ブルーベリー ナイツ 意味。 マイ・ブルーベリー・ナイツ 感想・レビュー|映画の時間

映画『マイ・ブルーベリー・ナイツ』あらすじとネタバレ感想。動画フルを無料視聴できる配信は?

ブルーベリー ナイツ 意味

一人の夜に、たまたまテレビをつけてこれが流れたら、心地が良いだろう。 目立った盛り上がりはないし、努めてそうしているのだから、当たり前だが、 ジュードロウとのドキドキラブロマンスを期待して見た人には味気ないに違いない。 だが、私は好きだ。 全体的に統一された色合い。 出会う人々の心のささくれ。 そして、そのささくれを受け止めるのがノラジョーンズというのがまたいい。 干渉しすぎるでなく、同情しすぎるでもなく、わからない時はわからないまま寄り添う彼女が愛しくなる。 誰一人として「? 」の浮かぶような取って付けたようなキャラクターはいない。 少ない言葉の中でもちゃんとそれぞれの感情が追える。 主人公の人生の一本道に色々な人の道が重なったような感じで、下手に主人公の感情を引っ掻き回したりしない感じがわざとらしくなく好ましい。 すれ違った人々の人生を眺め、歩きだすノラジョーンズの先にジュードロウがいるなら、素敵じゃないか。 一人の夜、眠れなくなったら、そっと見てみてほしい。 ウォン・カーウァイ監督初の英語作品ということで期待に胸を膨らませながらレンタルしました!最高です!メチャクチャいい映画!心地よいカフェ・ミュージックが2人の心情を結び付け、一旦離れた2人の距離が再び縮まる瞬間が見どころ! 2人のキスシーンにも注目! ウォン・カーウァイの作品らしく、音楽や台詞、食事シーンのどれをとっても切ない気持ちになる。 簡単に見える映画でも、人との出会いで物語が大きく揺さぶられていく。 ウォン・カーウァイ作品は、日々の何気ない出来事を特別な気持ちにさせてくれるのが上手いなぁ〜って心の底から実感した。 あと、ジュード・ロウの抑えた演技も効いてる!彼はかなりイケメンなのであまり悲しそうに見えないけど、客が預けていた鍵の物語を語るシーンやエリザベスを電話攻撃で探すシーンに必死さと愛が溢れてる!😭😂😭😂 この映画を観れば、失恋した時は辛いけど、たくさんの人との出会いで人生を学び、時間と共に心の傷が癒されていくのを感じることができると思う。 ネタバレ! クリックして本文を読む 失恋したエリザベスとカフェの店主ジェレミーの優しい恋愛ムービー。 ウォンカーウァイ監督特有の色彩とセンス。 オシャレです。 エリザベスの傷心を癒すブルーベリーパイ。 【ブルーベリーパイが悪いんじゃない。 ただ選ばれなかっただけ】 ジェレミーの優しい言葉といつも席を用意して待っていてくれる思いやり…癒されます。 2人の間に特別な気持ちが芽生え始めたが、ある日エリザベスはアメリカ横断の旅に出た。 知らない街で働くこと。 出会いと別れ… 数々の経験を経てエリザベスは1年後にジェレミーを訪ねた。 カウンターにリザーブされたエリザベスの席。 選ばれないまま残るブルーベリーパイを作り続けて待っていてくれるジェレミー。 エリザベスの新たな一歩はここから始まるであろう。 「デスカムトゥルー」 C IZANAGIGAMES, Inc. All rights reserved. 「ソニック・ザ・ムービー」 C 2020 PARAMOUNT PICTURES AND SEGA OF AMERICA, INC. ALL RIGHTS RESERVED. 「エジソンズ・ゲーム」 C 2018 Lantern Entertainment LLC. All Rights Reserved. 」 C 2019 Sony Pictures Television Inc. and CBS Studios Inc. All Rights Reserved. 「ドクター・ドリトル」 C 2019 Universal Pictures. All Rights Reserved.

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【マカロニえんぴつ/ブルーベリー・ナイツ】歌詞の意味を徹底解釈!タイトルは心情を比喩している!?

