足を入れて体を温めました。 金季さんからは、囲炉裏の灰に火箸で字を書いて漢字を教えてもらったこともありました。 その金季さんは、周囲から「仙人」や「翁(おきな)」と呼ばれ、子ども達は次々に山を下りましたが、「ここで過ごすのが一番」と1990年に88歳で亡くなるまでこの家で一人で暮らしました。 電気も電話もテレビもなく、明かりはランプ。 ラジオの音だけが鳴っていたそうです。 当時使われていたランプ その後10年ほどは空き家でしたが、「このままだと廃れるばかり」と季博さんが美知子さんにそば屋の開業を薦めました。 美知子さんはもともと調理師で、給食センターや飲食店、老人ホームなどの厨房に長く勤務していたのです。 高校進学と同時に村を離れた美知子さんにとって、檜原村は楽しい思い出の詰まった場所。 しょっちゅう遊びにきていましたが、「いつも恋しかった」ので引き受けることに。 とはいえ、古い家屋でそば屋を始めるとなると大がかりな準備が必要です。 電気や水道を引き、畳を入れ替え、一家総出で大掃除。 厨房を新設し冷蔵庫を置いて、2000年春、「そば処みちこ」が開店しました。 美知子さんは52歳でした。 キレイになった店内 営業は、春から秋までの土曜日曜祝日のみ。 「空気もいいし、水も冷たいからキュッとしまる」そうです。 以来14年が過ぎました。 来客は全国各地から訪れ、新緑や紅葉の季節には開店前から行列ができます。 繰り返し来てくれる人も多く、「お客さんが色んなことを教えてくれる。 勉強になるし、楽しい」 定年退職した夫も近くのそば打ち道場に通ってそば打ちの技術を身につけ、今では一緒に店を切り盛りしています。 建物は築400年以上と伝えられるだけあって、その維持管理は容易ではありません。 屋根はトタンをかぶせていますが、風の強い日などは屋根裏の茅(かや)が部屋に落ちてくるので掃き掃除は欠かせません。 茅の中の虫除けのため、真夏でも定期的に囲炉裏に火を入れて茅を燻します。 趣きのある囲炉裏 毎年3月半ばを過ぎ、お彼岸を控えてぼた餅を作るころ、開店準備のために山に向かいます。 まだ雪の残る瀬戸沢の周りで、かまどの火をおこすのに使う1シーズン分の杉の葉を拾い集めるのが最初の作業です。 かまどに火を入れるみちこさん 夏が終わると、「悲しくなるほど一気に」秋がやってきます。 お昼を終えて一息つくとあっという間に真っ暗になり、向こうの山から鳥や虫の悲しい声が響きます。 「外灯のない道を帰るのは心細い」そうです。 この場所じゃなければ、しなくてもいい苦労もたくさんあります。 それでも美知子さんは「空気も水も美味しくて、のびのびとしていられる。 日の出町の家にいても『山に行きたい』と思うし、瀬戸沢に上がってくるたびに『わー、山に戻ってきた』と思う。 やっぱりここにいるのが好き」と言います。 落ち着く縁側 5月に67歳になった美知子さん。 70歳になったら区切りをつけ、店の仕事は誰かに譲りたいと思っています。 「ここでそばを出すのもあと数年かもしれない。 大変だけれど楽しいこともたくさん体験させてもらえた。

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「森の中に佇む週末そば屋さん 築400年超「そば処みちこ」」

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今回は10月28日放送の ポツンと一軒家 を振り返ってみます。 衛星写真を拡大すると見えてくる、 山奥にポツンと建つ一軒家に スポットを当てる番組で今回は 東京都の檜原村の立派な ポツンと一軒家。 赤い四角い屋根で 道路は確認できる 場所にある。 Sponsored Links 地元の住人を探し情報を聞いてみると、 現在地から山奥の ポツンと一軒家まで 繋がる道がないそうで西へ大回りしないと 辿り着けないとわかる。 そこには、 そば処 ミチコっていう おそば屋さんがあり、今年の5月は まだやってたからやってると思う という話を聞いた。 そして3km離れた隣の集落にある 山の登り口まで移動する事に。 隣の集落に着き、再度聞き込みすると やはり、 おそば屋さんに間違いない様子。 また、聞き込みに協力してくれた人の 近所に おそば屋さんの 親戚がいるとの事で 案内してもらい、話を聞いてみると 一軒家の主は ミチコさんである事がわかり、 道に草が生い茂っている所もあると教えてもらう。 教えて貰ったルートを進むと、道幅の狭い 急斜面の山道が続いた後、山道の途中で 古民家を発見した。 古民家の住人に ポツンと一軒家の 情報を聞いてみると、さらに 山奥にあるこの辺りで 一番古い家だと教わる。 そんな話を伺っていると、 奥の方から、見覚えのある 麓で道を聞いた方が地元の ガイドブックを持って 追っかけて来てくれて 分かんなきゃ後ついて来い と、 お父さんが現地まで 案内してくれることになった。 Sponsored Links 険しい山道、景色に見とれていると 先導車を見失い、そのまま山道を 登っていく。 道幅が徐々に狭くなっていき、 車幅ギリギリの崖っぷちの山道に 高さ15cmほどの低い縁石がある だけの道が続く。 ゆっくり慎重に進み通過するも、 また縁石のない道が現れたが 無事通過。 お父さんの車を見失い、危険な山道を 走行して約10分すると、峠の茶と描かれた 看板と家、 お父さんの姿も発見。 ポツンと一軒家に辿り着いた! そこには、 お父さんの他に 数名の人が居た。 だが、そこは営業している 気配がなく、探していた 衛星写真の屋根の形と 明らかに違うことが判明。 そこにいた他の人にも 話を聞いてみると、 現在地は元々、 うどん屋さんを やっていた所だった。 衛星写真を確認してみると ポツンと一軒家のすぐ手前に、 もう一軒建物があり、その建物は うどん屋さんなのですぐ近くに 目指す一軒家があるはずという 結論になり、急な坂を下って いくと家を発見。 ポツンと一軒家に辿り着いた。 ここで間違いなかったが、 お休処で人の気配がなかった。 おそば屋さんでもなさそうなので、 お父さんの元に戻り、聞き込み。 目指した一軒家は、 おそば屋さん ではなく、普通の住まいで空き家。 そこからさらに山奥の一軒家に ミチコさんの おそば屋さん だということで行ってみる事に。 新たな ポツンと一軒家を 目指し進むと、 そば処みちこ の駐車場を発見した。 車を降りて、橋を渡って 前方を見上げると、 そば処みちこの建物があった。 その おそば屋さんは、 季節によって天ぷらが違うという。 そば処みちこの主 ハマダミチコさん70歳に 話を聞いてみると、最初に目指して きた場所は 叔父の家だという。 そば処みちこ ポツンと一軒家( そば処みちこ) の持ち主の 叔父さんがここの跡取りで この 叔父は老人ホームに入っているが、 弟の叔父が1人で住んでた家だった。 Sponsored Links.

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