スリー マイル 島 原子力 発電 所 事故。 スリーマイル島原発事故(すりーまいるとうげんぱつじこ)とは

スリーマイル島原子力発電所事故

スリー マイル 島 原子力 発電 所 事故

概要 [ ] スリーマイル島原子力発電所は、ゼネラルパブリックユーティリティ社(後にGPUと改名)によって建設された。 建設開始はであり、発電開始はである。 実際の運転はGPU社の子会社であるメトロポリタンエジソン社によって行われた。 2号機で事故が発生した1979年の段階では、運営会社がメトロポリタンエジソン社からGPUの新しい子会社、GPUニュークリア社 GPUN に変更されていた。 GPUN社はまで1号機を運転したが、その後、フィラデルフィア電力エネルギー社 Philadelphia Electric Company Energy:PECO Energy とブリティッシュエネルギーグループのであるアメジェンエネルギー社 AmerGen Energy Company に売却した。 その後、PECOはユニコム社 Unicom Corporation と合併、にがPECOの出資分を取得した。 エクセロン社はにブリティッシュエネルギーグループの出資分も取得し、2017年の段階では、エクセロン社の原子力部門が所有している。 (現地時間)、エクセロン社が、2019年9月に閉鎖を予定していると発表。 主な閉鎖の原因はによるエネルギー価格の低下と後の運営コスト上昇による採算性の悪化としている。 のちに予定は2019年9月30日に変更となり 、同年、1号機を停止した。 今後、を取り出し約60年かけて廃炉を行う計画である。 設備 [ ] 1号機 [ ]• 炉形式• 電気出力 837MW• 運転開始 1974年6月19日• 運転終了 2019年9月20日 2号機 [ ]• 炉形式 加圧水型 PWR• 電気出力 959 MW• 運転開始 1978年12月30日• 事故発生 1979年3月28日 関連項目 [ ]• 出典 [ ].

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スリーマイル島原発事故(すりーまいるとうげんぱつじこ)とは