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マイ・ブルーベリー・ナイツ 感想・レビュー 18件 まいぶるーべりーないつ• 上映終了• レビュー• 総合評価 3. 72点、「マイ・ブルーベリー・ナイツ」を見た方の感想・レビュー情報です。 投稿はから受け付けております。 本編は「ごはん映画祭」でも上映されてポスターに惹かれて観た。 ジュード・ロウどんな演技するんだろうと見に行くました。 リプリーを見てから好きになり一時期遠退いていたけど この映画を見てまた好きになりました。 そんなにまで好きじゃなかったノラも好きになれたし。 ナタリーの演技の上手さとレイチェルの美しさに感動しました!パンフレットも買い 玄関にはブルーベリーナイツのフアィルを飾ってます。 ノラの素人の演技が反ってよいです。 時間を無駄にした。 キャストだけちょっと豪華な駄作 P. 失恋をテーマにしているのに、ジュードとノラが出会った時点で既に恋が始まっているというご都合主義に突っ込むのはナンセンスだけど、恋の終わりを清々しく描いたゲイ映画『ブエノスアイレス』のがウォン監督の真骨頂だと思われ。 スーリン役のレイチェルワイズの「心が痛むの」のセリフ、最高にきれいなナタリーポートマンのレスリーの凜としたカッコイイ美しさ、そしてノラジョーンズとジュードロウのキス!深く、深く愛を感じる映画でした。 愛は報われると感じれてうれしかったです。 ジュード・ロウ好きの方や甘いものが好きな方には必見です。 恋する者たちの思いが真摯に伝わってきた映画でした。 「ノラの主演作」とうたっているのに残念。 色合いはアジア。 音楽はジャズで、映像は60年代みたいなアメリカン。 その融合が不思議でした。 とにかく映像と音楽はお洒落~。 ストーリーは二の次かな。 観た後に深々と浸る映画ではなく、さらっと観られる作品ですね。 恋には戻るものとそうでないものがあるんですね。 参考になりました。 (笑) P. フランス映画とアメリカ映画のミックス的な印象でした。 音楽はgood P. 汗臭かったり、しょっぱかったり。 そうなると風呂好きのきれいきれいな邦画はどうなるのでしょう。 あのホリディのきれいきれいなジュード・ロウの汗臭かったりする胸板にしがみつきたい人おすすめです。 また話の中心となる部分が見えませんでした。 ジュード・ロウとノラ・ジョーンズとの恋愛が描きたかったのか、旅の様子が描きたかったのか…。 良く分かりませんでした。 ジュード・ロウやノラ・ジョーンズが好きな人は見てみるといいかもですね。 もっと題名のように甘酸っぱい感動があれば良かったと思います。 なぜ、回り道をしたのか、何がきっかけで戻ろうと思ったのか、そして、キスシーンのジュードロウがいやらしい感じがして何だかシラケました。 あの映像感は予告やPV位の尺で丁度よいと思います。 うわーん、美味しそ~!!微妙に色あせた画面もいい感じ出してます。 ジュード・ロウがプリティv P. ナタリーポートマンはやっぱりすごい。 でもジュードロウが素敵過ぎてそれどころじゃなかった!! 人の弱さと強さとか300日いろんな事を経験して前向きになる。 また見たい映画だった P. 選曲のセンスの良さと、赤が際だつ色彩の美しさ、スピーディーな映像…カーウァイの目に映るNYはこうなのか、まるで香港みたいでちょっと新鮮。 でも話は平凡な失恋ストーリーで、正直退屈だった。 1h35という上映時間で救われた それ以上は付き合えない。 才人揃いの豪華キャストだったが、ナタリー・ポートマンがやはりうまかったなぁ。

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マカロニえんぴつ interview

ブルーベリー ナイツ 意味

傷つかないための気付かないふりばかりの男こと、田舎大学生です。 嘘です。 僕の場合、気付かないことにも気付かない可能性が高いですね…。 と、いきなり意味のわからないことを申しておりますが、『ブルーベリー・ナイツ』考察していくぜ!!(暗い考察になりそうな予感があるので、始まりはせめて明るくしてみました) タイトル『ブルーベリー・ナイツ』 これについては、はっとりの元カノが好きだったという映画『』からとったと考えて良さそうです。 ちなみに、僕はこの作品まだ見てませんので映画と曲の関連については何も語れません…。 『』の時もそうだったのですが、時間がある時に見てみたいですね。 歌詞の考察 前回もそうだったのですが、ただの感想文になること請け合いです。 考察というより、僕が歌詞を読んで考えたことを書く感じなので悪しからず…。 そういうわけなので、全ての歌詞を取り上げるわけではなく、あくまでも個人的に好きな部分、気になる部分をピックアップしていくつもりなのでよろしくお願いします! 夜の幻 さよなら25時 忘れちゃうのに求め合うのは身体が空っぽだから 「幻」「さよなら」あたりが出てくることから失恋の詞だと分かりますね。 突然ですが、恋人との深夜の長電話ってめちゃくちゃ楽しいですよね。 そのために夜更かししたり、逆に電話がかかってこなかったら夜遅くまで待っちゃったりするもの。 気付いたら25時、いや26時なんてこともザラにあります。 でもそんな関係が終わってしまったら。 深夜に長電話できる相手がいなくなってしまったら。 学校や仕事が次の日にあったら25時までなんて普通起きてないんです。 もう寝てます(大学生とかいう特殊な生命体は除く)。 でも好きな人と話せる喜びから25時があった。 でも恋人がいなくなったら25時はなくなる。 そのことを「夜の幻 さよなら25時」と表現しているのだと感じました。 2番の「恋の幻」はもっと直接言っている感じですね。 脱線しますが、幻という言葉はかなり面白いというか、色々な視点から使える言葉ですよね。 僕はが好きなのですが、「」というとかなりポジティブな意味を持ちます。 ワクワク感も掻き立てられますよね。 「確認はできていないが実在するとされているもの」という感じでしょうか。 逆に今回の「夜の幻」のような使い方だと、儚さ、切なさ、喪失感など、「かつてはあったがもう戻らないもの」という雰囲気でしょうか。 何が言いたいかというと、組み合わせる言葉によって大きくニュアンスが変わるのが面白いなと思った次第です。 こちらからは以上です。 スタジオにお返しします。 ということで次の 忘れちゃうのに求め合うのは身体が空っぽだから に移りましょう。 この曲の主人公(あたし)は、彼氏に愛想をつかされてて、捨てられそうな女性だと思ってるんですが、「求め合う」という言葉は男の人にも求められていてほしいという願望に見えますね。 求めているのは自分だけではない、と。 せめてもの強がりという感じもしないではないです。 それに、「忘れちゃう」という歌詞。 交際人数が2人や3人であれば、相手のことを「忘れちゃう」ことはないと思うんですね。 ということは、お相手、もしくは自分もかなり多くの人数と恋愛をしているという想像もできます。 遊びの恋愛のはずが本気になってしまったということも考えたのですが、まあ曲の雰囲気的には純粋な恋愛の方が合うかなぁという結論に至りました。 でも、MVは三角関係でしたし、片方は遊びという線もまああり得ますね。 どう取るかは聞いた人各々に任せるというスタンスでしょうね。 それに、個人的には気になる「身体が空っぽだから」。 心が空っぽならよく聞くし今もなんとなく分かります。 でも身体が空っぽというのはどういうことでしょうか。 この言葉は明らかに性行為を匂わせてきてますよね。 手を繋いだり抱き合ったりすることを身体が空っぽと表現するのもまあ分からないではないですが、やはり性行為の比喩と捉えた方がしっくりきます。 となるとやはり遊びの恋愛という線はさらに浮上してくるんですよね…。 