スリー マイル 島 原子力 発電 所 事故

<概要> 1979年3月28日午前4時(現地時間)、米国ペンシルバニア州に設置されているスリー・マイル・アイランド原子力発電所2号炉(Three Mile Island:TMI-2)において事故が発生した。 初に達してから1年、営業運転を開始してから3カ月後のことである。 この間に、TMI-2号炉には数多くのトラブルが発生しており、それらを完全に解決しないまま運転を継続していた。 今回の事故に直接関連するものとして、加圧器逃し弁、又は安全弁から毎時約1. 4立方メートルもの1次の漏洩があり、そのまま長期間運転を続けていたこと、主給水喪失時に、直ちにに給水するためのの弁が2個とも閉じた状態で運転が行われていたこと等、種々の故障、誤操作が重なって、が外部環境に異常に放出されるという事故であった。 <更新年月> 1997年03月 (本データは原則として更新対象外とします。 ) <本文> 1.スリー・マイル・アイランド原子力発電所2号炉の概要 スリー・マイル・アイランド発電所2号炉(Three Mile Island:TMI-2)は、ワシントンD. の北北西約160km米国ペンシルバニア(Pennsylvania)州都ハリスバーグ(Harrisburg)の南東20kmの、サスケハナ川の中の大きな中州に設置されている。 にTMI原子力発電所の位置を示す。 9万kWので、事故の1年前の1978年3月28日に臨界となり、1978年12月30日に運転を開始した。 にTMI-2号炉の全体概要を示す。 2.スリー・マイル・アイランド原子力発電所2号炉の事故時の概要 TMI-2は約97%定格出力運転中、1979年3月28日、制御用空気系の故障のため給水ポンプ、さらにタービントリップしたことから、1次系の温度、圧力が上昇したが、設計どおり加圧器逃し弁(PORV:Pilot-Operated Relief Valve)が開き、原子炉は緊急自動停止した。 しかし、原子炉停止により低下し始めた1次系の圧力に伴い、自動的に閉まるべき加圧器逃し弁が故障して開固着の状態になり、ここから冷却材の系外への流出が続いた。 1次冷却系の圧力低下の信号を受けて、事故発生2分後に(ECCS:Emergency Core Cooling System)が自動起動したが、運転員は状況を正しく把握できず、系は満水であると誤認し、による冷却水充填流量を絞った。 事故発生1時間10分後にBループ1次冷却材ポンプを、1時間40分後にAループ1次冷却材ポンプを手動停止した。 これは、1次冷却材中に多量の蒸気が発生し、冷却材ポンプが激しく振動し始めたからとされているが、それまではなんとか冷却されていた炉心はポンプ停止により蒸気中露出するに至った。 に事故発生後約2時間後のプラント状況(一次冷却材ポンプ停止)を示す。 事故発生後2時間20分、運転員はようやく加圧器逃し弁の元弁を閉じ、冷却材の流出は止まったが、炉心は約3分の2が露出しており、大きな損傷を受けつつあった。 3時間半たって運転員はECCSを短時間起動し、炉心はようやく再冠水したが、その時までに炉心は大きな損傷を受けた。 放射性物質の放出量については、現在最も確かな値は放射性希ガス約250万キュリー(9. にTMI-2号炉容器内の最終状況を示す。 このため、格納容器内に水素の一部を放出して16時間後に冷却材ポンプ1台の運転に成功し、事故は収束に向かった。 事故の主要原因は、補助給水系ポンプ出口弁が閉じていたことに加え、加圧器逃し弁が開固着して冷却材が流出し、炉心の冷却が不十分になっていたのに、以下の理由により運転員が冷却材は過剰な程にあると誤判断したことが大きい。 (1) 加圧器逃し弁の開閉の表示が不適切で、開固着していたのに「閉」を表示していた。 (2) 運転員が最も重視していた加圧器水位計は、事故時のように冷却材が飽和温度になると、系内の冷却材の水位を正しく示さなかった。 (3) 加圧器水位計の指示の誤りや、他のプラント情報から加圧器逃し弁の開固着や冷却材の流出が判断できるように運転員の訓練が十分になされていなかった。 3.事故後の措置 周辺の放射線測定結果が誤って伝えられ、さらに、1次冷却系内の水素が爆発するかもしれないという根拠のない情報が伝わって、3月30日、周辺約8km以内の幼児と妊婦の退避が勧告された。 事故による周辺公衆のは最大でも1mSv(100mrem)以下で、健康に与えた影響はほとんど無視できる程度であった。 米国原子力発電所事故特別調査委員会等による事故の原因分析等から、数々の教訓、対策が得られ、防災体制の強化を含め軽水炉システムのより一層の安全に著しく寄与した。 スリー・マイル・アイランド事故からわが国が得た教訓と課題はが摘出した基準・審査、設計、運転管理、防災、安全研究に関する52項目がある。 スリー・マイル・アイランド事故の意義の重大さに鑑み、その教訓は最大限反映されるべきであるとの観点から、当時必要と判断した事項はすべて摘出されたものである。 これらは商用原子力発電所を初めとして常陽、、当時設計中のにも反映された。 また()と日本の原子力産業界は1984年4月に原子炉解体等の5年間の共同研究協定を結んだ。 これは、放射性物質で汚染された炉の浄化活動に関連した研究開発で、低レベル廃液の大幅減容処理技術、ロボットの開発、また、炉心損傷事故シナリオの確認等の成果が得られた。 注:東北地方太平洋沖地震(2011年3月11日)に伴う福島第一原発事故を契機に原子力安全規制の体制が抜本的に改革され、原子力安全委員会はとともに2012年9月18日に廃止され、原子力安全規制に係る行政を一元的に担う新たな組織としてが2012年9月19日に発足した。 スリー・マイル・アイランド事故から得られた教訓と課題から摘出された基準・審査、設計、運転管理、防災、安全研究に関する52項目は新たな組織により見直しや追加の行われる可能性がある。 <図/表> ・図表を一括してダウンロードする場合は をクリックして下さい。 <関連タイトル> <参考文献> (1)科学技術庁(編):FBR広報素材資料集(2版下)、(財)日本原子力文化振興財団、平成2年3月 (2)原子力安全委員会:原子力安全委員会月報 参考資料「米国スリー・マイル・アイランド原子力発電所事故について」第2巻第2号、p19-21、昭和54. (3)原子力安全委員会:原子力安全委員会月報 解説「米国スリー・マイル・アイランド原子力発電所事故について」第2巻第3号、p2-4、昭和54. 3 (4)原子力安全委員会:原子力安全委員会月報 資料「米国原子力発電所事故調査特別委員会第1次報告書」(抜粋)第2巻第5号、p20-36、昭和54. 6 (7) R. Post,ed. : Three Mile Island Unit 2: Materials Behavior,etc. ,Nuclear Technology,Vol. 87 Aug. ,Oct. ,Nov. ,Dec. 4 JAEAトップページへ ATOMICAトップページへ.

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スリーマイル島原子力発電所事故

スリー マイル 島 原子力 発電 所 事故

1979年3月28日、のペンシルヴェニア州スリーマイル島原子力発電所で、放射能が漏れ、周辺住民が避難する事態となった。 スリーマイル島 Three Myle Island とは、チェサピーク湾に注ぐサスケハナ川の河口から160kmほどさかのぼった内陸にある中洲で、周囲がおよそ3マイルなのでその名がある。 アメリカはのエネルギー源として、石炭や石油に較べて原子力が経済的に低コストであることを理由に原子力発電(原子力の平和利用)を国策として進め、その実用化はソ連にやや遅れたが、1954年から本格的に建設を開始、その増設を続けていた。 しかし、この重大事故を受け、方針を転換、原発新設を事実上停止した。 さらに1986年のソ連(当時)の、2011年の福島第一原発の事故を受けて廃炉を進めている。 重なった人為的ミス 事故を起こした原子力発電所はバブコック社というマイナーな会社が1978年12月末に操業を開始した加圧水型原子炉だった。 バブコック社の経営は苦しく、2号機は納期に合わせるためにかなり無理な工事をしていたと言われる。 事故は、2次冷却水循環装置の浄化器のフィルターを洗浄する装置が動かなくなったことから始まった。 作業員が手でゴミを除去したが、このとき浄化器をコントロールする安全装置に水が入ってしまった。 3月28日午前4時、コントロールルームに警報が鳴り響き、2次冷却水がストップしたことを知らせた。 冷却水の循環がストップしたためダービンが止まり、制御棒が降りて原子炉が停止、さらに1次冷却水の温度が急激に上昇、原子炉内の温度も超高温となり、炉心融解の危険が迫った。 2次冷却水がなんらかの原因で止まった場合に備えて、バイパスが設けられており、メインパイプの送水がストップするとすぐにバイパスから送水されるしくみになっていたが、なんとこのとき、バイパスのバルブが閉められたままだった。 だれもが開になっているものと思い込み、緊急事態を知らせるブザーが鳴り響く中、慌てる作業員の誰もバイパスのバルブが閉になっていることに気付かなかった。 もう一つの安全装置である1次冷却水の温度が急上昇したときに蒸気を放出する「逃がし弁」があった。 圧力が下がれば自動的に閉じることになっていたが、このときこの弁そのものが故障して開きっぱなしになっていた。 さらに高熱のため1次冷却水の水位を示すメーターが吹っ飛び、「満水」のまま止まってしまった。 これを見た作業員は、これ以上冷却水を供給してはまずいと思い、緊急炉心冷却水注入装置を止めてしまう。 原子炉内では1次冷却水の流出によって燃料棒が露出、表面温度は2000度に達し、重さ133トンの炉心の52%がメルトダウンし、原子炉棟に充満した放射能がとうとう建物のわずかな隙間から大気中に発散していった。 事故発生から2時間18分後に応援に来た運転員がようやく水位計の誤作動に気付き、1次冷却水の漏れを止めた。 8時45分、アメリカ原子力規制委員会(NRC)に事故が通告され、9時台にはニュースが流れると騒然とした状況となり、憶測や誇張された情報が乱れ飛び、不安が広がった。 2日後の午後0時30分、NRCの要請を受け、ペンシルヴェニア州知事は原発から5マイル(8km)以内の妊婦と子供の避難勧告を出したが、パニックに陥った住民はみな避難し、人っ子一人いないゴーストタウンとなった。 炉心の溶解が途中でストップし、炉の隔壁の破壊が避けられたため、原爆の爆発のような事態は避けられたが、人々を大きな恐怖におとしいれたこの日は「暗黒の金曜日」として語り継がれている。 <浜林正夫・野口宏『ドキュメント戦後世界史』2002 地歴社 p. 262-265>.

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