まあ自分の願望として遊びではなく本気の恋愛であってほしいと思ってはいるのですが。 少し脱線しますが、僕は性行為をしたいと思うことは滅多にありません。 これは普通の感覚なのか、それとも世間の大多数の人たちは性行為をしなければ身体が空っぽになる感覚を覚えるのでしょうか。 これは純粋な疑問として気になりますね。 あんまり友達とこんなことを話すこともないですし、いっぱい人を集めて聞いてみたいことの1つです。 あまり性欲のない僕からすれば「頻繁に性行為を求めること」=「あまり純粋ではない恋愛の形」と思えてしまう(セフレのような感覚)ので、遊びの恋愛かもしれないと考察してしまうのですが、頻繁に性行為を求めることが普通だとすれば、それが普通の恋愛の形といえるので、別に普通のことなのでしょうね。 というかそんな当たり前のことを長々書くなよと思われているかもしれませんね。 かなり脱線しましたが、次にいきましょう…。 残って離れてくれない匂いが 愛おしくて、許せないの 「離れてくれない」っていうところが特にいいんですよね。 離れない、じゃなくて離れてくれないんです。 離れてくれないってことは、離そうという努力が垣間見られるんですよ。 離そうとしても離れてくれないから余計に苦しいんですよね。 余談ですが、匂いっていう要素は動物的な本能で好きか嫌いか判断されるそうですね。 つまり匂いが好きな人は細かい感情や損得勘定は抜きにして生物として好ましく思ってるってことですね。 生物として好きって、もう、運命!?ってことになるわけじゃないですか。 ならないですか。 そうですか。 なんでこの話をしたかというと、この歌詞ってすごく悲しいと思っていて。 人の匂いが好きって感じることってあんまりない気がするんですよね。 ところがこの曲では「匂いが愛おしくて」、と。 主人公は、彼の匂いが愛おしかったんです。 もうそれは運命を感じるほどに。 でも彼にとって、主人公はそういう存在ではなかった。 そんな2人の感覚のズレ。 「許せない」のは彼なのか、はたまた自分か。 これは分からないんですけど、どちらかというと自分ですかね。 というか、強がりですかね。 彼のことを許せないということで振られそうな自分を守っているようなかわいさも感じるところです。 おとぎ話にすらならないね 錆びた踊り場で回る 神様たちは他人のままだ ここを1番考えたかったんですよね。 ここだけめちゃくちゃ抽象的で。 はっとりの歌詞って基本的には具体的で歌詞の世界を想像しやすいというか、光景が見える歌詞だと思うんですよ。 でもたまにこういう歌詞を刺してくるからたまらないんですよね〜。 これによって一気に想像の余地が広がりますからね。 これまでの歌詞は、個人差はあってもおそらくほとんどの人が同じような想像をすると思うんですよ。 でもこういった抽象度の高い、つかみ所のない歌詞を挿入することによって、聞く人それぞれの解釈や世界を構築することもできる。 まあ、僕の友達の話を聞く感じだと好きな曲であっても歌詞を深く考察しているという人はかなりの少数派ですが…。 歌詞全体での世界観を好むというよりは、いかに共感度の高いワンフレーズを作れるかが大事になってきているような気はしますね。 さて、特に関係のない話を長々としてしまいましたが、肝心の考察の方もやっていきましょう! 「おとぎ話にすらならないね」とは、どの話のことでしょうか。 ストレートに考えると、2人の恋愛に関する話ですよね。 それが、おとぎ話にすらならない。 ここで思うのですが、おとぎ話って子供が読んだり聞いたりするものだと思うんですよ。 それが前述したセフレ的な関係から発展した恋愛だからなのか、それともただ単に2人の恋慕が子どもには刺激が強いのかはわかりませんが。 ここまで考察をしてきて、遊びの恋愛の線が自分の中では強くなってきました。 考えが右往左往してしまって読みづらくて申し訳ないです。 事前に考えてあったのではなく、今考えながらブログを書いているので、こうなってしまうことをお許しください。 錆びた踊り場で回る 神様たちは他人のままだ ここは難解というかとっつきづらいというか…。 踊り場は階段の途中の少し広くなっている場所ですよね。 2 階段の途中に、やや広く場所をとった平らな所。 3 経済用語。 景気が上昇する局面で、景気の回復が鈍り、横ばいの状態にあること。 ふつう景気が悪くなる局面では用いない。 「日本経済が踊り場を脱却する」 (より引用) と出ました。 1番目に踊りをおどる場所が出るんですね。 また、 踊り場とは、階段の途中に設けられた小さなスペースで、小休止したり、方向転換するなど、転落防止に役立ちます。 では、階段の高さが4mを超える場合に、4mごとに踊り場を設けることが義務付けられています。 デパートなどでは、踊り場に椅子を設けるなど、小休止のスペースとしていることが多いようです。 旧来の日本家屋の階段には、踊り場というものはありませんでした。 踊り場は、西洋建築によってもたらされた建築デザインです。 (スマイティより引用) 建築的観点からいえばこういった意味があるそうです。 小休止のスペースなんですね。 ここから考え、倦怠期みたいなものを踊り場と表現しているのだろうと解釈しました。 そして、「錆びた踊り場」とあるので、今回の倦怠期はもう壊れかけであると。 いつしてもおかしくはない、そんな恋愛における踊り場で回っているのは2人か、それとも主人公だけなのか…。 最後、「神様たちは他人のままだ」。 これが1番抽象的な感じがしますね。 うーん、どうとでも考えられるのですが、僕が思ったのは、結婚式で牧師さんが「永遠なる愛を誓いますか?」みたいなことを新郎新婦に誓わせるじゃないですか。 あれを想像しました。 つまり、今回の恋愛においても神様の出る幕はなかったということです。 別に誓いを立てたからといって神様と知り合いになるわけではないでしょうが、そこは歌詞の雰囲気ですね。 なんかだんだんこじつけがひどくなってる感はありますが気にしないでください。 運命の誰か、あたしを掬って食べて 誰でもいいよ、あたしを潰して舐めて ラストの歌詞ですね。 僕、恥ずかしながらこの考察するまで気づかなかったんですが対になってますねここ…。 全く気付かなかった…。 しっかり読まないといけないですね。 ここで気にしたいのは、「掬って(救って)食べて」欲しいのは「運命の誰か」。 対して、「潰して舐めて」欲しいのは「誰でもいい」、この対比です。 これってますますセフレとか、性行為のためのルみたいなものを想起させる詞だと、ここまで考察してきて感じざるを得ません。 よく、好きなものは「目に入れても痛くない」とか「食べちゃいたい」みたいな表現しますよね。 今回の場合は「食べられたい」ですから、これは愛されたいことの比喩表現ですかね。 今の辛い境遇の自分を救って愛してくれるのは「運命の誰か」がいいんですね。 適当な誰かじゃいけないんです。 でも、潰して舐めるのは誰でもいいんですよ。 適当な誰でもいいんです。 「潰して」の方はあんまりしっくりくる考えができなかったのですが、主人公をブルーベリーに喩えているとするならば、壊してぐちゃぐちゃに記憶を消してくれる存在を求めているといったところでしょうか。 また、「傷を舐め合う」という言葉もある通り、「舐める」は慰める、共感するの意味合いでしょう。 その共感も上辺だけの安い共感でいいんですよね。 なぜならその人との関係は一時しのぎでしかないからです。 あまり関係のない話ですが、「姑息」という言葉は1番の歌詞にもありますが、卑怯という意味ではなく、正しくはその場しのぎという意味なんですよね。 「孤独で姑息なあなた」が嫌いで、でも好きだった主人公ですが、そんなあなたのように主人公もなってしまいそうになっている。 主人公も誰かに本気で愛され、縋られ、でも結局は振るというそういう存在になってしまうのでしょうか。 どんどん負のスパイラルにはまってる感じですね。 主人公がすごい悪女みたいな締めになってしまいましたが、まあ普通のことではないでしょうか。 自業自得的な知見まで得られそうな、いきすぎた考察にはなってしまいましたね。 以上、『ブルーベリー・ナイツ』の考察でした。 それでは。 『』の記事がたくさんの方に読んでいただけたようで、めちゃくちゃ嬉しく思っています。 読んでいただいた方、ありがとうございます。 inakamon121317.

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